3−2
「愛する人の涙が魔法を解くんです」
「愛する人?」
「そう。愛する人の悲しみの涙が私たちの魔法を解くことができるんです」ヘンリックは言った。
「でも、一方的なものじゃだめなんです」ヘンリックは付け加えた。
「涙を流す方も、涙を流される方も、お互いが愛し合っていないと、魔法は解けないのです」
なるほど、とオーレリアは思った。
一方的じゃないというのが、両親から聞かされてきた童話よりも現実的な話だ。
しかし、そんな難しい話ではないだろうに。
「なんでそんな簡単な事を、今までしなかったの?」
「簡単じゃありませんよ」ヘンリックは珍しくパシっと言った。「誰が好きこのんで愛する人を悲しませるようなことをするんですか?僕はキンバリーにそんなことはさせたくないですよ」
「キンバリーさんに?」
キンバリーとは、兄弟のことを何かと世話をしてくれる親切なグースおばさんの娘。どうやら二人は将来を誓い合った仲らしい。
ヘンリックの言う通りだった。うれし涙は簡単かもしれない。でも悲しませることなんか誰がするだろうか?
「あなたは、キンバリーさんを悲しませたくないから、それをしないの?」それとはキンバリーに悲しみの涙を流させることだ。
「それもありますが、兄のこともありますし」そう言ってヘンリックは洞窟の入り口の方を見た。レオナルドが戻ってきたような気配はない。
「兄は『俺はウマでも構わない。お前は早いところ魔法を解け。
婚約者もいることだし』といつも人間の時に言っているんですが、国を追われてから私たち兄弟はいつも片方がウマになっていても苦労を分かち合ってきました。
そんな兄を差し置いて私だけ人間に戻るなんてできませんよ」そう言ってヘンリックは「ふっ」と笑った。
ヘンリックの笑いが、どういったたぐいの笑いなのか分からなかった。
「兄は本当は優しい人なんです。森のみんなに慕われているのも兄のおかげなんです。兄がいなかったら私一人じゃどうしようもありません。
『二人とも人間に戻れたとしても、俺は木こりを続けたって良いと思っている。俺は森の王様だからな。国はお前とキンバリーが新しく興せばいい』なんていつも言ってますよ。
優しすぎる人というのは自分のことはどうでも良いように出来ているんでしょうか?」
ヘンリックは、誰に聞いているのでもなかった。ただ、誰かに聞きたかった様子だった。兄の言っている事が正しいのかと。
優しい事は良いことだと思う。
でも、それで自分は不幸のままじゃどうしようもないんじゃないだろうか?自分も周りも幸せに出来るのが本当の王様なのじゃないだろうか?
洞窟の入り口の方からウマの足音が聞こえる。レオナルドがどこからか戻ってきた。
オーレリアは炎を見つめていた。顔が火照っている。
翌朝。
王女アルテミス、王子ヘンリック、ウマになった王子レオナルドは再び歩き出した。道は険しくはなかったが、寒さは骨を砕きそうなほどに強さを増してきた。
もう、氷の魔王が支配する領域に入っているはずだった。
二人と一匹の吐く息は真っ白だった。
「氷の魔王というのは?」
オーレリアはこれから倒しに行く氷の魔王についての知識がなかった。知っているのは兄弟の仇だということだけだった。これでは誰の敵討ちなのかも分からない。
「僕たちの国は豊かな森がありました」ヘンリックは語りだした。
「森は色々なものを与えてくれました。たくさんの獣、材木になる木々、多様な薬草。でも氷の魔王が現れて一瞬にして森を凍結させてしまったのです。
それが原因で国には食べ物がなくなり、病気が流行って、滅びました。もう立て直すべき国がないから仇というのもおかしな話ですが、氷の魔王はすべてを凍らせてしまおうと狙っているのです。
誰かがヤツの野望をうち砕かないとなりません。それに今、私たちが住まわせてもらっている運命の森も安全とは言えないのです」
「というと」
「運命の森が氷の魔王の標的になるのも時間の問題です」
「その通りだ木こりの王子よ」
一行の目の前に霜柱が次々と積み重なった。
やがてそれは巨大な人の形になった。
「久しぶりだな、というよりお前は自分の国が誰に滅ぼされたかも覚えてはいないな」巨大な氷の人型は笑った。
「忘れるものか、氷の魔王」ヘンリックは剣に手をかけた。細身のたくさんの宝石がちりばめられた剣。
「ふん、度胸だけはほめてやろう」またしても魔王は呵々と笑った。
「だが、そんな細身の剣でなにができるか」と、突然、人型が猛烈な氷の息をヘンリック目がけて吐き出した。ヘンリックはそれをひらりとかわした。
「ほう、相変わらず逃げ足は早いな」ヘンリックはまだ剣に手をかけたままだった。抜いてはいない。「ところで野蛮人の兄はどうした?」
氷の魔王はあたりを見回していた。どうやらウマになったレオナルドとオーレリアは眼中にないらしい。
「死んだか?」魔王は冷たく言った。
オーレリアは何が起きたかを理解する前に、怒りがわいてきた。
このような無茶苦茶な生き物をのさばらしてはいけない。
もしこの世に存在してはいけないものがあるとすれば、それは目の前で氷の息を吐いている化け物だけだ。
「氷の魔王!私たちはあなたを成敗しに来ました」
オーレリアはレオナルドに乗ったまま氷の魔王に向かって宣言した。鎧を着てウマにまたがったその姿は戦士そのものだった。
「ほう」氷の魔王の注意がオーレリアの方に向いた。「どこの誰だか知らんがワシに対して刃向かうとケガだけではすまんぞ!」氷の魔王はヘンリックにしたのと同じ、氷の息を吐いた。
(やばい!)レオナルドは自ら竿立ちになった。いきなり竿立ちになったレオナルドからバランスを失ったオーレリアが転げ落ちた。その事によって氷の息はレオナルドだけにかかった。レオナルドはオーレリアの楯になった。
「レオナルド」と声をかけるヒマもなく、レオナルドはかちんこちんに凍り付いていた。
前足を上げた姿勢で銅像のように固まっていた。レオナルドは自分からオーレリアを振り落とすことで彼女を助けていた。
「ほう、ウマに感謝するんだな」呵々と氷の魔王は笑った。
オーレリアの中の感情が暴走を始めた。それは怒りの感情だった。
怒りは鎧から剣からオーレリアの身につけている物すべてに引火して、それは炎になった。オーレリアは炎を着ているようだった。
「覚悟しなさい氷の魔王!」
「貴様など一瞬で凍り付けにしてくれるわ!」
氷の魔王は強烈な吹雪を吐いた。しかしオーレリアは歩いていた。吹雪の中を前屈みになりながらも歩いていた。炎の鎧がオーレリアを守っていた。
「それで終わりですか?」氷の魔王に近づきながらオーレリアは言った。オーレリアは無言で剣を抜いた。鞘から出てきた剣は炎を放っていた。オーレリアの怒りがそうさせていた。
オーレリアは兜を脱いだ。自分の敵の姿を良く見るために。
「あなたはレオナルドを凍らせてしまいました」オーレリアは言いながら剣を構えた。「今度は貴方が溶けてなくなる番です」
オーレリアが炎の剣を一振りすると、氷の魔王は断末魔の叫びを上げると氷から蒸気に昇華しながら消えていった。それはものすごい量の蒸気だった。
あたり一面が深い霧というか蒸気に覆われていた。一寸先も見えないくらいに。オーレリアは兜を脱いだ。
「やった、やったぞ」
霧の中でヘンリックの声がこだましている。
その声を聞きながらオーレリアは、
(何を喜んでいるのだろう、ヘンリックは)とぼんやり考えていた。
氷の魔王は溶けて消えた。跡形もなく、存在していたことすら分からないくらいに。
オーレリアの足元に一頭のウマが、凍り付いたウマが横たわっている。そのウマがかつて人間だったなんて他の誰が分かるだろうか。
もうもうたる蒸気の渦が凍り付いたウマの体を溶かしていく。ウマは解凍されて、皮膚は元に戻っていった。しかし、ウマの命は元には戻らない。
凍り付いた体が溶けても、凍り付いてしまった命は再び溶けたりはしない。
蒸気の渦が晴れた。
ヘンリックは一人で喜んでいたのが恥ずかしくなった。
何が嬉しいのだろう。嬉しいことなんてあったのだろうか?
鎧を着た王女と足元に横たわる凍り付いた兄の姿を見て思った。
オーレリアは、鎧を着たオーレリアは微笑んだ。それは寂しさがあり、憂いがあり、悲しみの色がある、笑顔とはほど遠いものだったが、それでも微笑みだった。
悲しい微笑み。
おびただしい蒸気の渦に巻かれて汗に濡れたような、水滴が浮いた、光をあびてきらきらと輝く悲しい微笑み。
「オーレリア」ヘンリックは声をかけることしか出来なかった。
「本当に悲しい時って、涙なんか出ないんですね」悲しい微笑みをたたえたままオーレリアは言った。
そうなのだ。
本当に悲しい時に人は涙なんか出ない。
涙が出るくらいの悲しみなんか、本当に悲しい時じゃない。悲しい時は、何もない。何も起きない。
だから悲しいんじゃない?
「ごめんね」
ほとんど使ったことのない、俗語に近い簡単な言葉をオーレリアは吐いた。そう。それは言うのではなく吐くだった。それを吐いていた相手は、凍り付いていようが凍り付いていまいが動かなくなってしまったウマだった。
「あなたがいなくなって本当に悲しいんだけど、今の私には悲しすぎて涙が出ないんです。あなたの魔法を私には解くことができないんです」
謝っていた。オーレリアは謝っていた。戦いに勝てたのはオーレリアのおかげ。でも彼女は謝った。
呪いを解けなくてごめんね。
落ちない涙に彼女は悔いていた。
なんのために戦ったのだろう。
なんのために氷の魔王を倒したのだろう。
なんのために彼と出会ったのだろう。
あるのは後悔ばかり。
その時、涙が落ちた。
オーレリアの顔に額についている水滴が眼の周りに集まり、大粒の涙になって落ちた。
ウマの上に。
レオナルドの上に。
それは、呪いを解く唯一の方法。
呪いを解くことができる涙。
「愛する人の悲しみの涙が呪いを解く」
それがウマの上に落ちていく。
そして弾けた。
奇跡が起きた。
それを奇跡と言わずしてなんと言おうか。
レオナルドがウマの姿から人間の姿に戻ったのだった。
たった一粒の涙が、奇跡を起こした。
「・・・こっ」驚いて声が出ないのは奇跡を起こした当人のオーレリアだった。
「や、やったあ」思うように声が出ないオーレリアに変わって、ヘンリックが声を上げた。
「俺は・・・」自分の身に何が起きたのかが分かっていないのはレオナルドも同じだった。
「どうなってんだ?」言ってから分かったことは自分がもうウマの姿ではなく、人間の姿に戻っているということだった。
「兄さん」真っ先に声をかけたのは弟のヘンリックだった。
「お前も人間、俺も・・・」
「魔法が解けたんだね」
「そうじゃない」
どこからともなく声がした。レオナルドのものでもなく、ヘンリックのものでもない、オーレリアのものでもない、老婆の声が。それは、どこかで聞いたことのある声。
声がする方を見ると、あたりを漂っている水滴が集まって人の形になった。それはやがて老婆の姿になった。
「グースおばさん」
ここにいるはずのない運命の森の隅に住む、レオナルド兄弟の世話をなにかと焼いてくれる優しいおばさんだった。
「なんでここに」
「おめでとう、お前さんたちの試練は終わったんだよ」
「試練?」兄弟は聞いた。
「そう。ウマのレオナルドはもう死んだんだ。新しく生まれ変わったのは人間のレオナルドだということ」
「どういうことなんです?」聞いたのはヘンリックだった。
「お前さん達の国は滅びてもいないし、氷の魔王なんてのもただのまやかしなんだよ。お前さん達が強い王子になるために、王様、つまりお前達の父上が課した試練なのさ。私はお前さん達の近くで監視をしていたのさ」
「それじゃあ、それだけのために父上はこんな回りくどいことを」
「王子にも試練は必要なの。いや、王子様だから試練が必要なのかもね」
グースおばさんはレオナルドの方を見た。
「お前さんの言う通りだよレオナルド。きれいな服を着た王子様にこんな試練はできないやね。お前さんは汚くて強い王子を良く演じた」
「汚いだけ余計だよ」レオナルドは立ち上がった。
「それにヘンリック。あんたはきれいな服装の王子様なのに勇気を出して氷の魔王に立ち向かったねエライよ」グースおばさんの言葉にヘンリックは静かに照れていた。
「ただ、娘のキンバリーを取られたのは私の誤算だけどね」ヘンリックはますます照れていた。
「レオナルドも知らない間に、ちゃっかりお妃を見つけて」
「ちょっと待てよおばさん。オレはお妃なんて見つけた覚えはないぜ」
グースおばさんはレオナルドを見てから、オーレリアの方を見た。
「良く言うわ。言い伝えを忘れたのかい?愛する人の涙が呪いを解くって。あたしゃ動物の呪いはかけた覚えはないよ」
レオナルド、ヘンリック、それにオーレリアは顔を見合わせた。すべてがグースおばさんが仕組んだことじゃなかったらしい。
動物の呪いは別の誰かが仕組んだこと。
オーレリアが流した涙は本当で、レオナルドの気持ちも本当だということだった。
「なんでハダカなの!」叫んだのはオーレリアだった。オーレリアは剣を振り回した。
「仕方ないだろ、ウマは服は着てないんだから」ハダカのまま仁王立ちでレオナルドは言った。
「あんたなんか私の王子様にふさわしくないわよ」
「お前みたいな剣を振り回すお妃様なんて聞いたことない!」
王子様と、王女様の微笑ましいやりとりの様子をグースおばさんと、弟王子のヘンリックは見ていた。
「お似合いのようですね」
「まー、若いってことはいいことだね」
北の北の果ての凍り付いた山に、王子と王女の声がずっとずーっと響いていた。
その後、レオナルドとオーレリア、ヘンリックとキンバリーがどうなったのかは、知られていません。
新しい国を作ったとも、木こりを続けたとも言われています。
遠い遠い昔の物語はここで一旦終わります。
この続きはいつか誰かの手に、誰かから伝えられるかも知れません。
読了ありがとうございました。
あまり深く考えずに「王子様」というキーワードだけを使って書きました。
初の連載投稿完了です。




