073 佐助 その1
皆様あけましておめでとう御座います。
今年は、いきなり、おゆきと佐助の昔話から始まります。
幼い頃の私はとても体が弱く、三歳になるぐらいまでは、何度も生死の境を彷徨う様な状態に陥っていたらしい。
祖父の代から信玄公に仕え、父自身覚えめでたい武将だった事もあり、家はそこそこ裕福で、母とまだ幼い姉の献身的な介護もあり、何とか命を永らえた様な有様であった。
多くの者達は、私の事を成人はおろか、端午の節句も迎えられないのではないかと囁いて居た様だが、三歳に成る頃には、大分安定し、なんとか生き延びた~と皆胸を撫で下ろしたらしい。
それでも、まだしょっちゅう熱を出しては寝込む事しばしばな状態ではあったのだが、性格は今と変わらずその頃からやんちゃな女の子だったので、部屋や布団の中ではジッとして居られず直ぐ外に出たがる困ったチャンであった。
その頃になると、重臣高嶋内記の娘のきりが一つ違いという事で、私の遊び友達として、私の世話を焼いてくれる様に成っていた。この頃からきりは、私にとっては掛け替えの無い友達だったのである。
私は良くきりを連れ立って、屋敷を抜け出し郷の近くの野山に冒険(といっても大人の足なら十五分も掛からない様な近場だが)に行っていたのだが、ここで一人の男の子に出会う事になる。
出合ったのは川原で、夏は涼しいからと、珍しくきりの方から誘われて、屋敷から程近いその場所に行ったのだ。そこで、やせっぽちで、ちっちゃな男の子が、なにやら変な体操をしていた。
「ねぇねぇ踊りの練習?」
幼くお嬢様育ちで遠慮と言うものを知らない私は即座にそう聞いた。男の子は一旦動きを止めて、こちらを見たが、何も言わず再び体操めいたその動きを再開する。
「ねぇねぇ」
きりの「姫様」という注意を振り切って、しつこく聞く私。流石に諦めたのか、放って置くと逆に煩いと思ったのか、こちらにつかつか歩いてくる男の子。
「踊りじゃない。忍術の訓練だ」
ぶっきら棒にいう男の子。これが佐助と私たちの出会いだった。
その日以来、同年代の男の子というものを兄以外に知らなかった事もあり、私達は忍術の訓練とやらをしている佐助を見に川原に足しげく通った。
私も真田の娘なので忍軍の人達はたまに見かける。訓練とかは流石に見た事はないが、彼がやっているのって本当に忍術の訓練なんだろうか?とは思うのだが、それを口にするのはなんか憚られたので、ただ彼の踊りを見ていた。
やがて言葉遣いは相変わらずぶっきら棒なままだが、それなりに喋る位仲良くなってきた。お弁当を一緒に食べたりとかもするまでになった。
話していて判ったのだが、彼はまだ忍者として正式な訓練は受けていないそうだ。通常真田の忍軍の訓練所は五歳を超えなければ入れない。有る程度身体が出来てから正式な訓練を始めるらしい。
五歳で体が出来るとか私には想像できないが、そう言うものらしい。其れまでの間はお家で訓練めいた事をする事はあるらしいが、彼は両親を幼くして無くしている為、教えてくれる人がおらず独学で頑張っているそうだ。
道理で今一私のイメージとは違う感じの訓練だったわけだ。
彼の父親は忍軍の一人だったのだが、上杉との戦いの中で命を落としたそうで、彼も父親の後を継ぐ為に目下鋭意努力中である。俺は忍者になるんだと言う彼の目は珍しくキラキラしていて、妙に眩しかったのを覚えている。
まぁ五歳に成れば忍軍養成所に入れるのだから、今は多少独学でも問題ないだろうと私は納得した。
大分仲良くなった我々は、彼の訓練を見ながら、一段落付いたらお昼ご飯を一緒に食べながら、おしゃべりをする生活を続けていた。
きり等たまに彼の真似をして、訓練に付き合っていたが、きりがやると更に可笑しな事になり、ヘンテコな踊りにしかならない。私は息が続かない性質でとても一緒には出来ないが、其れを笑ってみているのがとても楽しかったのを覚えている。
私の体調は相変わらずで、たまに熱出して寝込む。
その際は、当然この訓練見学は中止になるのだが、復調してまた見学に行くと佐助が相変わらずぶっきらぼうな口調で「昨日はどうしたんだ?」と聞いてくる。
なんか怒った様な感じで聞いてくるので、お弁当を期待していたのかな?等と思って、それ以来私の体調が悪い時は、きりに頼んでお弁当だけでも届けてもらったのだが、なんだが不機嫌さが増した様子だという。
その頃の私は彼がよもや私の体を気遣ってくれていた等とは想像も出来なかったのだ。
一回、あまりにも私達が足しげく通うからだろうか、庄八郎師匠(勿論その頃はまだ師匠ではない)が様子を見に来た事があった。
その頃の師匠は若手のリーダーで、上月八郎を名乗っていた。
心なしか佐助の訓練に気合が入っていたが、おそらく懸命のアピールだったのだろう。
だが、師匠には伝わらなかった様で、しばらくして佐助にも私達にも何も言わず、立ち去っていった。
季節が変わり、夏が過ぎ更に短い信州の秋も終わりを告げようとしていた。
きりも「流石にもう寒いですから川原通いは難しいですね」と言い始めていた。今でもだるまの様に着膨れて通っている有様だ。火鉢でも持っていこうかしら等と思っていたら、きりがふと思い付いた様に言った。
「でも、佐助さんも歳が明ければ六つ(数え)ですよね。忍軍の訓練所に入られるんじゃないですか?」
なるほど、彼は私より一つ年上、きりと同年だから来年は五歳か・・。
我々はそんな事をのんびり考えていたそんな時期、その事件は起こった。
3~4歳ぐらいの一番可愛い盛りのおゆきときりが登場しました。佐助はその頃からぶっきら棒で愛想が無かったんですね。




