初戦
鬼原が間合いを詰めると同時に大振りの一撃。
「危ない!!避けて!!」
少女の声に反応し、状態を反らすようにして間一髪、鬼原の攻撃を回避した遊歩。
「チッ」
鬼原は舌打ちしつつも腕を大きく振り下ろし、遊歩に追撃を仕掛ける。
遊歩は地面を転がるように追撃も躱す。
小学生の頃から鬼原にイジメられていた遊歩。
暴力行為も日常茶飯事。
しかし、その日常の暴力行為のおかげ(?)か遊歩の危機回避能力は一般人より多少は高い傾向にあった。
結果として、鬼原からの不意の一撃の回避に成功していた。
もしかすると相手が日頃遊歩をイジメている鬼原だったからこそ回避に成功出来たのかもしれない……。
「ヒィ……」
短い悲鳴の後、地を這うように移動をし、少女の足に縋り付く遊歩。
「み、見てないで何とかしてよ」
今にも泣きだしそうな面持ちと震え声で少女を頼る遊歩。
「申し訳ありません。ワタシには戦闘能力がないので」
必死の訴えも虚しく、無慈悲な一言で一蹴されてしまう。
そんな2人の会話を悠長に待ってくれる訳もなく、鬼原は遊歩の背後に近づいてくる。
遊歩の真後ろに立った鬼原は遊歩の上着の襟を掴み少女から剥がすように遊歩を力任せに後ろへ投げ飛ばす。
遊歩が少女から引き離された事により短い作戦会議も終了。
鬼原の後ろに少女。遊歩と鬼原は向かい合う状態になっている。
「女に戦わせようとするんじゃねー!!昔からテメーのそう言うナヨナヨした女々しい感じを見てるだけでムカつくんだよ!!」
遊歩の少女に縋ろうとした行動の所為で鬼原の怒りのボルテージは最高潮に達している。
狼狽する遊歩を余所に鬼原は遊歩に攻撃を仕掛ける。
怒りの所為か将又元からの性分なのか……。
鬼原の攻撃は大振りで単調なものが多い印象。
そのおかげで遊歩は幾度の攻撃の回避に成功。
「ゴキブリみてーにちょこまかと……」
1度も遊歩に触れる事すら出来ずイライラする鬼原。
「遊歩、戦ってください!」
「そんなこと言われても……」
「あの娘の言う通りだぜ」
トイレの壁を背にし、回避や逃げ場にも限界が近い遊歩。
追い込まれても尚、遊歩は逃げる事しか考えていない。
一向に戦う意思を見せない遊歩に鬼原が鋭い突きを打ち込む。
一般的な突きとは違い、凶悪な爪を前面に伸ばした攻撃。
攻撃の種類的には打撃ではなく刀や剣による突きと表現した方がしっくりくる攻撃。
遊歩は鬼原の突きを前方に転がるようにし、狭い空間での回避にギリギリ成功。
勢いそのまま鬼原の突きはトイレの壁に直撃する。
魔人化の所為か、爪の所為か、鬼原の突きは常人のそれとは比べ物にならない威力になっている。
結果、トイレの壁を少し抉るように削り取っている。
一方の鬼原は爪が欠ける事も痛がる様子もなくノーダメージ。
平然とした表情を見せたまま遊歩の方へ振り返る。
「ハァハァ……」
日頃ゲームばかりであまり運動をしない遊歩は肩で息をしている状況。
体力の限界も近いのだろう。
「遊歩、万象紲滅剣を使ってください!」
「そうか!武器さえあれば……」
アイテムボックスを呼び出し手を差し込む。
「やっと戦う気になったか……。何をしようとしてるか知らねーが、今更、遅せーよ!!」
武器を取り出そうとしている遊歩に鬼原が襲い掛かる。
(万象紲滅剣……万象紲滅剣……)
迫りくる鬼原を視界に入れながら必死にアイテムボックスを漁る。
手に何かが当たる感触。
しかし、鬼原は既に攻撃態勢に移っていた。
右腕を大きく振り上げ、斜めに薙ぎ払うような攻撃。
万象紲滅剣を取るのが先か鬼原の攻撃を回避するのが先か一瞬の迷いが生じ、どっちつかずな状態に……。
結果、後ろに倒れ込むような形ではあったものの間一髪のところで鬼原の攻撃は回避する事には成功した。
しかし、その代償で勢いよく尻餅をつく。
「イテテテテテ……」
カラン────。
金属が地面に落ちる音が響き渡る。
回避と同時に万象紲滅剣もアイテムボックスから引き抜けたのだが、両手で受け身を取ろうとした事で手放してしまっていた。
万象紲滅剣を取ろうと音のした方向に視線を移す。
ドサッ、ドサッ────。
視線を後方に移した遊歩の傍らに2度何かが落ちる音がした。
遊歩は冷や汗を流しながら固まる。
遊歩の横に落ちた音は鬼原の足、もしくは何らかの攻撃だと考えたからだ。
そして万象紲滅剣より先に鬼原の対処をしなければならないと考え、必死に手足を動かし座った状態のまま後退さり。
正面を向き直り、現状の確認をする。
しかし、地面に落ちていたものは遊歩の予想と反したものだった。
(腕と頭……?)
少し冷静になった遊歩は鬼原を見据える。
遊歩の視線の先には右腕と首より上の無くなった何か。
バタッ────。
暫時すると、その何かも崩れ落ちるように倒れる。
「倒した……のか……?」
現状を理解出来ていない遊歩が息も絶え絶えに呟く。
「遊歩、大丈夫ですか!?」
少女が遊歩に駆け寄る。
「どうやって……?」
呟く遊歩に少女が詳細を語る。
少女の説明を要約すると……。
遊歩が鬼原の攻撃を回避する時、同時にアイテムボックスから万象紲滅剣が抜かれた。
遊歩が後ろに倒れ込む形になった事で万象紲滅剣は大きく振り回されいた。
振り回された万象紲滅剣がたまたま鬼原の攻撃に対し、カウンターのような感じで腕と首を吹き飛ばしたと言う事らしい。
「へっ?」
少女の話を聞いても理解が追い付かず、間の抜けた声を出してしまう。
「おめでとうございます」
「……って全然、聞いてた話と違う!!これのどこが切れ味の悪い刃物!?スッパリいったよ!?手に殆ど感触が残らない程スッパリ!!あんな化け物を豆腐か何かを切るように斬れるなんて聞いてないよ!!」
興奮と混乱、恐怖など様々な感情が交錯し、声を荒げ少女に強く当たってしまう。
「申し訳ございません。以前、質の悪い剣だと聞き及んでいたもので」
そんな遊歩の気持ちを知ってか知らずか、少女は淡々と事実のみを伝える。
遊歩は少女との温度差に少し冷静を取り戻した。
「ごめん。色々あり過ぎて混乱して言い過ぎました」
「問題ありません」
「でも、コレって問題にならないの?」
鬼原の亡骸を指し少女に質問をする。
「はい。魔王への反逆同様、許可のない魔人化も極刑に処されます。今回の場合、私たち以外の目撃者が居ないので事件が発覚しても正当防衛で押し通せるでしょう」
「そうなんだ……。でも、死体はどうすれば良いの?」
悲しそうに以前鬼原だった物体を眺めながらの質問。
これはゲームの世界。現実ではない。
そして、相手がイジメっ子で今回の戦闘の発端も理不尽な難癖からだとしても見知った相手。
複雑な感情が入り混じる遊歩。
折を見計らったかのように鬼原の亡骸に変化が起きる。
魔人に変化してはいたものの人の形を保っていた亡骸だが、砂のような細かい粒子になり崩れ始めていた。
数秒もすると黒い砂の集合が3か所。
右腕と頭のあった場所は黒い粒子が小さな範囲に撒かれたような状態。体のあった場所のみが小さな砂山を作っていた。
そこに一陣の風が吹き、黒い粒子が風に舞う。
「あっ……」
風に流れ霧散して行く黒い粒子を目で追う遊歩には哀感が漂っていた。
暫時すると黒い粒子は完全に跡形もなく消える……。
長く感傷に浸る間もなく少女が遊歩に声を掛ける。
「長居すると面倒事に巻き込まれる可能性もあります。一旦この場を去りましょう」
少女の言っている事は理解出来る。
しかし、それは頭では理解出来ていると言うだけの話。
遊歩は簡単に割り切りきり、頭を切り替えられるほど大人でもないし器用でもない。
頭で理解出来ていても心は付いてこない。
黙祷をして鬼原に鎮魂の祈りを捧げ、モヤモヤした気持ちを抱えたまま公園を後にするのであった。
商店街まで移動をしたところで少女が遊歩に声を掛ける。
「この後はどうしますか?」
「どうって言われても……」
少女に問われ立ち止まる遊歩。
いまだに鬼原の件が忘れられない遊歩は悄然として俯きながら少女に返事をする。
2人の間に沈黙が流れ、幾許かの時が過ぎる。
「帰る……」
雑踏に紛れ消え入りそうな声で遊歩が呟く。
「そうですね。それが良いかもしれません」
近くに居ても聞こえるかどうか微妙な程の遊歩の囁き声を的確に捉え返事をする少女。
少女の返答を待っていたのか、タイミングが合っただけなのか、遊歩は踵を返し帰路に就いた。
家に到着するまでの間、遊歩は俯き一言も発する事無くに歩き続け、少女は遊歩の後を黙ってついてくるだけだった。
玄関ドアを開け、家の中に入る2人。
未だに2人の間には重い空気が流れている。
「ただいまー」
いつもの習慣で帰宅した事を告げる。
しかし、返事はない。
まだ誰も帰宅していないようだ……。
「おかえりなさい」
返事がない事を見兼ねてなのか少女が返事をする。
「うん。ただいま。それと、おかえりなさい」
「はい。ただいま戻りました」
少しだけ場の空気が軽くなった気がする。
少女の何気ない気遣いに遊歩は少しだけ救われた気がした。
しかし、その後続く言葉が思い浮かばず、無言のまま自室へ向かう。
ドアを開け自室に入る。
電気が付いていないので薄暗い。
煌々と輝いているPCのモニターの明かりを頼りにしながら電気をつける。
いつもと変わらぬ見慣れた部屋。
安堵感なのか緊張の糸が切れたのか遊歩は「ふぅ……」と短く吐き、ベッドに腰掛ける。
少女は遊歩の前に直立したまま沈黙。
何とも言えない微妙な空気が流れる……。
「何で何も言わないの!?何で立ってるの!?」
空気に耐えきれず、遊歩が少女にツッコミを入れる。
「特に話す事も無かったので」
少女は淡々と返す。
返事をし終えた少女は徐に遊歩の横に腰掛ける。
「なっ……!!」
突然の少女の行動に動揺を隠せず、言葉も出ない。
声にならない驚愕の声を上げた後、遊歩は俯き黙る。
見る見るうちに遊歩の顔は紅潮する。
「大丈夫ですか?」
「な、ななな、何が!?」
動揺のあまり吃ってしまう。
「顔が真っ赤ですが熱でもあるのかなと思いまして」
そう言うと少女は遊歩の額に手を伸ばす。
「だ、ダイジョブよ。ダイジョーブ。ネツ、ナイね」
少女が遊歩に触れる前にバッと勢いよく立ち上がり、片言の日本語で無事を知らせる。
「そうですか?」
「急に横に座られて驚いただけ。そう、驚いただけ……」
まだ緊張しているのか、自分に言い聞かせるように小声で呟きながら心を落ち着かせる。
「遊歩が何故立っているのかと質問したので座っただけです」
遊歩の呟きは少女の耳に届いていた。
少女の行動に善意も悪意もない。
勿論、そこには遊歩の頭に少しだけ過った『恋心』なんてものも存在しない。
遊歩に立っている事を問われたので座った方が良いと判断して座っただけ。
それだけの事だった。
「そう……。なんか疲れたから今日は終了。ログアウトするね……」
少女の回答を聞き、ガックリと肩を落とし、帰還する事を伝える。
前回はゲームの世界観を崩さないよう、少女に気を使い色々な言い回しを考えていた遊歩だったが、今、そんな余裕はない。
普通に『ログアウト』と言う単語を使ってしまっている。
「了解です。お疲れさまでした」
少女も少女で気にする素振りは見せず、機械的に返答する。
遊歩はPCの前に移動をし、帰還ゲートアイコンを起動。
前回同様、画面に『中断しますか?』と『はい/いいえ』の選択肢が表示される。
遊歩はか『はい』をクリック。
前回同様、サイバー空間にダイブしたような風景に変化し、自室に戻る。
ゲームを中断する前とほぼ同じ風景なので多少の混乱が残る。
ヘッドセットを外し、現実世界だと確信を持つ。
「やっぱり変な感じは慣れないな……」
現実世界と瓜二つなゲームの世界。
今の所、違いは少女の存在とヘッドセットの有無のみ。
遊歩はヘッドセットを置き、両手を眺める。
(あれが斬った感触……)
『殆ど感触が無かった』と遊歩は表現していたが『全く感触が無かった』訳ではない。
つまり、僅かにだが斬った感触はあった。
それが斬った感触だとは気が付かなかった……。
言われて初めて知る感触……。
そして、『豆腐を切るように』と言ったのは表現であり、実際のそれは包丁を握り豆腐を切るのとは全く異なるの感触。
ゲームとはいえ鬼原を斬った事実と手に残る嫌な感触はすぐに忘れられるものではない。
翌日も学校なので今日の事は寝て忘れよう。と思い目覚ましをセットする為に時計に伸ばす。
しかし、遊歩は信じられない物を見て手が止まる。
「AM1時26分……?」
遊歩が食事の為に母に呼ばれたのが19時30~20時の間。
その後、再度ログインしたのは20時半前後と言う計算だ。
街中の散策や鬼原との戦闘など考えてみると実際に4~5時間程度はゲームをしている計算で間違いはない。
ただ、ゲーム世界はずっと日中のように日差しが照っていた為、時間の感覚が狂ってしまっていたのだった。
(ヤバい……早く寝ないと朝起きられない!!)
どちらかと言えば遊歩は朝が得意ではない。
週に3、4度は「あと5分」と言いながら目覚ましを止め、夢の世界へ後戻り……。
その後、母に叩き起こされる事もしばしば……。
そして、月に最低1度は「どうして起こしてくれなかったの!!」と母に対し朝から愚痴をこぼすイベントも……。
しかし、幸か不幸か登校時刻にはギリギリ間に合う事が多い。
遅刻は半年に1度有るか無いか。
だが、それは普通に就寝している場合の話だ。
夏休みなど生活のリズムが崩れ、夜更かしをしてゲームをしている時に自分が起床する時間くらいは把握している。
そして、今が正にその状況なのだった……。
遊歩は急いで就寝の準備を開始。
布団に潜り込み1秒でも早く寝る努力をする。
羊を数えてみたり、海や山などリラックス出来る状況を想像してみたり、何も考えないようにしてみたり……。
しかし、寝ようと考えあれこれ試行錯誤するほど目が冴えてしまう。
目が冴え始めるとゲーム内での鬼原を思い出し悶々とする。
鬼原の事を忘れようと寝ようとすれば目が冴える悪循環……。
気が付くと遊歩の部屋に朝日が射し始めていた。
カーテンの隙間から射す光に遊歩も気が付き、時計を確認。
AM5:43分を表示している。
耳を澄ますとスズメがチュンチュンと鳴いているのが聞こえる状況である。
「一睡もできなかった……」
上体を起こし「はぁ……」と軽いため息をつき呟く。
だからと言って今から寝るわけにもいかない。
そんな事をすれば確実に学校に遅刻する。
下手をすれば遅刻どころか欠席だ。
小一時間ベッドに座った状況でボーっとする。
6時半を過ぎた頃、重たい体を動かし登校の準備を開始。
キッチンへ行き、母に「今日は珍しく早いのね」などと言われながら食事を済ませる。
歯磨きや洗顔、髪のセット、着替えなど諸々を済ませいつもより少し早い時刻に家を出る。
徹夜明けでいつも以上に太陽の光が眩しく感じる。
だが、寝不足の所為か鬼原の所為か将又その両方なのか……。日の光を浴びても遊歩の鬱々とした気分は一向に冴える気配を見せない。
雲一つない晴天とは裏腹に今日はいつもより憂鬱な気分で重い足を引きずるように登校する遊歩なのであった────。