表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/12

鉄の女、包丁を握る

翌朝。空は鈍い灰色に曇っていた。


 鍛錬場に立つレイナは、剣を持っていない。代わりに彼女の手には、一本の包丁。


「こう……か?」


「いえ、それだと指を切っちゃいます。もっと猫の手、こうやって……」


 ユリウスが彼女の手をとって、優しく形を整える。


 その瞬間、レイナの心臓がトン、と強く鳴った。


 ──何だ、今のは。


 彼女は何百の死地をくぐり抜けてきた。

 だが、手を触れられて顔が熱くなるなどという感情は、初めてだった。


「ごめんなさい、痛くなかったですか?」


「……いや。問題ない」


 彼女はわざとそっけなく返す。だが、指先がほんのり熱い。


 今朝の稽古は、ユリウスの希望でお休みになった。代わりに、彼が提案したのだ。


「レイナさんも、料理……覚えてみませんか?」


 剣のことしか知らないこの女に、果たして料理などできるのか。

 本人が一番、疑問に思っていた。


「私は剣で人を斬ることはできるが、野菜を斬ることには自信がない」


「大丈夫です。斬るというより、“刻む”ですから」


「似たようなもんじゃないか……」


 ユリウスは笑った。

 その笑顔に、どこか陽だまりのようなぬくもりがある。

 レイナは少しだけ目を逸らした。


 この日、彼女が教わったのは「野菜炒め」。

 切る、炒める、味を調える──その全てが初体験。


 しかし、戦場で鍛えた集中力がここで発揮される。


「ふむ……塩と、胡椒。これで……よし」


「すごい、初めてとは思えません!」


 ユリウスの言葉に、レイナは鼻を鳴らす。


「当然だ。訓練と実戦を重ねれば、どんな武器でも使いこなせる。包丁も然りだ」


「じゃあ、これからは僕と一緒に……たまには料理、してくれます?」


「考えておこう」


 視線は鍋に向けたまま。でもほんの一瞬、唇の端がかすかに上がった。


 ──そして、その夜。


 二人は薪をくべた炉の前に座り、作った料理を分け合っていた。


 火の音が、パチパチと静かに鳴っている。

 レイナが一口食べ、ゆっくりと目を閉じた。


「……悪くない」


「ほんとですか? よかった……」


 嬉しそうに笑うユリウス。その笑顔を、レイナは少しだけ長く見つめていた。


 この男は弱い。剣の筋もろくに通っていない。

 だが、彼には別の強さがある。


 傷ついた心に寄り添うような、柔らかな手のひら。

 戦場の鉄と血の臭いでは決して手に入らなかった、温かさ。


 ──まさか、自分が、こんなふうに誰かと食事をする日が来るとは。


 火の揺らめきが、二人の影を寄せ合って映し出していた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ