剣を振るう日、手を重ねる日
森の奥。薄暗い木々の隙間を、足音がふたつ進んでいく。
鳥の声も虫の音も、なぜか今日は静かだった。
「……なんか変ですね」
「気づいたか。気配が、重い」
レイナはゆっくりと腰の剣に手をかける。
その動きに、ユリウスも反射的に身構えた。
今朝、近隣の村の使いが来た。
『森で狼の群れが現れた』という話だ。
通常なら近衛隊の仕事だが、人手が足りず、レイナが代わりに様子を見に来ることに。
ユリウスも「鍛錬の一環」として同行を申し出た。
「敵の気配は、三……いや、四。囲まれている」
「えっ、もうそんなに分かるんですか?」
「当たり前だ。でなければ剣など振れん」
レイナが無造作に抜いた剣は、光を吸うような鈍色だった。
一方、ユリウスは震える手で木剣を握っていた。
「……怖いか?」
その問いに、ユリウスは小さく笑った。
「ちょっとだけ。でも、誰かの背中を守れるなら……僕は、逃げません」
その言葉に、レイナの胸がかすかに動いた。
(馬鹿だな。逃げても誰も責めないのに)
だが、彼の目は澄んでいた。
弱いのに、まっすぐで、どこか強い。
「……よし。じゃあ背中は任せた」
レイナが軽く剣を構える。
「敵が飛びかかってきたら、一歩下がって。それだけでいい」
「わかりました!」
──そして、次の瞬間。
茂みを裂いて、一頭の灰色の影が飛び出してきた。
「下がれ!」
レイナが一閃。鋭い風を切る音と共に、狼が地面へ転がる。
が、すぐさま二頭目、三頭目が現れる。
「そっちは任せた!」
「は、はいっ!」
ユリウスは剣を構えて立つ。狼が唸り、地面を蹴る。
刹那、レイナが声を飛ばした。
「目を見るな! 足元だ!」
その言葉に、ユリウスは反射的に重心を落とし、構えを変える。
そして──ガッ、と狼の突進を受け止めた。
「……っ、なんとか……!」
「よくやった!」
レイナがすぐに駆け寄り、残りの一頭を一閃で退ける。
静寂が戻った。
息を切らしながら、ふたりは顔を見合わせた。
「……やった。生きてる……」
「当然だ。私がいるんだからな」
そう言いながらも、レイナはユリウスの腕にかすり傷を見つける。
「動くな。手当てする」
「いえ、平気ですよ、これくら──」
「動くなと言った」
ぴしゃりと言い放ち、彼女はポーチから包帯を取り出す。
不器用な手つきで、だが丁寧に傷を巻いていく。
「……痛いか?」
「いえ。むしろ……ちょっと、嬉しいです」
「は?」
「こうやって、誰かに手当てされるの、子どもの頃以来で……。なんか、あったかい」
レイナは包帯を引き締めた。少しだけ強く。
「……手を出すなら、自分で守れるようになれ。そうすれば、怪我もしない」
「はい。だから、もっと強くなります。レイナさんの背中、いつかちゃんと守れるように」
ふと、その言葉に、心が揺れた。
(背中を、守ってもらう? 私が……?)
レイナは今まで、誰かに庇われることなんて一度もなかった。
だが今、この男になら、もしかしたら──と思ってしまう自分がいた。
「……一緒に帰るぞ。今日の鍋は、お前が作れ」
「えっ、怪我人に!? 労りとかないんですか!?」
「私は斬っただけで怪我はない。よって、労られるべきは私だ」
「理不尽だ……!」
そう言いながらも、ユリウスの顔は、どこか誇らしげだった。
その日、ふたりは本当に“はじめての戦い”を乗り越えたのだった。