8、悪の組織『エルドラ』
「そういえば、なんで流雨を入れなかったの?別にあとで会うのに」
「え?そ、そりゃ、恥ずかしいからだよ………。な、なんというか、紗羅とは大丈夫なんだけど、流雨のこと考えると、ちょっと………」
「ほほう?いつの間にそんな仲になってたのかな?」
「ち、違う!ただ恥ずかしいってだけ!それ以上はない!ない、けど………」
「まあ、私は志葉一択だけど、志葉がこんなんなっちゃったら熱も少し冷めるなー」
「ご、ごめん………」
「別に志葉が謝ることないでしょ。それに、私も志葉みたいになったら混乱すると思うし。こんな可愛くなっちゃって」
「う、うぅ!それはあんまり言わないで!ボクはまだ男だし!女じゃないし!」
「ま、それを決めるのは志葉だけだけど、流雨は、今の志葉見たらどう思うのかなー?」
「絶対かっこよくなってやる………!」
「ハクション!な、なんだ?」
「風邪か?それとも、誰かが君の噂をしているかもしれんな」
そう言って女研究者は、横幅が通常の三倍はある冷蔵庫からペットボトルを取り出し、こちらへ放り投げてきた。
「ほら、あったかい紅茶だ。遠慮せずに飲んでくれ」
「え?でも、この紅茶は、ってあっつ!?」
今しがた冷蔵庫から出されたはずなのに、あり得ないほど熱を持った紅茶のキャップをつまんで持つ。もしかして、これも『転移扉』と同じような技術で作られているのだろうか。
そんな俺の考えを読み取ったのか、女研究者が聞いてもないのに説明してきた。
「これはな、物質温度保管庫っていってな。この中に入れた物質をその温度のまま保つという画期的な発明品だ。しかし、その特性上、物質を冷やすことも温めることもできない。一長一短っていうやつだな」
女研究者は嬉しそうに保管庫をポンポンと叩く。よく見れば、この研究室のいたるところに見たことのない機械がたくさん置いてあり、そのどれもが改造された家電製品だった。
「姐さんは本当に改造が好きですからね。そのくせ、あまり性能は変わっていないのに、どこにどの部品を使ったか延々と話してくるんすよ。さっきみたいな簡潔した説明は稀です」
モニターが大量にある一隅にフェナミグを置いた黒タイツは、不発となってしまったあの銃を壁にかけながらこちらへ歩いてきた。
「あと、そろそろ自己紹介した方がいいんじゃないすか?」
「まあ………それはそうだが………」
女研究者は黒タイツの愚痴に対し反論しようとしたが、当の黒タイツから正論をぶちかまされ、出鼻をくじかれてしまう。そのあと、渋々といった感じで自らの名を名乗る。
「はあ………私はレガリア。他のやつからは姐さんと呼ばれている。研究と改造が趣味だ。これからよろしくな」
そう言ってウィンクした女研究者は、茶色のボサボサした長髪と不健康なくらいに白い肌、大きい隈が特徴的な二十代前半くらいの女性に見える。全体的にやつれているように見えるが、王権の名に恥じない佇まいを感じる。
俺がレガリアの雰囲気に見惚れていると、後ろから肩を叩かれ、現実に引き戻される。叩いた本人はそういう意図はなかったようだが、それでも心の中で少し感謝し、黒タイツと向き合う。
「んで、黒タイツこと96番型隠密兵です。僕はその名の通りに隠密に長けてるっす。本気出せば隠れんぼで絶対に見つからないっすよ」
「いや、隠密の使い道それしかなかったのか………?」
おどけながら言う黒タイツは、全身黒色のタイツに、顔には菱形と蛇が組み合わさった黄色の模様があって、それ以外特徴があまりない。背も俺より若干高いぐらいだ。やはり、呼び名は黒タイツでいいだろう。
「んじゃ、次は俺かな?俺の名前は日壺 流雨で、今年で高校一年生だ。友達が少ないから、あまり残業とかはできないけど、よろしく」
「元々残業はないのだがな。まあ、こちらこそよろしく頼む」
「よろしくっす!」
レガリアと黒タイツが返事し、全員の自己紹介が終わった。ん?フェナミグ?未だに気絶してますけど何か?
その後、レガリアと黒タイツが「準備がある」と言って各々の持ち場に着き、故に手持ち無沙汰になってしまった俺がフェナミグの頬をつついて遊んでいると、大きな機械の横で作業しているレガリアに呼ばれた。
「そろそろ仕事内容を説明しておこう。と言っても、仕事は基本待機だ。何もしなくていい」
「な、何もしなくていい?」
バイトだから、だろうか。確かに、『怪人』はよく『英雄』に吹っ飛ばされているし、生身の人間が前線に立ったら危険だろう。しかし、だからといって何もしないのは間違っているだろう。
俺が怪訝な視線を向けると、レガリアは失念していたという風に額に手をあて、ちゃんと説明する。
「何もしなくていいってのは、英雄が基本的に神出鬼没だからだ。一応、こちらから一般人に手を出したら飛んできてくれるが、それはフェナミグ君が嫌っている。故に、新しい取引先になりそうな企業が見つかるまでは待機だ。無論、英雄が出てきたら仕事してもらうけどな」
「は、はあ………」
結構早口で喋るのであまり聞こえなかったが、つまりは、取引先か、英雄が見つかるまで待機ということだ。というか、ちょっと待ってほしい。今、レガリアはなんと言った?
「英雄が出てきたら仕事って、まさか………!?」
俺が思わず放った呟きを拾ったレガリアは、ニマーと笑う。この人はドSか。
「そう、君には英雄と戦ってもらう。大丈夫。君には最高の怪人改造を施す。並の英雄では太刀打ちできないだろう。無論、痛覚遮断で痛みは感じないし、戦うといっても殺し合うわけではないから、命の危険は心配しなくていいぞ」
「でも、四肢断裂とかは………………あ、いや、もしかして、元の体は別のところに保存する感じ?」
レガリアが操作していた機械の横に、大きなガラスの箱が二つあった。形が若干異なるので、役割が違うのだろう。そして、俺の予想は外れていなかった。
レガリアは大きく目を見開き、そのあとクスクスと笑った。
「フフフ、正解だ。君は、私が思っているより良い勘を持っているようだね」
こう、妖艶なお姉さんに褒められると案外嬉しいものだと、初めて知った。いや、レガリアならお姉さんではなく、お姐さんだが。
一応、レガリアの言うことは真実なのだろう。これまでの『怪人』、『英雄』の死亡は事故と病気以外の死因がないし、最近は怪人が一般人を狙った事件はほとんどなくなっている。それ故に英雄側も怪人を狙う理由が薄くなり、昔のように、組織対組織のような大規模戦闘も消え去っている。ようは、比較的平和ってわけだ。
それに、俺は口約束だったとしても、『エルドラ』に入ると契約したのだ。今更嫌ですなんて、一度も働いたことのない学生が言えるわけがない。レガリアはそれが分かっていたのだろうか。
「まあ、働くけどさ………………ホントに痛覚ないんだよな?マジなんだよな?」
例え仮の身体でも、痛覚があったらショック死する可能性がある。仮の身体はそれで死ぬが、元の身体に戻れるのならまだいいだろう。最悪なのは、一度死んだ意識が元の身体に戻れず、そのまま衰弱死するかもしれないことだ。痛覚があるだけで、ここまで不利益を被ってしまう。痛覚の有無を問うのは当然だろう。
俺の問いかけに、レガリアはムッとしたのか、笑いを引っ込めて頬を少し膨らませた。
「………私の技術を疑うのか?転移扉を完成させたこの私の技術を?」
「いや、まあ、そりゃ気になるよ。転移扉自体は公式でももう完成しそうってなってるし、転移自体も公共交通機関として使われ始めているし。でも、人体化学は未だに脳の研究止まりで、急に仮の身体を作れるって言われても疑うよ」
まだ頬を膨らませてる意外に可愛いレガリアは、俺の言葉を聞くと、スン………と真顔になった。レガリアの手には、なぜか拳銃が握られている。
「は、話し合いましょ?ほら、そちらとしても新人を失うのは痛いはずだし………」
「君には、私の技術を身をもって体感しなければならないようだ」
「ちょ、マジで!?怖い怖い怖い!!」
何か使えるものはないかと辺りを見渡すと、我関せずを貫いていた黒タイツと目が合った。
「く、黒タイツ!助けッ!?」
「無理っす。こんな風になっちゃったらもう誰にも止められないっす。てことで、僕はフェードアウトさせてもらいますね」
黒タイツはそう言うと、伸ばした俺の手の先で空気に溶けるように消えていった。おそらく、これが隠密の効果なのだろう。姿が見えないどころか、音すら出ず、気配が完全に消えた。
最後の頼みの綱が目の前で断ち切られ、中途半端に伸びた手を宙に彷徨わせながら呆然としていると、頭の後ろに何か硬いものが当てられた。続いて聞こえるは、淡々とした研究者の声。
「さあ、私の最高傑作を体験してもらおう。それでは、おやすみ」
その言葉とともに聞こえた銃声は、俺の意識を簡単に刈り取った。