火の側、心の距離
森から戻った夜、小屋の前には焚き火が揺れていた。
鍋の香りが静かに漂い、遠くで虫の声がかすかに鳴いている。
「はい。今日は僕がちゃんと作りましたよ。レイナさんは座っててくださいね」
「……命令口調だな」
「労ってるんです」
そう言いながら、ユリウスは鍋のふたを取った。
香ばしい鶏肉と、香草のやさしい香りが湯気とともに広がる。
レイナは無言で受け取り、ひとくち。
すぐに、眉を少しだけ上げる。
「……うまいな」
「ですよね」
どこか得意げなユリウス。
レイナは火の揺らめきを見つめながら、ふと口を開いた。
「……昔は、誰にも食事を作ってもらったことなんてなかった」
「え?」
「小さい頃から、剣を握ってた。『女でも強ければ価値がある』と、周囲は言った。
でも、女扱いはされなかった。花も、甘い物も、褒め言葉も──全部、遠かった」
淡々と語る声に、ユリウスは口を挟まなかった。
ただ、そっと木の枝を火にくべ、彼女の言葉の続きを待つ。
「自分の部屋には剣しかなかった。誰かに何かを作ってもらったことも、ほとんどなかった。
だから、お前の作る料理は……時々、うまく受け止めきれない」
レイナはぽつりと、静かに言った。
「うまいけど、腹が立つ。温かいけど、なんだか、くやしい。
今までの自分が、何か間違ってたような気さえする」
焚き火の明かりが、彼女の横顔を照らす。
それは、剣のように鋭く、それでいてどこか寂しげだった。
しばらく沈黙が流れる。
やがて、ユリウスがお玉を置いた。
「……レイナさん」
「……何だ」
「間違ってなんかないと思います。だって、僕は──」
彼は少しだけ頬を赤くして、言葉を選ぶように言った。
「その“剣だけの生き方”に、今、ちょっとずつ新しい何かを加えてる。そういうふうに見えます」
レイナはちらりと横目で彼を見た。
「……料理の味みたいなことを言うな」
「でも本当のことです。強い剣も、美味しい鍋も、優しい手当ても、レイナさんの中に全部あっていい。
僕は、それを知れてよかったって思ってます」
レイナは黙っていた。
でも、返す言葉が見つからないわけではなかった。
ただ、自分の中にある何かが、言葉になるのを待っているだけだった。
──その時。
風が少し強くなり、火がぱちりと跳ねた。
思わず、ユリウスの方へ身体を傾けてしまったレイナ。
「っと……」
「わっ、大丈夫ですか?」
近くなった距離。
ほんのわずか、息が触れ合うくらいの近さ。
「……あ」
我に返って、レイナはすっと身を引いた。
「す、すまん。今のは……火が……」
「……はい。火、でしたね」
ユリウスも、それ以上は何も言わず、ただそっと鍋を見つめた。
火の温もりが、まだふたりの間に残っていた。
レイナは膝の上に手を置いて、小さくつぶやく。
「……私も、少しずつ、変わってきているのかもしれん」
その言葉に、ユリウスは笑った。
「ですね。でもそれで、ちょうどいいんじゃないですか?」
焚き火の火が、ゆっくりと静かに揺れていた。
心の奥に、まだうまく言葉にできない何かが、ふたりの間に少しずつ育っていた。




