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ユキの場合

 夜、外の景色はもうすっかり暗くなってて、街灯の灯りもほとんどない。田舎の田園なんてそんなのは当たり前、だけど今年初めての雪が降ったから、うっすら雪化粧を纏った景色は街のわずかな光を反射させ、夜でも山の輪郭が少し見えた。


 六畳一間の実家の自室で、あたしは最後の荷物をスーツケースにしまおうと躍起になっていた。彼にあげるための小さな小箱を。


「でもこんなとこ入れたら傷ついちゃうかなぁ。手荷物にしよっかなぁ……」


 悪戦苦闘していると、部屋のドアをノックする音がした。


「ユキ、入るわよ」


 言いながらも、既にドアを開けて入ってきているお母さん。ノックの意味は?

片手に器用にコーヒーの入ったマグカップが二つ乗ったトレーを持って、後ろ手にドアを閉めた。散らかった部屋を見て、しかめっ面をしながらお母さんはトレーをテーブルの上に置いた。


「あんた、本当に大丈夫?向こうに行ったらもうお嫁さんだって言うのに、こんな散らかして……誰に似てこんながさつに育ったのかしら」

「あとこれだけしまったら片付けるの~。ちゃんと綺麗にして旅立つから心配ご無用、少なくともがさつなところはお母さんの遺伝子が大きいと思うけどな」

「琢磨さんがいつも心配そうにしてるのも無理ないわね、こんなんじゃ」


 漫画のようにお母さんは額に手を当てながら溜め息を突く。そんなお母さんを尻目にあたしはテーブルに着き、火傷しないよう気を付けながらコーヒーを口にした。

 気温が零度近くにもなる今夜、お母さんの淹れたコーヒーはきっと出来合いのドリップだって分かっているのに……身体を温める以上の暖かさを感じた。



 明日、あたしは家を出てオーストラリアへ旅立つ。



 お母さんもテーブルに着いて一緒にコーヒーを飲んだ。

今生の別れでもないのに、あたし達は親子の最後の時間を過ごすと言わんばかりに、多くの話をした。あたしが産まれた時の話や子供の頃の話、初めて家出した時やお父さんと出会った時の話や……彼の話も。


 彼、琢磨は大学の時に友達から紹介されて知り合った。同い年で背が高い、あたしより顔一つ分は間違い無く高かった。決してイケメンではなかったけど、とても爽やかな印象だった。その上彼は優しかった。


 琢磨とあたしが恋仲になることに時間は大して必要なかった。

彼はとても慎重派で大人しい、だけど心の中ではとても強く構えていて、大人だった。好奇心の塊のようなあたしをいつも優しく見守ってくれてるのが肌に、心に伝わってくる度にあたしは安心していた。



 琢磨と付き合って五年経ったある日、彼から一本の電話が入った。



 改まって伝えたいことがあるなんて、いつものトーンよりずっと低い声で、歯切れの悪い感じで、いざという時に強い彼がこんな口調で話すなんてことは……きっと良くない話。もう五年だからね、社会人になって色々な世界を見て、心変わりがあってもおかしくないもんね。



 あたしは色々な覚悟をして、だけど込み上げてくる涙を堪えながら彼との約束の場所に向かった。



 彼から告げられたのは、オーストラリアへの異動が出たことだった。それは正直驚いたけど本当に言いたいのはそのことじゃない。彼の様子を見ていれば分かる、普段はしっかりと目を見て話す琢磨が、ちっともあたしの目を見てくれないから。


 「別れよう」


 きっとこの言葉を吐き出すべきか、適当なつなぎ言葉を並べては、葛藤と戦っているのが分かる。彼はとても優しい、その優しさがとても辛い。何でも伝わってきちゃうから。苦しさも、悲しさも、愛しさも。必死に笑顔を作っていたけど、勝手に涙が浮かんでくる。


 耐えかねたあたしは、彼に気付かれまいと背中を向けて歩き出した。もう涙は止められない、大粒の涙がこぼれ落ちる。でも彼には絶対に気付かれたくない、そしてなにより……彼を失いたくない。


 ゆっくり深呼吸をして天を仰いで、あたしは決意した。琢磨と生きるこれからを勝手に想像して、琢磨のいない世界なんて、絶対自分で選んだりなんかしないって。大好きな琢磨なんだから、別れるなんて……絶対に言わせない。


 気が付くと涙は止まっていた、想像する未来に嬉々としながら琢磨の顔を覗きこんで、こう伝えた。



「じゃあ一緒に海外生活出来るんだね、すっごい楽しみ!」



 この時の呆気に取られた琢磨の顔を、あたしは一生忘れないと思う。そのくらい意外な表情で、初めて見せてくれた顔だったから。



「結婚しよう」



 さすがに、この言葉の前に涙を隠すことは出来なかった。



***



「ちゃんと迎えに来てね、英語だって自信ないんだから。うん、じゃあまた後でね、バイバイ」


 うん、と嬉しさを隠せない様子の彼の声が電話の向こうから小さく聞こえてくる。

空港内は朝にも関わらず人がたくさんいて、ガヤガヤと騒がしい。なのに電話越しの彼の声は全てハッキリと聞こえた。


 ジングルベルが鳴り響く、今日はクリスマスイブ。彼へのクリスマスプレゼントも忘れずに持った。


 十二月なのに向こうは真夏でクリスマス、日本では思いもよらない感覚だ。



 あたし達にとって、初めて過ごす特別な夏が来る。




~完~


お読みいただきまして誠にありがとうございます。


次回作は『さよならにはギムレットを』


拗らせ男子の悲恋の作品となっております、どうぞお楽しみくださいませ。



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