表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
自称ヒロインの10年後  作者: 高野 涼
2/2

後編

 そもそものきっかけは近隣の大国であるマルツァーン帝国でのお家騒動だった。


 当時のマルツァーン皇帝には直系の男子がおらず、帝国では三つの派閥間で後継者争いが勃発。老耄の皇帝が各派閥に下したのは、次期皇位を得たければ帝国への貢献度で争えという言葉だった。実は以前から食料が不足しがちだった帝国は豊かな穀倉地帯を持つアリトゥスとヴァンドルド両王国に目をつけていた。三つの派閥は皇位争いに勝つため穀倉地帯を手に入れようと両国への侵略を開始する。主戦場となった高原の名をとって、後に「ザルブンデル高原の戦い」と呼ばれる戦争が始まった。


 いきなり戦乱に巻き込まれたアリトゥス、ヴァンドルド両国は急遽同盟を結び、帝国に徹底的に抗戦した。不幸中の幸いではあるが、三派閥は各々が戦功を争って、またはけん制し合ってバラバラに勝手な動きをしており兵力では勝っていても効率的に攻め入ることはできなかった。国境線防衛に協力し合い、何とか持ちこたえること2年間。マルツァーン帝国皇帝が崩御。アリトゥス、ヴァンドルド両国の激しい抵抗にあい、特段の戦果をあげられずに疲弊だけをもたらした三派閥は力を失った。彼らとは別系統の皇族が帝位につくと、これをもって戦争は終結。両国は帝国からの賠償金を得て講和条約に調印した。


 まったくの迷惑なだけであった戦争ではあるが、これをきっかけに戦後両国はよりいっそうの強固な同盟関係を結ぶことにした。その象徴として両国の王家間での婚姻が定められたのだ。


 まずはヴァンドルド前国王の王女であり、現在のジョアン国王の妹にあたるアレッサンドラ王女が、当時アリトゥスの王太子であったテオドール=ヘルマン現国王に嫁いだ。国王とアレッサンドラ王妃の間にはアンブロワーズ王太子とアントーニア王女が生まれた。そしてアントーニア王女はヴァンドルドの王族であるランベール公爵家へ嫁ぐことになっていた。


 だが、不幸なことにアントーニア王女は幼くして病死してしまう。その代わりとして選ばれたのが、王弟の子であるカロル=アン・オランド公爵令嬢であったのだ。彼女はアントーニア王女の死から2年後に誕生し、生まれたときからランベール公爵家との婚約が決められていた。


 国王夫妻に娘のように可愛がられ、王女と同等の教育を受けた彼女は15歳の時に嫁ぎ先であるランベール公爵家に迎え入れられた。そこで将来の公爵夫人として必要な教育を施された後18歳で結婚。夫であるマティアスは家督を継ぐ前なので、シュトライト子爵を名乗っている。


 彼女が結婚した当時は国同士のつながりを強固にするための結婚として大変話題になり、隣国の可憐なお姫さま(カロル=アンは結婚に際し、伯父である国王の養女となっていた)と高貴な身分の凛々しい青年との結びつきは、まるでおとぎ話のように流布されたものだった。


 現在も両国の関係はいたって良好であり、貿易や人材の交流を通じてますますの発展をもたらしている。マルツァーン帝国が先の戦で国力を低下させたこともあり、今ではアリトゥス、ヴァンドルドの二国の近隣諸国への影響力は侮りがたいものがあった。そして両王家が婚姻によって固く結びつき、友好関係を保っていることが現在の平和の一助となっていることは誰もが認めることであったのだ。


「若い方には戦争は遠い昔のことに思えるかもしれませんが、お二方のご結婚当時あなたのお年ならすでに物心ついていたはずです。それに学校でも我が国の歴史を学んでいらっしゃるでしょう。カロル=アン様のお名前を聞けば誰もが気づくことですよ」

 長い説明を終えた司祭の言葉にもアグネッサは一層困惑するだけだった。

「だ…だって、あの、わたし…知らなかったんです」


 彼女はもちろん学校は卒業している。しかし実のところ成績は芳しくなかった。彼女が通ったのは王都からずっと離れた地方の小さな学校で、学生時代彼女が一番気にしていたのは外見を磨くことであり、それによっていかに好条件の結婚相手を捕まえるかということだけであった。試験の結果が悪くて追加の課題を出さなければならない時、彼女は初心な同級生男子の前で可愛く不安を口にして代りにやってもらっていた。卒業はできたものの、知識は何も身についていなかったのだ。二国間の結婚話と聞いて、そういえば当時はさんざん彼女も騒いでいたことは思い出したが、肝心の当事者の名前などすっかり忘れていたのだった。


「本当に知らなかったのですもの。仕方ないでしょう?」

アグネッサは結局いつものように小首をかしげて笑うことしかできなかった。そんな彼女の様子に司祭は小さくため息をつくと最後にこう締めくくった。

「ここは神のもとに誰もが祈りを捧げにくる聖堂です。今回のことは不問に付しますが…ご主人様のことも考えてこれからはその立場に見合った行動をとられるように」


 アグネッサに憐れむような声をかけながらも、司祭は早々に彼女を追い出したのだった。


 アグネッサは王都から少しばかり離れた男爵家領地で育った。彼女の実家であるトレニック男爵家は、彼女の祖父が国への貢献を認められて男爵位を賜った新興貴族である。もともとは敏腕の商人であった初代男爵だが、念願の貴族としてとりたてられた直後に健康を害してしまった。その後ひとり息子であるアグネッサの父に家督を譲ったのだが、二代目男爵は残念ながら商売人の血は受け継いでいなかった。


 人が良いだけが取り柄の二代目は、男爵位と共に賜った片田舎の領地にすっかり満足しているようだ。亡き父の残した遺産とわずかばかりの領地からの収入でのんびりと暮らし、特に新しい産業を興そうとか領地を発展させようなどとは考えていない。母は病気で早くに亡くなってしまった。父は兄とアグネッサを可愛がってくれるが、不自由はないけれど贅沢はさせてもらえなかったのでアグネッサはいつもそのことを不満に思っていた。


 小さい頃からアグネッサの可愛らしさは近隣でも有名であった。誰もが男爵家のアグネッサお嬢様のことを知っていて、ちやほやしてくれた。学校にあがると、男子生徒たちがこぞってアグネッサの可愛らしさをもてはやし、彼女の気を引こうとするようになる。


「アグネッサ、この髪飾りをあげるよ。君に似合うと思うんだ」

「町で評判のお菓子だよ。他の子には内緒だからね」

「ねえアグネッサ、お祭りに一緒に行こうよ。君を連れていたらきっとみんながうらやましがるさ」

 そんな時、アグネッサはいつもニッコリ笑って首を軽くかしげて「ありがとう」と言うだけでよかった。


 幼い頃は他愛もない贈り物や誉め言葉だけでうれしかったものだが、思春期に入るとアグネッサはそれだけでは満足できなくなっていた。

「ねえ、トピアス~。あなたとお祭りに行きたいけれど着て行けるような服がないのよ」

「そ、そうか。君を祭りに連れて行けるなら、喜んで町まで服を買いに行こうじゃないか」

「あのね、デュー…この前の試験で私失敗しちゃったの。いくつか答えを書く場所を間違えてしまって…。本当に私ったらおっちょこちょいね、先生に叱られちゃったわ。恥ずかしいからみんなには内緒にしておいてね」

「そうだったの?ああアグネッサ可哀そうに、僕にできることはないかな」

「優しいのね、デュー。あなただけが頼りよ。宿題を手伝ってくれるかしら?」

「お安い御用だよ」


 彼女を取り巻く男子生徒たちをうまく利用しながらも、アグネッサは彼らを本気では相手にしていなかった。もっと良い条件の男性がきっと現れるはずだ、だって私はこんなにも可愛らしいのだから、と。


 ちょうどその頃、無邪気で可愛らしい少女が高貴な身分の若者に見初められて幸せになるという小説やそれを題材にした絵物語が多くの人に好まれていた。町から広まった流行はアグネッサの暮らす田舎町にもすぐに伝えられて、あっという間に若い娘たちの心を鷲掴みにしたのだ。そして皆が初めて聞いた「ヒロイン」という新しい言葉も同時に大流行したのだった。アグネッサも教科書など読まないが、そういう夢物語のような小説には夢中になっていたのだった。

「私ってまるで今流行の小説に出てくるヒロインみたいじゃない?明るくて誰からも好かれる主人公が、素敵な彼氏に見つけてもらって幸せになるのよ。いつかきっと私にもそんな時がくるんだわ」


 ある日、アグネッサの家に夜会の招待状が届いた。送り主は隣り合う領地の弱小男爵家であったので最初アグネッサは断るつもりでいた。しかし招待状を持参した男爵家の使いの者が事情を説明して勧めてきたのだ。


「実は今、当家にハインスロー子爵家のお坊ちゃまが滞在していらっしゃいます。軽い肺病を患われていたので、ご静養のため空気の良い田舎にいらしたのですが、もうすっかり良くなられまして。娯楽の少ない田舎暮らしに退屈していらっしゃいますので、若い方達に集まっていただければと…」

「喜んで伺いますわ」


 当日アグネッサは精一杯のおしゃれをして夜会に出席した。そして療養生活に飽きて刺激を求めていた現在の夫であるアントンを射止めたのだ。彼女はいつもの取り巻き連中には愛想よく振舞って、うまくアントンの嫉妬心をあおり他の男にとられまいとする焦りを利用した。これは彼女がいつも無意識に行っていることだったが、おかげで次期子爵との結婚までこぎつけたのだ。


 彼の両親は息子が結婚相手として連れてきたアグネッサに渋い顔をしたが、その時彼女はもう妊娠していたので認めざるを得なかった。アントンは結婚後少し口うるさくはなったものの、これまでは地方都市暮らしだったため結局彼女はこの10年間何も変わらなかったという訳だった。


 聖堂を体よく追い出されたアグネッサが家に戻ると仕事に行ったはずのアントンが待ち構えていたので驚いた。彼は今までに見たことがないほどの怒りを見せていた。


「アグネッサ!お前はなんてことをしてくれたんだ!」

「えっ?なんのこと?」

「お前はっ…こともあろうにシュトライト子爵夫人に失礼な態度をとったそうじゃないか!王宮での仕事中にこっそり注意された俺の身にもなってみろ。恥ずかしくて死にそうになったぞ!」

「え…だって知らなかったんだもの、仕方ないじゃないの!それにあの人ちっとも怒っていなかったわよ。ニコニコ笑っているだけだったし」

「はあ…ひょっとしてとは思っていたが本当にどうしようもなかった…。お前を妻にしたことは俺の一生の不覚だったよ。あの時両親の言う事を聞いておけばよかった」

「なんですって!私だけが悪いと言うの?あなただって教えてくれればよかったじゃないの!」


 それを聞くとアントンはますます不機嫌になる。

「お前、いったい自分が何歳のつもりだ。いつだって教えてくれればなどと人のせいにして。小娘ならともかく、もうすぐ30歳だぞ。いつまで甘ったれているんだ。今回のことだって社会常識をきちんと学んでおけばそれで済んだことだった。だいたいお前の祖父が叙爵されたのも帝国との戦争に軍資金を上納したからだろうが。それを考えれば知らなかったで済まされることではない!」

そこまで言われて彼女は返す言葉もなかったが、更に続く夫の台詞に今まで以上に打ちのめされることとなる。


「外聞が悪いから離縁はしないが、お前は一人で領地に帰れ。もう二度と王都に出てくることは許さん。幸い子供たちはお前に似ず、教育を受ければまともに育ちそうだからな。お前がいることで悪影響を与えたくはない。今日中に荷造りして明日には出発しろ。いいな!」

「そんな!待ってアントン」


 冷たく言い放った夫は振り返りもせずに自室に戻ってしまう。呆然とした彼女に構わずに使用人たちがさっさと荷造りを始めている。実はアグネッサは使用人たちからあまり、というよりは全く慕われていない。気分次第で態度を変えるので、使用人たちが振り回されることはしょっちゅうだった。特に刺繍や裁縫などは勝手に取り上げられたうえ、アグネッサの手作りと偽って使われたり、他人への贈り物にされたりすることが多かったのだ。屋敷内に味方のいないアグネッサは本当に翌日領地に送り返されてしまった。


**********


「ハインスロー子爵は夫人を領地に送り返したそうだ」

シュトライト子爵邸の居心地よく整えられた居間で、くつろいだ表情の夫の言葉にカロル=アンは仕方なく答えた。

「ええ、そのようですわね。ベアンハルト宰相の奥様とタンベルク伯爵夫人からも説明と謝罪のお手紙をいただきましたわ」

さらに彼女は司祭からもあの騒ぎの一部始終を知らされていた。


 妻であるカロル=アンの特技をマティアスはよく知っている。それは自身の存在感を自在に操れることで、これは貴族として強みのひとつでもあった。公の場では他を圧倒するほど優美で気高い高位の貴族夫人であるが、私的な場で示すどちらかと言えば明るくて親しみやすい性格こそカロル=アンの本質と言える。そんな庶民的な雰囲気の時の彼女に、身分を知らなくても真摯に向き合い、誠実に対応する者こそ彼女は大切に援助してきた。お針子から一流洋品店の経営者へと変貌した女性、小さな店の皿洗いから身を起こし、予約が最も取りづらい人気店を持つまでになった料理人、さらにその才能を見出され、優れた芸術作品を生み出す画家や彫刻家、音楽家など枚挙にいとまがない。だが今回の子爵夫人はそうではなかったようだ。


「君も相変わらず人が悪いな、試すようなことをして…」

「あら、人聞きの悪いことおっしゃらないでくださいな。私はこれでもあの方には期待していたのよ。誰とでも親しく振舞えることはある種の才能でもあるわ。今まで私の周りにはいなかった類の方ですもの。だからこそ本心から残念だと思っていますの」

苦笑しながらも抗議するカロル=アンの手をとると、マティアスは反対側の手でぽんぽんと軽く叩きながらこう言うのだった。

「まあ、そういうところも僕の気に入っているところなのだけれどね」

「あなたったら…」

国同士の定めた政略結婚ではあったが、二人は結婚後何年経っても仲のいい夫婦であったのだ。


 アグネッサは中身が未熟なまま年だけをとってしまったのだろうとカロル=アンは考えていた。ほぼ男性相手限定ではあっても彼女の「人たらし」の才能は見るべきものがあった。もう少しアグネッサに知恵があれば、カロル=アンの手足となって色々な情報を引き出す手助けもできたであろう。だが、若さと美しさだけを武器にするものは、それらが無くなった時に何をもって戦うのだろうとカロル=アンは思う。いやそのようなことを心配していないから何も学ばないのか?


「本当に残念だわ」

もう一度こぼすと、それきり彼女は子爵夫人のことを忘れたのだった。


 その後アグネッサは子爵家の領地から出ることを許されずに一生を終えることとなる。しかしながら彼女は最後までどこが悪かったのか、何をすべきであったのかわからなかったようだ。冷たい夫や子供たちに文句ばかり言い続け、彼女の髪型や服装の好み、行動などは生涯変わらなかったと伝えられる。


アグネッサがヒロインならば、カロル=アンは悪役令嬢ということになるのでしょうか。

【追記】

ご質問いただいたのですが、お答えの方法がわからず、こちらで失礼いたしますが、若いご令嬢たちの評価は今後の行動次第ということかと思います。

お読みいただきありがとうございました。

現在「ガイヤード王国物語 一隅いちぐうの光」という小説を連載中です。

https://ncode.syosetu.com/n0282hq/

こちらもお読みいただければ幸いです。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 若さはともかく、美しさも話術も年齢に比例するにつれ右肩上がりに極めれば凄いものになるのにもったいない。 複数人の人達にとって本当のミューズになれば、いくら老化してもいつまでも慕う信者が出来…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ