そんなわけないでしょう!
私の所へ駆け寄ったエアリルは、ウットリした顔でこんなことを言う。
「ラブラブですね! 見ていてドキドキです。下手なロマンス小説より、楽しめました!」
「どこをどう見たら、そうなるのかしら!?」
「まずですね。昨晩、馬車の中で眠りに落ちたお嬢様を、お姫様抱っこで部屋へ連れて行ったのは、旦那様なのですよ! 従者の方が『自分がお連れしましょうか?』と尋ねたら、『彼女は自分の妻になる大切な女性だ。これは夫になる自分の務め。すまないが、誰にもこの役目を譲るつもりない』ときっぱり言い切り、お連れしたのです」
「そ、そうなの!?」
「はい。先に早馬を向かわせ、この部屋も用意くださって。わざわざお嬢様のために、準備されたお部屋です。部屋の配色は、お嬢様の瞳の色を意識していますし、ウォークインクローゼットには数着ですが、ドレスもありました」
さらに靴、日傘、扇子なども揃えられ、ドレッサーの引き出しにはお化粧品や宝飾品まであると言う。
「お嬢様専属で配属されたメイドによると、早馬の知らせが届いた瞬間から、スターフォード伯爵が命じ、あっという間に部屋が整えられたそうです。婚約者ができたら、こうするようにという指示書がでていたようですよ」
それは婚約契約書と同じね。レオニスが急に婚約してもいいとなった時、その婚約者を逃さない(?)よう、彼の父親であるスターフォード伯爵が、指示書を用意していたに違いないわ。つまり調度品など、この部屋にあわせ、あらかじめ計画的に用意されていたのだろう。
「それに旦那様は、自らお嬢様の足首の怪我の手当てもされたのですよ。その後、私と専属メイドでお休みの準備をしました。すると再び旦那様が来て、お嬢様の様子を確認し、額に『チュッ』って!」
エアリルの話を聞きながら、紅茶を飲み、婚約契約書に目を走らせるという、聖徳太子もどきの同時進行をしていた。でも「額に『チュッ』って!」というエアリルの言葉に、紅茶を吹き出しそうになった。
「な、エアリル、何よ、そ、その、ひ、額に……」
「ですから、おでこにキスですよ!」
「キ、キ、キッスぅ」
声が裏返り、変な叫び声をあげている。
「でもあれですよね、額へのキスなんて、司祭が祝福を与える仕草。婚約者なんですから、唇か頬にキスでいいのに!」
「な、何を言っているの、エアリル! 早く傷が治るようにって、祝福をしてくれたのよ! ……もしかしてさっきも、していた?」
心臓が、バクバクしていた。
「はい! お部屋に来て、足首の様子を確認し、それからお嬢様の寝顔を確認した後。昨晩と同じで、額へ」
「わーーーっ!」
「お、お嬢様、どうしました!?」
「な、なんでもないわ。というか、今朝のも祝福よ、祝福」
しかもエアリルの話を聞くに、額にキスをしていただけで、谷間なんて見ていないと言うのだから……。
「それにお嬢様、『何を期待したんだ?』って聞かれたら、『レオニス様のキスです!』ぐらい言えばよかったのでは!? そうしたら旦那様、どんな反応を……想像するだけでドキドキします!」
「エアリル! 私はまだ正式な婚約者にすらなっていないのよ。キ、キッスをねだるなんて。ダメよ、そんなの!」
「もう、お嬢様ったら初心なんですから~。でもだからこそ、パトリック殿下とも何もなかったですもんね」
それはパトリックが、ヒロインの攻略対象であり、断罪を告げる相手だったからだ。しかも攻略対象の誰一人として好きにならないと、覚悟を決めていたからであり……。パトリックが手をつないだり、キスをしたり、スキンシップ求めている――そう感じることはあった。でもすべて見て見ぬフリをしていた。
「あと、『婚約者として当然のことをしたまでだ』と言った時の旦那様! 瞬間的に赤くなっていましたよ。お可愛い姿でした」
見間違いかと思ったけど、やはり赤くなっていたのね。
照れていたのかしら? まさかね。
「それにしても紅茶の話になった時、お嬢様が言った言葉は解せません。確かに出会ったばかりで、いきなりの婚約。お互いをまだ知らないため、惚れるも惚れないも、まだないのかもしれませんが……」
そこでエアリルは頬を膨らませる。今日のエアリルは、いつになく表情が豊かだ。
「レオニス様は、お嬢様の様子を心配し、かつアーリー・モーニング・ティーをいれるために、わざわざ部屋に来てくださったのに。『惚れ直した!』と、噓も方便で言ってしまってよかったのではないですか?」
「えっ!?」
「せめて『今はまだ、愛は生まれていません。これから育むのですよね?』くらいにしていただきたかったですね。レオニス様、一瞬、とても悲しい顔をしていましたよ!」
「そんなわけないでしょう!」
エアリルは夢小説の妄想が、まだ続いているのだわ。
だって昨晩の舞踏会でのレオニスの言葉を、聞いていないから。