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川と海をまたにかけて  作者: 桜乃 海月
3/3

過去と現実の重なるところ

 いつもと変わらない水の中。この川は今日も平和だ。

 長年この川を見守っていた先代の女王は、川を浄化するためにその命を終えた。この川で一番素質があるからと、あれよあれよと次の女王に私は選ばれてしまった。

 今の女王の次はと昔からいわれていたものの、そんな番がこないうちにまた新たに力の強い子が生まれてくるんじゃないかと腹をくくっていた私は、自分の運命にあらがう暇もなく今の座について、引き継いだ仕事を淡々とこなす日々を送っている。

 ここは平和な川だ。他の川なんて知らないけれど、問題なんて起こったためしがない。近くに人間が住んで、この川の水を汚すまでは。

 でもそれも昔の話しとなりつつある。先代が川を一度浄化する少し前から、汚染されることは減って、今では自然の力で充分に綺麗な水を保てている。

 だから私は、このままここでつまらない日々を平穏に過ごしていくんだろうな。

 いつかこの世界の外を見てみたいと夢見ていたのはいつの頃だったかな。女王になる前は夢見ていたけれど、女王になってしまっては、ここから外に行くことは余計に叶わなくなってしまった。

 何度も考えていることを頭の中でぐるぐる回しながら、私は目的の場所へと向かっている。単調なこんな生活だけれど密かな楽しみがその場所にはある。

 違う世界の男の人。その彼の瞳の力強さにいつも胸がときめいた。

 水を汚す人間。先代が命を終えることになってしまった元凶。そんな人間の男に私は恋をしてしまった。悪い人間もいい人間もいることは知っているし、この男の人はいい人間だと信じている。

 今日も彼は来るかしら。いつも同じような時間にくるから急がなきゃ。

 心を弾ませながら泳いでいると、見覚えのない精霊が漂っているのが目に入る。

 のんびり昼寝でもしているといった雰囲気でもなさそうで、慌てて近寄ると生きているのか怪しいくらいに息が細い。よく見ると顔がげっそりこけていてかなり衰弱しているようだった。

「ねぇ、あなた一体どうしたの? こんなにぼろぼろで」

 声をかけてみるが反応がない。

 何か自分たちとは違う雰囲気を感じながらも家に連れ帰って手当をすることにした。

 この川では見たことがない。新しく生まれてきたところだとしてもこんなに弱っているのはおかしい。

 川の外から来た? 手当の最中に頭をよぎった考えにそんなことがあるはずがないと、頭を振る。

 私は綺麗な水が染みだす場所と家を何度も往復して、見知らぬ精霊の看病に努めた。

 三日三晩経った頃、ようやく精霊は目を開ける。

「えっと、ここは? あなたは?」

 呟くようにいった細い声。私は刺激を与えないように小さくなるべく優しい声になるように気をつけて答えた。

「ここは私の家。私はコモチといいます。あなたは?」

「私はミソカ。あなたが看病してくれたのね。ありがとう」

 それだけいえとミソカはまた目を閉じてしまう。

 回復していっていることに安心したものの、まだ弱っていることには変わりない。

 ただ、もう付きっきりの看病ではなくてもいいだろうと、女王としての務めを再開しつつ、ミソカの看病をする日々を私は送ることにした。


 一週間もすればミソカはそこら辺を自由に泳ぎ回るくらいに元気になった。

 よくしゃべり、よく笑うミソカがいる生活は、それだけで明るく張りがある。

「ねぇ、ミソカはどこから来たの」

 この川に馴染み帰ろうとする素振りを見せないミソカのことは、ここにいて欲しいからこそ余計に気になってしまう。

「いってなかったっけ? 私は海から来たのよ」

「海!?」

 外から来たのではと思ってはいたが、いざ本人の口から聞く衝撃は大きい。

「そう。この特別なピアスがそれを可能にしてくれてる」

 そういいながら耳のピアスにミソカは触れる。今まで気づかなかったわけではないが、改めて見てみると海の力がギュッと凝縮されたような深い藍色をした丸い石が付いていた。

「私ね、海から逃げてきたんだ。ただ広いだけで、自由なんてない海から、決められた運命が嫌でさ。だからさ、ここにずっといてもいい?」

 見たことのない沈んだ顔で語った後、ミソカはにこやかに聞いてくる。それなりに苦労してここへたどり付いたことがうかがえた。

「もちろんよ。ずっとここにいてくれて構わないわ」

 手を取ってそういうと、見たことのないくらいにこやかな笑顔でミソカは頷く。

 昔から私には友だちがいなかった。

 女王になる素質。

 精霊は水から生まれ出た時、水とは少し違うものになる。水と精霊との境界線があやふやな存在。それが女王になれる素質。水にどれだけ溶け込めるか、一体になれるかというところが鍵だ。

 私は水を通してこの川に起こっている変化はもちろん、他の精霊の位置や感情などがなんとなくわかる力を持っている。

 その力のせいで女王にされ、感情を見透かされるのは気持ち悪いと川のみんなには距離を置かれた。女王になってよかったとは感じていない。強いていうなら、女王であることが唯一の居場所だと安心できることだろうか。

 ミソカは他の場所から来たからか、私は気持ちを感じ取ることも、どこにいるのかもわからない。それが心地よかった。


 川はいつものように平穏で、ミソカがいる生活にも慣れた頃。私は久しぶりに男の人をゆっくりと待っていた。この場所にはちょくちょくきていたし、何度か見かけることもできていたけれど、ミソカが気になってここでゆっくり過ごす時間は久しく取れなかったのだ。

 やがて現れた男の人はいつもの場所でじっと私のことを見つめる。

「ねぇ、何しているの?」

 突然の声にびくりと震えた。振り返るとミソカが不思議そうに私を見てから上を見上げた。

「人間の男じゃん。やけに思い詰めたような顔してんね。でもちょっとかっこいいかも。この男を見に出かけてたのか」

 納得したといった顔で、ミソカは私をにやりと見つめる。

「好きなの?」

 その言葉に頬がかっと熱くなる。

 人間に恋心なんてここでは考えられないことだった。それなのに、ミソカは相手が同じ精霊かのように当たり前に好きかと聞いてくる。だから、思わず頷いてしまった。

 好きでもいい。ミソカは受け入れてくれるのか。

「それなら私に力にならせてよ」

 いきなり手を握られてそういわれた。

「助けてくれた恩返しをずっとしたいって思ってたの。コモチがあの男と話したいっていうなら、そうできる力が私にはあるんだよ? コモチの願いを教えて?」

 あの人と話せる。あの瞳に見つめてもらうことを何度夢見ただろう。でも、本当にそんな力がミソカにあるんだろうか。それでも物は試しと私は願いを口にすることにした。

「あの人に見つめられたいの。できるなら話しだってしたいわ」

「任せて。明日コモチをあの男に会わせてあげる」

 ミソカとそんな話しをしている間に男は立ち上がって行ってしまう。

 それを見たミソカは私の手を取って家へと向かって泳ぎだす。

「本当はいけないことなんだけど、コモチなら大丈夫だと思うの。このピアスを耳につけて」

 家に着いてからミソカはいつもと違い、真剣に声のトーンを落として秘密を打ち明けるように話した。

 片耳のピアスを外して、私にそっと手渡したミソカ。手の平に乗る小さなピアスを見つめる。

 いつも大事に身に着け、たまにそこにあるか確認するように触れていた。

「これ、大事なものなんでしょ?」

 言葉と同時にミソカにピアスの乗った手を差し出す。その手の指を包みながら押し返される。

「とっても大事なもの。でも、コモチの願いを叶えるにはこの方法しかないし、私はコモチを信じているから。このピアスをして体になじませておいて」

 ミソカにいわれるまま、私はピアスを耳に刺す。ちくっと一瞬痛んだが、少しすれば着けていることを忘れてしまうくらいに違和感はなくなった。


「ねぇ、コモチ。恋ってどんな感じ?」

 私とミソカは夜、並んで眠る。お休みといったミソカはいつもすぐ寝息をたてだすのに、今日は聞こえないなと思っていたところだった。

「ふわふわする感じかしら。気づいたらあの男の人のことを考えていて、会いたくなって。全部捨ててここから飛び出して、隣に座れたらどんなに素敵だろうって思うこともあるわ」

 初めて話す気持ちはどこまでしゃべればいいものかわからず、ただ溢れ出す。

「そっかぁ。なんかいいなぁ」

 らしくない声音に私は不思議に思う。

「どうしてそんなこと聞くの?」

 しばらくミソカから言葉は返ってこない。寝ちゃったのかな? そう思った時だった。

「私ね、好きになるってまだわからなくて。私の家は決められた人と結婚するのが決まりだし、好きを知らなくてもいいんだけどさ、ある話に憧れてるの。聞いてくれる?」

 あまり自分のことやここに来る前のことを話さないミソカが、自分から話してくれるのを嬉しく思って、私は「うん、いいよ」となるべくさりげなさを装って話しを促す。

「人間に恋をした人魚の話しなの。人魚は海から出て人間と暮らす。でも、その恋は実らず泡となって消える運命が決まる。そこに男の命と引き換えに助かることができるといわれるんだけど、結局男を殺せず身を投げるの」

 私はただ黙って聞いていた。

「そこまで誰かを大切に思えたら素敵だなって思ったの。私は今まで誰かをそこまで大事に思ったことがなくて、なのに水の中に生きるもの全てを愛し守りなさいなんて、無理なこと吹っ掛けられるんだもん。逃げたくもなるって」

 海ではそんなことをいわれるのかと眠りにつこうとぼんやりする頭で思っていた。

「だから、コモチの恋を応援している内に何かわかるかなとか思ってるとこもあるんだよね」

 ミソカの声が遠くに聞こえる。私はいつの間にか瞼が重く閉じていく。


 男の人がいつも来る時間の少し前。私とミソカはいつもの場所の近くの水辺で話していた。

「これから人間にするからね。後は上手くやって」

「人間にって……上手くって……私どうしたら……」

「難しく考えずに素直に話したらいいんじゃない? 早く、男がきちゃう」

 水の浅いところまで私を押しやって、ミソカは耳のピアス触れる。光りだしたピアスに共鳴するように私の耳にあるピアスも光りだす。

 光に包まれて体がどこまでも大きく伸びていくような感覚がした。怖くなって目をぎゅっとつむっても、どこまでも伸びていく感覚が鮮明になるだけだった。

 目を開けると世界は鮮明でどこまでも広い。上を見れば水色の中に緑がちらつく。

 水の外で私は立っていた。体は重く、見上げた拍子にバランスを崩す。

 水草の中に尻もちを着いて、今まで感じたことのない痛みを感じる。

「大丈夫ですか?」

 その声に振り向くといつも私が見上げていた顔があった。

「えっ、あっ、大丈夫です」

 心臓がうるさく騒ぐ。頭の中は真っ白で何をいえばいいのかわからない。

「とりあえず、立ったら?」

 そういって差し出された手を握ると引き寄せられて、その腕にすがってなんとか立ち上がる。

「かなり汚れてるね」

 後ろを見ると白い服のお尻には泥と水草が張り付いていた。

「ここら辺で見たことないけど、名前なんていうの?」

「コモチです」

 男の人は私を頭の先からつま先まで見つめる。素敵だと思っていた瞳が私に向けられている。それだけで夢見心地でふわふわとする。

「かわいいね。最近引越してきたのかな?」

 聞かれている意味はよくわからなかったが、男の人が次々としてくる質問に曖昧に答えて続けながら夢見た時間がゆっくりと過ぎるように祈った。

「家で服洗ってあげようか?」

 その言葉にも曖昧に頷くと、男の人の腕が腰に回って私を抱き寄せて歩き出す。

 今まで出たこともなかった川から、私は男の人に連れられて離れていく。


 人間の家に入ることがあるなんて思ったことなかった。

 ごちゃごちゃとものが多い。頭に入る情報が多くてくらくらする。

 促されるままに移動して、服を脱いで、丹精込めて育てた苔よりもふかふかな場所に寝かされて、男の人は私を抱きしめた。


「川の外はどうだった?」

 川に戻ると私の体は元に戻り、ミソカが声をかけてくる。

 まだふわふわと現実感がなく、体験してきたことを言葉にできない。

「すごかった。信じられない体験だったわ。また逢いに来るって」

 男の人のことを思い出しながらうっとりとミソカに話した。

「よかったじゃない」

 自分のことのように嬉しそうにいってくれたミソカは、私の手を握ってくるくると回る。


 男の人はそれから頻繁に私を求めて逢いに来てくれた。男の家に向かって求められるがまま肌を重ねる。人間にとってそれが当たり前のことなんだと思った。

 人間の世界のことをテレビというものや、男から聞くたびに憧れは減っていく。川の中よりもこの世界はずっと複雑で嫌なことも多いらしい。

 ふかふかのベッドの上で、何度も優しく抱きしめられて毎回幸せだったはずなのに、いつの間にか耐える時間になっていた。

 それでも、私を必要としてくれている。それに、たまに向けてくれる私が好きになった強い眼差しに惹きつけられてしまう。


 もう何度逢ったのかは数え切れなくなってきた頃。平和な川の中は私がいないからといっても変わりはなく、ミソカもいたから男の人が許す限り一緒に過ごしていた。

 男の人しか見えていなかった。

「俺今度引っ越すんだ」

 耐える時間が終わって、腕の中で温もりを感じている幸せな時間。

「どういうこと?」

 最初はわかったふりして返事をしていたけれど、素直にどういうことかと聞いた方が男の人は喜ぶことを知ってからはなんでも聞いている。

「今日でもう会えない。あの川のところに朝行ってたのは、仕事首になっていくとこなかったから。妻が出かけるまで身を隠してたんだ」

 もう逢えない。その言葉だけが私の頭の中を駆け巡り、暴れまわる。

「妻にばれて、妻の実家に行くことになった。だから、今日で最後。コモチだっていい思いしたんだから、すっきり別れてくれよ」

 頭に言葉が入ってこない。もう私はいらないってこと? なんで笑っているのだろう。私はこんなにも悲しいのに。

 男の人の顔はどこかすっきりとしたようで、その瞳に私はもう映ってなさそうだった。

「もう私は必要ない?」

 出てきた言葉はそれだけだった。

「必要か不必要かでいったら、ある意味必要だけど。実際コモチじゃなくてもいいっていうか。最近ひしひしと俺しか見えてない感じがして重いって感じてたんだよな。丁度よかったんだって」

 そういいながら私から離れて、落ちていた服を男の人は拾った。私の服も拾って投げてよこす。早く着ろ。いわれなくても伝わってくる。

 服を着た私の腰に腕を回して歩くと、初めてここに来た日を思い出した。

 家の外に出る最後の一歩は手で背中を押されて、バランスを崩す。

「今まで楽しかったよ、さよなら」

 背中にかけられた言葉に振り返ると、扉はばたんと音を立てて閉まった。


 元々現実感のなかった人間の世界の男から終わりを告げられ、状況が上手く飲み込めずに感情も追いつかないまま川へと帰る。

 そういえば、最後まで名前も聞けなかったな。

 本来の姿に戻ってミソカに逢うと、目から自然に涙が溢れ出す。

 人間の世界の関わり方はまだ理解していない。それでも、とてもひどい扱いを受けた気がした。自分をないがしろにされたと感じる。

 ミソカの胸の中で散々泣いた。その間ミソカは何も聞かずに、ただ優しく抱きしめてくれていた。


 早く忘れなさい。外の世界であったことなんだし。

 やっと泣き止んで全部話した私にそういってくれたミソカ。

 忘れればいいんだ。そう簡単なことではないけれど、平和な川でミソカと過ごすうちに辛いことは薄れていった。

 人間になる必要がなくなったのでピアスを返そうとした。お守り代わりに着けてなさいと大事なものを預けてくれていることが嬉しかった。

 何をしていても男を思い出す時期を過ぎて、あの出来事を忘れる日も多くなってきた頃、体調がおかしいことを私は見て見ぬふりをしている。

 心なしかお腹が膨らんできている気がして、産卵の文字がかすめたけれど、精霊は産卵なんてしない。

 大きくなってくるお腹に気づいたミソカもそう思ったみたいで、しばらく川を出るわといって色々調べてくれた。

 戻ってきたミソカは、川の精霊の産卵などの前例は見つからなかったけれど、おそらく身ごもっていて、お腹の子が出てくるまではどうしようもないと教えてくれる。

 あの男の人との子ども。そう考えるだけで胸が痛んだ。膨れていくお腹に不安しかない。

 ミソカはそれから毎日私のお腹を愛でる。私よりもその成長を気にしている。

 その姿を見ているうちに、愛してもいいのかと思うようになった。お腹の中の子とあの男はもう関係ない。

 自然から生まれ出る精霊とは違い、お腹で動くわが子は異質なものかもしれない。それでも、私たちに望まれてこの世に生まれることができるんだ。

 産んでしっかりと育てる。そう決めてからは、この子が外に出てくるのが楽しみになった。


「ねぇ、名前何にするの?」

 体が重くなりほとんど動かない生活をしだしてから、ミソカは今まで以上におしゃべりをしてくれている。

「うーん、まだ決まってないわ。私たち川の精霊にはない習慣だし。ミソカならどんな名前を贈るの?」

 いつから私はコモチだったのか覚えていない。いつの間にか私はコモチだった。ミソカの世界では親から子どもが生まれてくるのは当たり前で、その時に名前を初めての贈り物とするらしい。

「私はね、人間の世界にすごく好きな楽器があるの。琴っていうのだけど、昔海辺で女の人が奏でているのを隠れて聞いていて、あの時間はとても幸せだった。その琴の音色で琴音なんて素敵だと思わない? でも、私たちの世界じゃ受け入れられないような名前でしょ?」

 決められた人と結婚する世界では贈り物も自由に選べないみたいだ。

「それなら、この子に贈って欲しいわ。半分人間なんだから問題ないでしょ」

 私の言葉にミソカの顔が輝きだす。

「いいの? 贈る! 琴音ちゃん早く顔を見せてね」

 そういいながらお腹を撫でるミソカ。

「まだ男の子か女の子かわからないじゃない。琴音くんかも」

「私にはわかる。きっと琴音ちゃんよ。コモチに似てかわいい女の子」

 そういったミソカの勘は当たっていて、その会話の数日後に私は死ぬほど苦しんで元気な女の子を産んだ。


 三人の生活は目まぐるしく、駆け抜けるように日々が過ぎていく。

 子育てをする世界から来たミソカの記憶を頼りに、琴音が無事に大きくなっていく手助けをする。

 私よりも異質な存在に、他の精霊は寄り付かないだろう。私みたいな思いはさせたくない。そう毎日思っていた。大きくなったら琴音は一人になってしまうかもしれない。

 大きくなる不安もミソカがいるから大丈夫だろうと思えた。

 私たちはここでずっと平和に暮らすのだ。それを疑うことはなかった。


 よくしゃべり、自由に泳ぎ回れるようになった琴音をミソカに任せて川の見回りに出る。帰れば二人に笑顔で出迎えられて、私は毎日幸せな日々を送っている。

「ただいま」

「お母さん、おかえりなさい!」

 帰ってきた私を見て飛びついてきた琴音。出迎えてくれたのは琴音だけだった。

「ミソカお姉ちゃんは?」

 ちゃっかりとお姉ちゃんと呼ばせているミソカ。

「ちょっと用事ができたからってさっき出かけたよ。琴音はいい子でお留守番してた!」

 にこにこと見上げてくる琴音の頭を撫で、どこか胸騒ぎを感じていた。ミソカに何かあったのでは? その疑問はどんどん膨らむ。

 私はかがんで琴音のあの男の人に似ている瞳を見つめた。

「お母さん、ミソカお姉ちゃん探しに行こうかと思うの。もう少しお留守番できる?」

 琴音はこくんと頷く。

「いい子にしてたら三人で遊べる?」

 首をかしげる琴音に大きく頷き、

「なるべく早く帰ってくるからね」

 ともう一度頭を撫でて私は外へと出た。

 探そうとは思ったものの、どこから探せばいいのかわからない。

 あてもなくさまよっていると、岩陰から人の話声が聞こえた。

 こっそり覗いてみるとそこには、見かけたことのない精霊とミソカが向かい合っている。

 二人の間には大きな泡。よく見るとその泡には顔が浮かんでいる。

「人間……子ども……。……あってはならない……」

 聞こえてくる単語から琴音のことを話しているのだろうということがなんとなくわかった。

「黙って……禁忌……見逃すわけには……」

 泡の人が話し終わったのか、ここまではっきりきこえそうなため息をミソカは吐く。

「どうしろというのですか?」

 ミソカの声ははっきりと聞こえた。

「わかって……だろう? 女王の椅子……見逃す……」

 目をつぶっては息を吐き出し、ミソカは心底嫌そうに言葉を紡ぐ。

「わかりました、女王陛下。その椅子に私が座れば見逃してくれるのですね。二人に何もしないと約束してくれるのですね」

 泡が消えて知らない精霊は泳ぎ去った。ミソカはしばらく立ち尽くしている。

 私と琴音を守るために。ミソカは嫌だといっていた場所に帰るということなのだろうか。

 盗み見をしていたことがばれないように、私はミソカが動き出すよりも早く家へと向かう。頭の中はミソカのことで一杯だった。


 少し遅れて帰ってきたミソカの様子はいつもと変わりない。

 たくさん遊んでもらった琴音は早くからぐっすりと眠ってしまった。

「ねえ、これから帰ろうかと思ってるの。琴音ちゃんのことはよろしくね」

 聞きたくなかった言葉が耳に入る。

「どうしてもその場所が嫌だったからここまできたんでしょ? 逃げてきたんでしょ?」

 私の言葉にミソカは振り向かず、目をそらしたまま口を開く。

「守らないといけないものができちゃったからさ。琴音ちゃんは私たち二人の宝物でしょ。だから私頑張れる。それにここでなりたくもなかった女王になっても恋して子ども産んで頑張ってるコモチを見てきたし」

 笑って振り向いたミソカの瞳は潤んで光って見える。

「私誰かと話しているの聞いちゃったの。琴音の存在がバレてしまったんでしょ? 三人で逃げてもいいわ」

 そういった私にミソカは首を振る。

「逃げる生活なんて琴音ちゃんにさせたくない。大丈夫、気持ちは決まったの」

 家を出ようとするミソカの腕を慌てて掴んだ。

「明日でもいいじゃない。もう行ってしまうの?」

 私が掴んでいる手をもう片方の手で優しく撫でるミソカ。

「琴音ちゃんに逢ったら出づらくなっちゃうから。ピアス……返してくれる?」

 手を離して耳にあるピアスを外して手渡す。

 受け取ったミソカはそれを耳に着けて両手を前に出した。手の平と手の平の間に泡が集まっていく。

「ピアスの代わりにこれをもってて。泡球っていうの。何かあったらこれで連絡して。触れれば城に繋がるから」

 ふわふわ浮いている泡球を受け取り、ミソカは外に出た。

「あなたはどこに帰るの?」

 振り返ったミソカは不思議そうな顔をした後、あっと思い当たったのかいたずらがばれたような笑みを向けてくる。

「いってなかったっけ。私はここでいう水の精霊の王になるんだ。これから私は絶対的な権力を持つわけで、それを活用してくるわね。だから、安心して」

 水に関わる全ての精霊の王にミソカはなりに行くと聞いても、ピンとこない。

「じゃあまたね」

 最後にそういってミソカは暗い水の中、見たことのないスピードで泳ぎ去ってしまった。


 久しぶりに泡球に触れる。

 ミソカが帰ってしまってから最初は頻繁に連絡を取っていた。しかし、永久に使えるわけではなくいつかは割れてしまうと聞いてから、連絡は控えるようにした。琴音が漱という男の子に夢中になってからは特に。

「コモチ久しぶりじゃない。琴音ちゃんは元気? 何かあったの?」

 私は琴音が漱という男の子と約束をして海に出たいという話しの一部始終を話す。そして、逢えばきっと人間になりたいと思うようになるだろうということも。

「もう、久しぶりに連絡がきたと思ったら、問題をもってきて。そんなに大事なことずっと黙っていたなんて酷い。琴音ちゃんが人間になれるかどうかはその、漱? って子しだいだし、無理だったら海に暮らすままで、人間になれば全ての縁が切れて、もう繋がりが断ち切れてしまうことはどうしようもできないからね」

 大きなため息を一つして、ミソカは呆れながらも了承してくれたみたいだ。

「本当にありがとう」

 心の底から出た言葉。

「なんで、あんたなんかと仲良くなっちゃったのかしら」

 そんなことをいいながらも口元は緩んで見える。

「私はミソカと仲良くなれてよかったと思っているわよ。私と出会ったこと後悔しているの?」

 私の言葉にミソカはゆっくりと首を横に振る。

「いいえ。あなたに出会えたことは私の人生で一番幸福なできごと。また、コモチとのんびり暮らしたい」

 しみじみといわれ、胸がじーんとして苦しい。

「私もよ。ミソカ」

 一週間後に逢う約束をして泡球に触れると、ぱちんと弾けて消えてしまった。

 琴音のために逃げてきた場所に帰ったミソカ。今回も難しいお願いを通すために自分を犠牲にすることになるのかもしれない。私にできることならどんな恩返しもしようと、弾けた泡球のかけらを見ながら思った。


 姿を変えた琴音の後ろ姿がどんどん遠くなって見えなくなる。

「本当にありがとう」

 横に並んだミソカに声をかけた。

「まったく、親子して別世界の男に恋なんかしちゃってさ……。私のことを困らせるなんて、ほんといやんなっちゃう」

 その言葉とは裏腹に嫌そうな声音には聞こえない。

「ごめんね」

 一応の謝罪を口にする。

「琴音ちゃん、うまくいくといいわね。でも、漱くんとやらに口を出したら駄目だからね。私が困るというのをお忘れなきように」

 何かを思い出そうと漱が川に来た時はと思っていたのが見抜かれてしまったみたいだ。釘を刺されていても、私は琴音を幸せにするためなら約束を破ってしまうだろう。

「まあ、とりあえずは二人が出逢えるか……ね。じゃあ帰るわ」

 そういうとミソカはすいすいと海へといってしまう。

「えっ、ちょっとくらい……」

「琴音ちゃんのことでちょっと処理しないといけないことが残ってるの。また来るわね」

 言葉を遮っていうだけいうと、ミソカはぐんぐん泳いで行ってしまい見えなくなった。


 琴音に逢えたのかやっと漱が川に来た。少し言葉を交わし、私が覚えている二人が約束していた光景を水を通して見せる。

 漱には悪いがその時に、彼が見てきた琴音の姿を少しだけ見させてもらった。元気にやっているみたいで安心する。

 川から出た漱は一度頭を下げて離れていった。

 人間の世界を知らない琴音に色々と教えてあげて。二人がずっと幸せでありますように。そう思いながら見送る背中はすぐに見えなくなってしまう。

「口出し禁止っていったじゃん」

 急な声にびくりとして振り返ると、頬を膨らませて怒っていますという表情を作るミソカがいた。

「口は出してないわ。見せただけ。それに……」

「親が子供の幸せを願って何が悪いの」

 私の声を真似して言葉を引き継ぐミソカ。

「なんていわないわよね」

 意地悪そうにいうミソカに、全部わかっているじゃないなんて思う。

「まあ、過ぎたことをくよくよいっても仕方ない。そのぶん働いてもらおう」

 働く? ミソカの言葉に首をかしげる。

「川の精の女王の座なんかさっさと誰かに譲って、私の手伝いをしなさい。琴音ちゃんもいなくなってさみしいでしょ。これは水の精霊の女王の命令です」

 そういってミソカは笑った。

「でも私は淡水に住んでいるのよ。海水は合わないわ。それに……琴音がここに逢いにくるかもしれない」

 琴音がここに逢いに来ても見ることしかできないのはわかっていたけれど、それでも元気な姿を見れるだけで安心できる。それに私を海水で生活できるようにするなんてミソカの負担が増えてしまうに違いない。

「そこは私がちょちょっとこう、なんとかするわ」

 これからいたずらを仕掛けようとするように笑うミソカに、この子は偉くなっても変わってないわと思った。

「よかったね」

 ミソカの顔をみると遠くを見る目をしている。

「精霊の女王としては、たとえ半分だとしても精霊であるものが人となり、人と生活を始めるかもしれないなんてあってはならないことだと思うし、由々しき事態よ。でも、あの子の誕生を見届け、第二の母みたいな気持ちでずっと見守ってきた立場からしたら、あの子の思いが届きそうで本当によかったと思ってる」

 離れていてもミソカはずっと琴音のことを思ってくれていたのだとわかった。

「はい、これ。またつけてね」

 差し出された手から受け取ったのはあのピアスだった。

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