007 上田 その1
ようやく京都への旅路編開幕です。おゆきは男装すらしてません。そしてまだまだ京都は遠いです。
おっす、おらおゆき!
故郷を離れて京を目指して旅をしてるんだ!
生まれて初めて故郷を離れて、オラわくわくすっぞ!
・・・・
すいません。
調子に乗りました。
初めての旅でテンション上がっているのは本当だ。
小県の真田の郷を出て、矢沢郷の頼綱大叔父様を表敬訪問。
そこで一泊したのだが、これが結構の難行で、一晩中、大叔父様の自慢話的な昔話を散々聞かされて、かなり精神力を奪われてしまった。
私からすればお祖父ちゃんになる真田幸隆公が如何に信玄公の元戦功を上げたか。そこで自分がどの様に活躍したかを延々と聞かされた。
全く興味無いとは言わないが、さすがに話が三周目に入った辺りで、迂闊にもうつらうつらしてしまった。その瞬間に雷が!
年寄り雷コエー。
そこから延々と説教なのか愚痴なのかなんだかわからないお小言が始まってしまった。
武家の娘たるもの云々。最近の若い者は云々。そもそも昌幸が子供に甘すぎる云々。織田家如き成り上がりに頭を垂れる等云々・・・。
最後は酒が回って、気が付けば大叔父様自身が寝オチ。
それでも寝言でまだ、なんか喋っているんだから、すさまじいの一言だ。
オラどっとつかれただよ・・。
翌朝、心なしか顔が艶々になった大叔父様に、見送られ矢沢郷を出立。
しかし、さすが戦国を生き抜いて来ただけあり、元気だなーと思う事しきりだ。
頼光さんが矢沢郷に近づかないのもちょっと判った気もする。
さて我々は一旦まず上田を目指した。父上から上田を見て来いとのお達があった。
城でも作るのか?と思っているとやはりその通りの様だ。
上田盆地は太郎山と虚空蔵山を背後(北方)に控え、南には天然の堀となる千曲川、千曲川の北は段丘となっていてある地点から盛り上がっており、これまた天然の土塁になっている。
この虚空蔵山と千曲川は西方で交わっており、こちらから軍勢を入れるのは相当しんどそうだ。
東側は多少開けており、主攻正面とするならここ以外には無いと思われるが、盆地といわれるだけあって神川と小牧山裾野が広がっている為、大規模な軍勢を展開するだけ広さはない。
これは確かに天然の要害だ。
段丘の上に城を築けばおそらく難攻不落の要塞が出来上がるのではないだろうか。
私自身はそれ程築城に詳しい訳ではないが、容易に想像出来てしまう。
上田盆地の更に北には海津城という対上杉の要所もあり、今その城主森長可さんは其処から出撃し、北国勢の柴田勝家さんの軍勢と上杉の魚津城に猛攻を加えている。それは兎も角、北国から東山道へ抜けて東国または京方面に抜けようと思ったら、確実にこの上田が重要な要所になりうると思われる。
忍軍達はこの辺りで詳細な調査を行うという事で、私達一行もここで一旦足を止める事となった
待機組みの我々はと言うと、千曲川を挟んで上田の南方に広がる塩田平に移動し、そこで宿を取った。
ここには、別所と言う温泉で有名な宿場があるのだ。
塩田平は松茸や栗で有名なのだが、残念ながら時期では無いので、楽しむには至らなかった。
私ときりは、護衛の忍軍の中の女達を引き連れて温泉めぐりを楽しんだ。
我々が宿泊したのは、慈覚大師が開祖とされる北向観音近くの宿坊だったのだが、その程近くに大師湯と呼ばれる慈覚大師ゆかりのお湯場があったのでまずはそこに突入。
そこから歩いて程ない所に今度は大湯と呼ばれる源義仲公ゆかりの湯があるというのでそこにも行ってみた。
近くなのに湯元(源泉)が異なる様で、正直私の好みである。刺激的~♪
ついでなので、もう一つある石湯という湯場があったでそこも行ってみた。
北向観音から更に山側に登った所にある湯場で、野趣あふれるとっても雰囲気の良い湯場だった。
誰々の縁りの温泉とか特に書いていなかったので、もし父が上田に城を築いたら足しげく通って「真田幸村縁の湯」とかにして貰おうと心に誓ったものである。別所としては割と辺鄙な所っぽいので「真田幸村の隠し湯」でも良いかもしれない。
なので、真田幸村縁という字を近く岩に石でごりごり削って刻んで、おまけに六文銭を置いてみた。
満喫させてもらった礼じゃ取っておけ。
この当時の温泉はサウナみたいだったという話も聞きますが、あえてスルーしております。観光紹介みたいになってますが、わざとなので、この当時はな!などの考証的突っ込みは勘弁頂けると助かります。