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自称ヒロインの10年後  作者: 高野 涼
1/2

前編

自称ヒロインがとりあえず結婚できた後、どのようになったかなと考えてみたお話。

前後編2話で終わる予定です。お気軽にお読みいただければ嬉しいです。

 穏やかな昼下がり。


 さやさやと低く心地よい、まるで春風のような皆の話し声を聞き流しながら、カロル=アンは刺繍の針を刺し続けていた。生来の不器用さから時間はかかるものの、幼いころから習い続けたおかげで何とか恥ずかしくない作品ができあがりそうだ。彼女が満足げに微笑んだ時、その場の空気をかき乱す甲高い笑い声が聞こえてきた。


 彼女とその周りにいた夫人たちが思わず顔をあげると、広い部屋の反対側に女性が7~8人ほど固まって座っていた。社交界に顔を出し始めたばかりの若い令嬢たちが中心のようで、その一角はふんわりと明るい色合いに満ちている。誰かが放った冗談に一斉に大声で笑いはじけたのだろう。カロル=アンの隣に座る夫人が眉をひそめて「注意しましょうか」と視線だけで尋ねてくるが、彼女はそっと首を横に振った。


 ヴァンドルド王国、「麗しのエスビヤ」と称される王都。王国の宰相を務めるベアンハルト侯爵家の居間に、貴族の女性たちが訪れていた。もちろん彼女らの第一の目的は社交ではあるが、この日はただお茶とおしゃべりを楽しみに来たわけではない。


 王政は恙なく営まれているとはいえ、神と現実社会の双方から見放され苦しい生活をしている者はまだまだ多い。それ故に恵まれた立場にある貴族家の夫人たちは、その立場を自覚している者ほど奉仕活動に熱心であった。


 彼女らが現在中心になって行っているのは救貧院へ医薬品や毛布を送り、孤児院へ充分な食料と衣服がいきわたるようにするための慈善市や募金活動などである。今日こうして夫人たちが集まったのも、次回の慈善市で売り物にするための刺繍や手芸作品を作るためであった。


「ベアンハルトの奥様が席を外されて、気が緩んだようですわね」

先ほどの大声に眉をひそめていた夫人たちの一人がつぶやくと、他の何人かも小さく頷くのが見えた。この場を提供したベアンハルト侯爵夫人は、宰相の奥方である故に大変真面目で礼儀に厳しい。彼女が侍女に耳打ちされて席を外した直後に、若い女性たちの気が緩んだのがこちらでもよくわかった。


「まだ何があっても楽しい年頃ですもの。大目に見て差し上げましょう」

別の夫人が仕方ないという風になだめるのに、カロル=アンも内心同意していた。初めての奉仕活動かもしれない彼女らに、あまり厳しいことを言うと次から来なくなってしまうかもしれない。ところが最初に声を上げた女性が迷いながらも続けて話し出した。


「若い未婚の方たちは仕方ないかもしれませんが、一番大声で冗談を言いながら笑っていらっしゃるのはれっきとした奥様ですわよ。ご覧あそばせ、真ん中にいらっしゃる方を」

その声に皆思わず再度あちら側の席を見てしまった。そこで何人かの若い女性たちの中心に座っているのはハインスロー子爵夫人のアグネッサだった。


「彼女がこの集まりに顔を出すのは初めてでしたわね。どなたがお連れになったのかしら」

「どうやらイレナ様のようですわ。確かご主人様方が同じ職場にいらっしゃるとか」

名指しされたイレナ・タンベルク伯爵夫人は、少し離れた所で心配そうにアグネッサ達を見ていた。頼まれて同行したのはいいが、場にそぐわないアグネッサの行動に困惑しているようだ。イレナ自身は目立たなくて大人しい女性なので、余計にいたたまれない様子が見てとれる。

「最近あちらこちらで噂は聞いておりましたが…聞きしに勝るとはこのことですわね」


 アグネッサは最近社交界でその名が知られるようになった女性であった。新興貴族であるトレニック男爵家の出身で、ハインスロー子爵の嫡男に嫁いだ。夫が爵位を継いで王都の邸に移り住んだので、彼女も領地から初めて出てきたのだという。


 そのこと自体は特に珍しくはないが、夫人たちを戸惑わせたのは彼女の貴族らしいとは言い難い物腰や話しぶりなどであった。


 確かに彼女は可愛らしい容姿と舌足らずな声で目立つ存在ではあった。若いとは言っても既に既婚者で子供も二人いるし、年齢も20代後半となっている。だが、彼女の服装はいつも若向きの色合いで、袖も裾もふんわりと広がっていたり、ひらひらとした飾りがたくさんついているものが多かった。明るく波打つような金髪もまとめることなく、肩に流しているのが常である。


 夜会などに夫と共に出席しながらも気軽に他の男性たちに声をかけ、冗談に笑い転げる風情で相手の肩を軽く叩いたり、腕をからめたりする。同時に傍らの女性にちらりと視線を流すとちょっと舌足らずな声でこう言うのだ。

「まあ、私ったらお連れの方を怒らせてしまったみたい。お友達に会えてうれしかったからお声がけしただけなのにぃ。ねぇ、気になさらないでねぇ?」

そうするとほとんどの男性は同伴者のほうを「そんな不機嫌な顔をするものじゃない」とたしなめるのだ。


彼女に不愉快な思いをさせられた女性は多いが、夫や恋人に不満を言っても、たいてい「悪気はないんだから」とか「彼女は子供みたいに無邪気なんだよ」などと見当違いの返事をされるのが常であった。


 侯爵夫人が戻ってくるとあちら側の笑い声はぴたっとおさまったので、カロル=アン達も刺繍の続きに集中することができた。


 そろそろ終わりの時間が近づいてきて、皆がそれぞれの作品を脇にある大きな台の上に並べていく。カロル=アンも自分が刺繍した手巾や袋物を持って立ち上がった。そこへ若い令嬢たちも自分の刺繍したものを持ってやってきた。ようやく終わった解放感からか、また賑やかになっている。恥ずかしがって出し渋ったり、他の作品に感心して思わず歓声をあげたりしているが、年かさの夫人たちもそれくらいは大目に見ているようだった。


 カロル=アンも彼女らの若さに思わず微笑みながら作品を並べ、その場を離れた直後。

「あら、こちらは小さなものばかりですわね。刺繍が苦手な方のものかしら?なあんて、嘘々。ふふふっ」

すぐ後ろでそんな発言をしたのはアグネッサで、彼女は若い令嬢たちと遠慮なくクスクス笑いながらしゃべっている。小声で話したつもりかもしれないが、もともと地声が甲高いのだ。

「私たちと違って目がお疲れなのかもしれませんわよ」

「いやだわ、またそんなことおっしゃって」

若い令嬢たちも彼女の発言につられたのか、自分たちの若さを誇示するような言葉を口にしながらまた笑っている。それらも全部周りの夫人たちの耳にしっかり入ってしまったようだ。


 その場の空気をなだめるように皆をねぎらうと、カロル=アンはさり気なく化粧直しに立った。肩の力をぬいて髪を整え、服装の乱れなどを確認していると、彼女の視界に派手な色の塊が割り込んで突然甘い声で話し出した。


「あのぉ、カロル=アン様ですわよね。私アグネッサ・ハインスローです。同じ子爵家として仲良くしていただけたらと思って…」

いきなり不躾にも名前を呼ばれたカロル=アンだったが、夫から『完全無欠な笑顔』と称される表情と落ち着いた声で自己紹介した。

「カロル=アン・シュトライトですわ。はじめまして、ハインスロー子爵夫人」

「あら、かた苦しいことはやめましょうよぉ。どうぞアグネッサと呼んでくださいな」

「では遠慮なく、アグネッサ様」

「私、今日が初めてなので不安だったんですけど、皆さん親切にしてくださって嬉しいわ。カロル=アン様もよろしければぜひ私の作品に助言をお願いしますぅ」

「まあ、私はあまり手芸が得意ではないのよ。でも喜んで拝見させていただくわ」


 一緒に部屋に戻って並べられた手芸品の方へ向かうと、自慢気に見せるだけあって大きなものだった。

「まあ、薔薇の刺繍がお見事ですわね。色使いも華やかですばらしいわ」

「今日の集まりは半日だけでしょう?とても完成しないと思ったので、家でほとんど終わらせてきたんです。だから今日は仕上げをちょっとしただけですわ。カロル=アン様の作品はこちらなの?まあ、馬や鳥の刺繍ですのね。どうしてお花より動物の図案が多いのかしら?」

「生まれ育った所にたくさんいたので慣れ親しんだものだからですわ」

「ええっ!もしかしたら地方のお生まれなの?馬がたくさんいるなんて、私の家より田舎みたいですね。なんだか親しみがわいちゃう!」

カロル=アンは微笑んでいるだけであったが、アグネッサの大げさな言葉にその場の空気がビシッと固まったようになる。そこへ慌てて近寄って来たのは、アグネッサを連れてきたイレナだった。


「失礼いたします。アグネッサ様!あの、こちらへ…」

イレナがきょとんとしているアグネッサを連れて行こうとした時、ベアンハルト侯爵夫人の声がかかった。

「皆さま、お疲れ様でございました。おかげさまで次回の慈善市にもすばらしい作品を出すことができますわ。さぞ盛況な催しになるでしょう。それではお茶をご用意いたしましたので、どうぞあちらへ」


 アグネッサはそれを聞くと若い令嬢たちと一緒に真っ先に部屋を出て行ってしまった。他の夫人たちが移動する後ろで侯爵夫人がさりげなくイレナを脇に連れ去り、イレナはアグネッサに忠告する機会を逸したようだった。


 侯爵家での集まりから数日後、カロル=アンはやはり慈善活動のために聖堂に赴いた。責任者である司祭に丁重に出迎えられた彼女は、同行した夫人たちと一緒に奥の間に案内される。そこで彼女らが長年援助してきた荒地の開墾が身を結び、新しい農場経営が軌道に乗ったという大変喜ばしい報告を受けたのだった。その農場で新たに栽培されるようになった茶葉でいれたお茶をいただきながら司祭たちと次の計画を話し合う。途中部屋の外から何やら騒ぐ声が聞こえてきたが、その理由も知らずに一行は次回の約束をして帰路についたのだった。


 それより少し時間をさかのぼって、カロル=アン達が聖堂に到着したころ。

アグネッサは一人、町を歩いていた。

「もう!悔しいったらないわ、前に見かけた服がもう売れてしまったなんて!!」

ブツブツと悪態をつきながら、立ち並ぶ洋服店や宝飾店を横目で見てため息をつく。

「どれもこれも欲しいのに、アントンったらケチだわ。結婚前はあんなに気前よく贈物をくれたのに、最近は私の買い物に文句ばかり!今朝だってあんなに強く言うことないじゃないの」

夫の出勤前に夫婦喧嘩をしてしまったアグネッサはむしゃくしゃした気分のまま侍女も連れずに町へ繰り出したのだが、目当てのものが手に入らず一層不機嫌になるだけだった。

そんな彼女の目にうつったのは、ちょうど聖堂へ入ろうとしていた貴族夫人らしき一行の姿だった。


「やっぱり!あれはシュトライト子爵夫人だわ!お買い物なら付き合ってもいいけど…聖堂になんて何しに来たのかしら。まあ、あんな地味な方ならお似合いだわね。つまらない説教を聞かされるならいやだけど…」

だがほんの少し興味をひかれたアグネッサは彼女らに続いて聖堂に足を踏み入れた。きょろきょろと見回すと、祭壇の脇で一行を出迎える司祭の姿があった。煌びやかな法衣に身を包んだ司祭はにこやかに挨拶すると彼女らを丁重に奥へと案内していったのだ。

「なんで?司祭みずから接待するなんて。どうしてあの人があんな風にもてなされるの。不公平だわ。私だって同じ子爵家なのに…」


 気軽に話す相手にこそ不自由はしないが、アグネッサは出自の低さから高位貴族には相手にされていないのがわかっていた。彼らの出入りするような場所には紹介無しに足を踏み入れることはできない。

「でもあの人が入れるなら一緒に入れてもらえないかしら。聖堂の奥なんて入ったことないし、夜会で自慢できる話のタネになるかも」


 鼻歌まじりに気軽に奥へ向かおうとしたアグネッサだったが、すぐに守衛たちにとどめられてしまう。

「ご婦人、この奥へは立ち入り禁止です。戻ってください」

「さっき入って行った人たちの連れなの。ちょっと遅れてしまっただけよ」

責任者である守衛長がおもむろに彼女の行く手を遮った。

「今日のお客様は身許もはっきりした方ばかりで、人数も事前に知らされているが。あなたのことは聞いていない」

「ちょっと!触らないでよ!私はハインスロー子爵夫人なのよ。通してちょうだい!」

そう叫ばれても守衛長は彼女の腕を掴んで離さない。

「不審者を奥へ通すわけにはいかない。侍女も連れていないし、勝手に押し入ろうとするなんて。本当に貴族のご夫人なのか?」

「失礼だわ!一人で自由に動き回るのも買い物の楽しみというものじゃないの。あなた、名前は何というの?あとで厳重に抗議させてもらうわ」


 あきれ果てた守衛長は司祭の手が空いたら確認してもらおうと、彼女を使っていない小部屋に閉じ込めて見張ることにした。アグネッサはずっと中で文句を言いどおしだった。ようやく司祭が戻ったと聞き、守衛長は司祭が待つ部屋へ彼女を連れて行ったが、その間も彼女は「覚えておきなさい」「帰ったら主人に言いつけてやるから」などと言っていた。


 重い扉の向こうで待っていた司祭は彼女に椅子を勧めた。さすがのアグネッサも高位の聖職者にまで文句を言うことはできなかったが、隠しきれない膨れっ面で腰を下ろす。

「さて、私はこちらの聖堂を預かる者ですが。ご夫人のお名前を伺ってもよろしいかな?」

この聖堂で代々司祭を務めるのは王家にもつながる高い身分の聖職者だ。彼が名乗る必要はない。

「私はアグネッサ・ハインスローと申します。ハインスロー子爵夫人ですわ」

名乗るのと同時にいつものようにニッコリ笑って首を傾げたが、司祭は全く表情を変えなかった。

「それではハインスロー子爵夫人。なぜ許可もなく奥に入ろうとされたのですか?」

「だって!」

いつものように子供っぽく答えてしまったアグネッサだが、笑顔が司祭に通用しないようなので咳払いをして言い直した。


「それは、シュトライト子爵夫人をお見かけしたからですわ。私、彼女とは以前別の場所で親しくお話させていただいたことがありますの。このような所でお見かけしたのも何かの縁と思い、ぜひ同行させていただこうと考えただけです。きっと司祭さまたちと有意義なお話をされるのだと思いましたので」

「そうですね、確かに有意義な時間を過ごさせていただきました」

「ですから同じ子爵家の私だってご一緒しても構わなかったのではないですか?それをあの融通のきかない守衛ときたら!失礼にもほどがありますわ」


 司祭は憐れむような表情でアグネッサを見ると、穏やかにゆっくりと話し始めた。

「聖堂は断罪の場ではないので、あなたの無知を責めるつもりはありません。既婚者とは思えぬほどの若作りも大目に見てさしあげます」

面と向かって無知とか若作りと言われ頭に血が上って言い返そうとするアグネッサにその間を与えず、司祭はすぐに言葉を続ける。


「このままではハインスロー子爵が恥をかくことになってしまいます。それを防ぐために説明して差し上げましょう」

「主人が?恥をかくなんて、そんなこと。いやだわ、こわぁい。私が何をしたって言うんですぅ?」

アグネッサは未だに司祭の言葉を本当には理解していないので、いつものように甘ったるく媚びを含んだ言葉遣いになってしまった。彼女の態度に全く影響されない司祭は重々しく話し出す。


「カロル=アン・シュトライト子爵夫人はそもそも隣国アリトゥス王国の公爵令嬢でいらっしゃいます」


「はあっ?!」





お読みいただきありがとうございます。後編は明後日投稿する予定です。

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