お隣さんが死んだらしい
お隣さんが死んだらしい。
仕事から帰ると住んでいるマンションの前にパトカーが駐車していた。近くに集まっていた野次馬の一人に何があったのか聞いてみると、うちのマンションで死人が出たとのことらしい。
俺はマンションを見上げ、警察が出入りしている部屋を見つける。そして、その部屋はまさに俺が住んでいる部屋の隣だということに気がつくのだった。
お隣さんの死因は自殺だったらしい。
お隣さんが死んだ翌日、警察が俺の家にやってきた。なんでもお隣さんの検死をやっているらしい。ひょっとして他殺ですか? と俺が聞くと、警察は首を横に振った。遺体の発見状況から見て自殺で間違いないが、念の為事件性がないかを調べているんだと教えてくれた。
「昨日の夕方ですが、どちらにいらっしゃいました?」
「その時間帯はずっと会社にいました」
「隣の方とは面識などはありましたか?」
「いえ……。生活音などは聞こえていたんですが、外出する時間がずれているのか一度も顔を見たことがなくて、正直どのような方が住んでいたのかさえわからないんです」
「まあ、今の時代はそういうものですからね。ご協力ありがとうございました」
そう言って警察はあっさりと帰って行った。
お隣さんは俺と同じ、四十代の独身男性だったらしい。
休日。やけに外が騒がしいなと思って外を見て見たら、隣の部屋から荷物が運び出されている最中だった。家具はどれも単身者用のもので、時々、俺が学生の頃に流行ったアニメのグッズが入ったケースが運び出されていた。
その荷物を見て、同じくらいの年齢の男だったんだなと俺は思った。もし一度でも会って話をしていたら意外と気が合ったかもしれない。ふとそんなことを考えたけれど、それがわかったところで今更どうにもならない。俺はそのまま部屋に戻った。
お隣さんには別れた妻と娘がいたらしい。
荷物搬出の音が聞こえなくなってきたくらいで、玄関のチャイムが鳴る。誰だろうと思ってインターホンを見ると、そこには大学生くらいの若い女性が立っていた。
隣に住んでいた風間雅弘の娘です。彼女は玄関でそう名乗った。俺はそこで初めてお隣さんの名前を知った。何のようでしょうか? と俺は彼女に尋ねる。彼女は少しだけ躊躇った後で、父が自殺する前に何か交流があったりしたかを伺いたくてと呟いた。
「離婚してからの父が、どんな生活を送っていたかを少しでも知ることができたらって思ってたんです。突然お伺いしてすみませんでした」
そう言ってお隣さんの娘は頭を下げ、帰って行った。俺は彼女の背中を見送った後で、そのまま玄関の扉を閉め、部屋に戻った。
お隣さんの離婚原因は妻の不倫だったらしい。
お隣さんの娘だという人が家に来て以来、俺は今になってお隣さんのことが気になり始めた。お隣さんが死ぬ前は一切興味関心もなかったはずのに。
俺は娘さんに教えてもらった名前とこのマンションの住所から、何か情報が出て来ないかとネットを調べてみる。もちろん今の時代、そんな簡単に個人情報が手に入るわけもなく、お隣さんに関する情報は簡単には手に入るはずもない。
それでも。何が自分を動かしているのかはわからなかったが、俺は粘り強く彼のことを調べ続けた。すると、俺はある一つのsnsアカウントに辿り着く。そのsnsに投稿された内容や毎日更新されていた投稿が終わっている日付、それを踏まえるとそれがお隣さんのsnsアカウントだという可能性が非常に高かった。
俺は見つけたアカウントの投稿を過去に遡って見ていく。すると、数年前に彼が自分の離婚について自分の感情を爆発させている投稿を見つける。そこには関係者が見たら一発でバレるんじゃないかと思うくらいに詳細な離婚話が綴られていた。
そこには自分の妻が不倫したこと、不倫相手と結婚するために離婚して欲しいと相手に要求されたこと、そして一人娘の親権は渡さないと言われたこと、そんなことが書かれていた。
ドロドロの離婚調停の結果、慰謝料と引き換えに妻側の要求が全て受け入れられるという形で決着したらしい。お隣さんは裁判官を、妻を、不倫相手を、そして妻側について行きたいと言った自分の娘さえも呪っていた。
お隣さんは親しい友人もいない、孤独な人間だったらしい。
俺はお隣さんのsnsを何度も何度も読み返し、彼の人生を追いかけた。彼はいつだって一人だった。離婚の苦しみを受け止めてくれたり、慰めてくれる友達はいなかった。彼は現実から逃げるように酒に溺れ、会社をクビになり、最後の方はずっと部屋に引き篭もる生活をしていたらしい。
『真面目に生きてきたつもりだったのに、どうして』
お隣さんが死ぬ直前の投稿はこんな言葉で締めくくられていた。俺はその叫びにも似た問いかけを考える。もしお隣さんに誰か自分の苦しみを理解してくれる人がいてくれたなら、また違った結末になったのかもしれないと。
お隣さんが新しく引っ越してきたらしい。
買い物から帰ると引越し業者のトラックがマンションの前に駐車していて、隣の部屋の郵便受けにずっと貼られていたテープが剥がされていた。
今まで隣にどのような人が住んでいるのか、そんなこと俺にはどうでも良かった。都会では、隣に誰が住んでいるかとかを知っておく必要はないし、むしろ隣の人に自分の存在や素性を知られることの方がずっとデメリットが大きい。
でも、前のお隣さんは、だからこそ死んでしまったのかもしれない。一人で、誰とも関わることなく、孤独を呪いながら。もし俺が、お隣さんと少しでも関わりを持っていたら、また別の結末が待っていたのかもしれない。俺は最近、よくそんなことを考えていた。
お隣さんは今部屋にいるらしい。
隣の部屋の玄関が開き、廊下をどかどかと歩く音が聞こえてくる。俺は意を決して立ち上がり、部屋の外に出て隣の部屋の玄関のチャイムを押す。
自分でも何をしてるのかわからなかった。ただあるのはこうすべきだという考え。それだけ。玄関の向こう側でお隣さんの足音が近づいてくるのがわかった。そして玄関の扉を挟んだすぐ近くで足音が止まる。
姿は見えないが、確かにそこに人に気配があった。俺はぐっと息を呑み、お隣さんが玄関の扉を開けるのを待つ。
俺はお隣さんが扉を開けるのを待ち続けた。しかし、そこにいるはずのお隣さんは、玄関の扉を開けようとしなかった。俺はもう一度玄関のチャイムを鳴らす。しかし、再び待ち続けても玄関の扉が開くことはなかった。
俺はしばらくその場で立ち尽くした後、そのままお隣の玄関を離れ、自分の部屋に戻る。そして玄関の扉を開け、家の中に入ろうとしたその時、隣の部屋から小さな声で「怖っ」と呟く声が聞こえたような気がした。
俺はその声をかき消すように扉を閉める。そしてお隣さんの言葉を思い出しながら、理解するのだった。
お隣さんは、どうやらお隣さんのままでいたいらしい。