へたっぴなリボン結び。
抱きしめられる――。
そう思い、身構えた。
だが、ふわりと両肩にかけられたのは……ラベンダー色のショールだった。
「なんだ、また何か期待したのか」「していません!」
噛みつく勢いの私に対し、寛いだ様子のレオニスは、昨日と同じ。
私の頭に手をのせると「まだ初春で冷える。ちゃんとそのショールを巻け」と優しく撫でる。そして不器用にショールの端でリボン結びを作る。
左右のバランスがとれていない、へたっぴなリボン結び。
それなのに胸の奥が、キュンと切なくときめく。
な、なんなの……!
昨日といい、今日といい。
腐っても公爵令嬢、妃教育を受けた使い道がある女みたいに私を評したくせに。足首を痛めていることに気づき、薬を飲ませてくれたり、ショールを肩からかける気遣いをみせたり。
なんだか、調子が狂うじゃない!
胸の奥で感じる感情を打ち消すように、足首の様子を確認すると、きちんと包帯が巻かれている。
「多くの仲間の怪我を見てきた。その経験から判断するに、少し筋を痛めだけだ。錬金術師に回復のポーションを依頼したから、それをちゃんと飲めば、支障なく動けるようになる。だがヒールの高い靴は、履くな。それにあまり動き回らないこと。」
「……わざわざポーションを……!」
魔獣に害されても問題ない女――そう言い切ったのに。高価なポーションを手配するなんて、奇跡だと思った。
「レオニス様の魔獣討伐の戦歴と経験、そこで助けた仲間の騎士の命。実戦で学んだことは、まさに怪我の治療の実地経験だと思います。レオニス様の見立てに感謝しつつ……私のためにポーションを手配いただけたこと、嬉しく思います。……ありがとうございます」
ベッドで上半身を起こしている状態だったので、胸に手を当て、礼をする。
やはりエロ騎士であろうと、誠意を尽くしてくれたのだから、自然と感謝の気持ちは表現したくなっていた。
「そこまで礼を言われるようなことはしていない。……婚約者として、当然のことをしたまでだ」
フイッと横を向いたレオニスの頬が、一瞬赤く見えたのは……気のせいだ。
どこかで期待する自分に喝をいれる。
「朝食の話が出たので、身支度を整えようと思います」
さりげなく部屋を出て行って欲しいと促すと、レオニスはベッドの脇のサイドテーブルに手を伸ばした。
そこに置かれていた書類を手に持つと、広げて私に見せる。
寝起きから見るには、文字がやけにびっしり書き込まれていた。
手紙か何かと思ったが、違う。
「そ、それは……婚約契約書!」
「さすがだな、ジェニー。表紙を見せず、三枚目を見せたのに、瞬時に理解するとは。妃教育の賜物か?」
それはその通りだ。王族に届く手紙や書類の類は、一日だけでも相当な数になる。速読術ではないが、瞬時に何が書かれているか判断し、重要であるならばさらにじっくり読む。そうでないものは順位付けをする。それが当たり前にできないと、ダメだったのだから。
レオニスは婚約契約書を私に渡し、ベッドから立ち上がる。
「俺は騎士団に所属してから、再三、婚約するようにと、父上から言われ続けた。だがそれは無視だ。理由は昨晩言った通りだ。婚約者なんて作ったら、ない弱点を作るようなものだからな。だが父上は諦めなかった」
部屋に運び込まれていたワゴンに向かったレオニスは、何をしているのかと思ったら。アーリー・モーニング・ティーを用意している。
「俺が落馬でもして頭を打ち、性格が変わったり、突然結婚してもいいと言い出したりする可能性に、父上は賭けた。そんな奇跡に備え、婚約契約書を用意していたわけだ。いつでも婚約できるように」
レオニスの父親が、強引に婚約者を作るよう、彼に求めなかった理由。それは明白だ。
魔獣討伐は過酷で、並みの兵士では魔獣を倒せない。その戦歴は、王立イーグル騎士団であり、レオニスだから成し遂げている偉業の数々だった。その実力は、エロ騎士であるが、認めざるを得ない。
つまり魔獣討伐にレオニスが挑むことを、国王陛下は求めた。結婚よりも。それなのに彼の父親が「婚約者を作れ」と言っている場合ではない。今、彼に結婚話が浮上しているのは、北部のノースフォレストの魔獣殲滅という悲願を成し遂げたからだ。ノースフォレストこそが魔獣の本拠地。ここを叩いたのなら、後は全土に散らばる少数の魔獣を討伐すれば済む。つまり魔獣討伐は、ひと段落ついた状態なのだ。
「写しはジェニーの父君、ラザフォード公爵家にも送ってある。今日は新聞の代わりに、この契約書でも読みながら、紅茶を楽しむといい」
そう言うとレオニスは、淹れたてのミルクティーを差し出してくれる。
「……ありがとうございます」
紅茶は普通に美味しい。討伐で野営も多いから、自身で紅茶を入れることもあるのだろう。思わず、ホッとして私の表情が緩むと。
「なんだ。紅茶一杯で惚れ直したか?」
「!? 惚れ直す!? なんの話ですか? 惚れるも何も、私とレオニス様の間に、愛なんてないのですよね!?」
レオニスは「……そうだな」と、なんとも皮肉な笑みを浮かべる。
「ただ、尊敬の念は深まりました。怪我の見立てができるところや紅茶をちゃんと淹れることができるところに。それだけ魔獣討伐が大変なものであり、それを乗り越えたレオニス様はすごいのだと。……何よりも魔獣に害されても構わない婚約者のために、ポーションを手配いただけること。これに感謝しています」
最後は嫌味だったかな……。
そう思いながらレオニスを見ると、彼は顔を手で覆い、横を向いている。
これは……皮肉な笑みを、これ以上私に見せては酷になると、憐れんでくれているのかしら?
「ともかく、この後は朝食だ。時間になったら知らせる。……エアリル、お前の主は怪我をしているんだ。頼んだぞ」
「はい、旦那様!」
エアリルはニコニコ笑顔でレオニスを見送り、私のところへ駆けてくる。