剣と匙のすれ違い
鍛錬場に朝日が差し込む。
その中で、ユリウスがふらふらと木剣を振っていた。
「……それ、どこを斬るつもりだ?」
低く響くレイナの声に、ユリウスはピタッと動きを止めた。
「え? えーと、あれです。こう、敵の腕を──」
「それじゃ自分の腰を斬りそうだな」
「……えっ、あ、確かに」
ユリウスは苦笑しながら木剣を下ろした。
ここ数日、毎朝欠かさず鍛錬を続けている。が、進歩は……まあ、あるにはある。少しだけ。
「……動きはまだ遅いが、力は前よりついてきた。素振りは嘘をつかないな」
「ほんとですか!? やった……」
満面の笑み。
レイナは少しだけ目をそらした。
(なんだその顔は……)
褒められて嬉しそうに笑う男の顔が、妙に胸に引っかかる。
「でもまあ、そろそろご飯の時間ですね! 今日はレイナさんの分も用意してきました!」
「お、おう……」
ユリウスが包みから取り出したのは、小さな籠。中にはふかふかの卵パンと、香草入りのポトフ。
「……なんで毎回、こんなにうまそうなんだ」
「戦士が鍛錬するには、ちゃんとした食事が必要ですから。あ、それでですね──」
もぐもぐと頬を膨らませながら、ユリウスが言う。
「明日、町の市でスパイスが安売りされるんですよ。よければ一緒に行きませんか?」
「……市?」
「はい。にぎやかで楽しいですよ。あ、でも苦手でしたか……?」
「別に、そういうわけじゃ……」
市なんて、何年ぶりだろう。
レイナの世界は、戦場と鍛錬場でできていた。香辛料の値段も、甘味の匂いも知らなかった。
「……行くなら、早朝に済ませろ。人混みは苦手だ」
「了解です。じゃあ明日の朝、門のところで」
「……ああ」
小さな予定ができただけなのに、どこか胸が落ち着かない。
レイナはふと、気づかぬうちに笑っている自分に戸惑った。
──その翌朝。
門の前で待っていても、ユリウスは来なかった。
(……寝坊か?)
いや、あの男がそれをするとは思えない。
何かあったのかと、小屋を覗きに行けば──
「あ……すみません!寝坊じゃなくて、その……ちょっと用事があって!」
慌てて荷物をまとめて出てくるユリウス。
「用事?」
「えっと……その、まあ……少しだけ……」
はぐらかすような態度に、レイナは眉をひそめた。
「……なあ、お前、私に何か隠してるか?」
「えっ……! い、いえ! 別に、そんな……!」
「……ふん。まあいい。行くぞ、市に」
それ以上は追及しなかった。
なんとなく、問い詰めたら壊れそうな空気だったから。
市へ向かう道すがら、レイナは空を見上げた。
(……こういうの、妙に疲れるな)
剣の方が、よほど簡単だった。
だけど、隣で楽しげに話すユリウスを見ていると──
その“ややこしさ”も、悪くない気がしていた。