第3話
ヒューレッドはマリルリから距離を取るように一歩後ずさる。
「ヒューレッド様。ほら、こちらに書類もすでに用意しておりますわ。ね?」
マリルリは豊かなドレスの胸元から、一枚の書類を取り出してヒューレッドに見せつけるように身体の前で書類をバッと開いた。
そこにはすでに王妃の署名とマリルリの署名が記載された婚姻許可書があった。あとは、この婚姻許可書にヒューレッドが署名するだけで婚姻は成立してしまう。
ヒューレッドは更にマリルリから距離を取った。
このままマリルリと結婚してしまえば、王妃と聖女を敵にまわさずに済むだろう。しかし、ここでマリルリとの婚姻を拒否すれば、ヒューレッドは王妃とマリルリの二人を敵にまわすことになるだろう。
王妃も聖女であるマリルリもこの国の象徴であり崇拝対象だ。そんな二人の提案を拒否したとなれば、この国にいられなくなってしまう。
そう思ってヒューレッドは一瞬思考を停止させた。
だが、このままマリルリと結婚してしまえば、誰の子かわからない子を自分の子として育てていかねばならぬのだ。それどころか、その後もマリルリとその取り巻きたちとの関係を許容していかなければならない。
せめて、ヒューレッドがマリルリの信者であればそれも許容できたのかもしれない。だが、あいにくヒューレッドはマリルリの信者ではなかった。
「恐れながら、マリルリ様。私は、宮廷魔術師を名乗ってはおりますがまだまだ精進していかねばならぬ身でございます。私は魔術師としての腕をあげるため、世界中をまわってみたいと思っております。ゆえに、私ではマリルリ様を幸せにして差し上げることができません。マリルリ様でしたら私よりももっとお似合いの男性が数多くいらっしゃるかと存じます。私のような魔術しか取り柄のない男よりも、もっと相応しい方がたくさんおりますゆえ……。」
どうすれば聖女であるマリルリの機嫌を損ねぬように結婚を断ることができるかと、ヒューレッドは普段魔術にしか使用していない脳をフル回転させる。
「私は、ヒューレッド様が良いのです。ヒューレッド様と婚姻をすれば、私は幸せになれますわ。」
ヒューレッドが必死に言葉を探しながら告げた言葉もマリルリの心には届かない。すでにマリルリの中ではヒューレッドとマリルリが結婚するのは確定事項なのだ。
「ですが、私にはマリルリ様を幸せにしてさしあげる自信がございません。」
「まあ!そのようなこと気にしないで。私はヒューレッド様と一緒になれればそれで幸せなのです。」
マリルリは目をうるうるとさせながら、上目使いでヒューレッドを見つめてくる。もちろん、胸元で組んだ腕でさりげなく胸を寄せ上げてアピールするのも忘れない。
「ね?ヒューレッド様、私と結婚いたしましょう?」
大きな目でパチパチと瞬きをしながら、マリルリはヒューレッドに有無を言わせぬように力を込めて告げる。マリルリはその強大な魔力で言葉に力を込めた。相手が嫌だと思っていても是と言ってしまうような人の思考を操る力だ。
「すみませんっ!やはり私には無理ですっ!!他をあたってください!!し、失礼いたしますっっっ!!!」
だが、そんな魔力が込められている言葉だとは知らずに、ヒューレッドはマリルリの言葉に込められた魔力を全力で弾き飛ばすと、断りの言葉を告げてその場から飛び去った。
「まあ。ヒューレッド様はとても恥ずかしがり屋さんなんですね。……それにしても私の言霊をやぶるとは、危険な存在だわ。是非、私の元に引き留めておかなければならないわね。じゃないと私の足下を掬われかねないわ。」
マリルリはヒューレッドが飛んでいってしまった先を見つめながら、聖女とは思えぬ黒い笑みをうかべた。