泉の道
セキと別れたのち、望白は城のはずれに部下を集めた。
山林を眼前に部下へ背中を向け、告げる。
「我ら望邑の小隊は出陣いたします。僕とともに死ぬ覚悟のある者のみ、ついてきてください」
逃げるものは逃げよ、という覚悟が滲む。
望白の部下はみなその背中に命を預け、未来を賭ける武者たちであった。
彼らは言う。
「無論。我らは望白さまの出世を願う者です。ついて行きます。望白さま、敵の兵糧庫を襲うということですね」
望白は部下を振り返り、首を振った。
「いいえ。兵糧庫は襲いません。まず、望邑へ援軍を要請しましょう。あなたに、これを託します。父にお伝えください」
そう言って、信頼する部下のひとりへ腰につけた貝を渡す。
「僕らは、泉への道を塞ぎます」
「泉の道……まさか」
「そうです。先の戦で、敵に攻められ、滅びる原因となった場所です。狭路に戦えば、死地となりましょう」
「もし、敵が来れば……」
「ええ。最も過酷な戦いとなるでしょう。あのセキさんに告げれば、必ず戦力を割いてともに戦うと言いましょう。しかしそれはいけません。すでに新城には住民がおります。民を守るために、婦好軍の力は必要です」
「我々だけで行くために、婦好軍を欺いた、ということでしょうか。ですが、敵が必ず来るとは限りません」
「敵は必ずくるでしょう。賛同できないものは新城の守りについてください。それもまた重要です。僕に従っていただくのは、このなかの半数で構いません」
百人隊のうち約五十名は、望白に従った。
川のほとり、泉の先。崖の窪みにて敵の襲来を待つ。
ある部下は敵の襲来があるなど、半信半疑であった。
ざくざく、という敵の足音が耳に届くまでは──。
望白が合図を出す。望邑の五十人隊は敵に襲いかかった。彼らは槍で一斉に敵兵数名を突き刺す。
南方の族は数名が命を落とす。
「この邑は、僕が守ります!」
望白は、敵の将軍格であろう者に槍を向ける。
将軍はすかさず躱し、素手で望白の肩を殴る。
「望白さま!」
吹き飛ばされた望白は態勢を立て直した。腰に帯びた剣をとり、部下の槍とともに挟み撃ちにする。
「フン!」
部下の武器を将軍はいとも簡単に、ばきり、と折る。
「オマエ……、宣戦布告ヲシテイタ、望邑ノ子ダナ」
敵の将軍は大の男二人分の黒衣を纏い、仮面を被り、操りきれない商の言葉を放つ。
「そういうあなたは虎封さん、ですね。……将軍が来るとは思っていましたが、まさか総大将自らが来るとは。総大将は敵地奥に侵入しないものです。あぁ、僕らも、人のことは言えないでしょうが」
「我ガ葬ラン!」
ふおん、と虎封の剣が弧を描く。
望白の腹部に当てていた防具の紐が切れ、がらん、と落ちた。
「っ……強いですね……! わくわくしますよ!」
望白は逃げながら、落とした槍を拾い、振るう。相手の武器は剣である。長さの分だけ望白に有利だが、接近されると危ない。
平地と違い、樹々の間の戦いは行動の制約が多い。
じりじりと、距離を取りながら武器を構えた。剣がひゅうと鳴っては、さらりと避ける。望白の目的は時間稼ぎだ。
「逃ゲルナ!」
「あなたに敵わないことなど、わかっています。あなたではない。あなたの部下に用事がある。まわりをご覧ください」
虎封の部下たちは、次々に狩りとられていた。否、お互いに殺しあい、木々の緑が紅く染まる。敵は総勢三十名ほどの奇襲隊である。望白の部下はそのほとんどが差し違えて絶命していた。
望白は高台に移動して、挑発する。
「将軍よ。もし最後のひとりとなったら、どうします? 撤退しますか? 撤退していただけるならこちらの思惑通り、僕の勝ちです! はははは!」
「殺シ続ケレバ、オマエモヒトリ、ダ」
激高した虎封は左手で部下の武器をとり、渾身の力でその心臓を刺す。
「望白さ……ま……」
部下は木に串刺しにされて、絶命した。
「ええ。人はみな、ひとりです。生まれたときから、死ぬまで……!」
望白の瞳からひと筋の滴が流れ落ちる。
自らの首に手を当てて、敵の総大将に問うた。
「さあ、この首を持って帰りますか? それともひとり新城に乗り込みますか?」
「……、我、ソノ首ヲモッテ進ムノミ!」
松明をかざす者はいない。
暗闇のなかで立ち向かう。
将軍の気が放たれた瞬間のこと。
虎封の剣が望白の肩を抉った。望白は地を転げて攻撃を躱す。
二度目、三度目に振り下ろされた刃は空を斬り、地に刺さった。
「コレデ、オワリダ」
望白の危機に、部下たちが声を上げた。
「愚か者め! わたしはこちらだ!」
「ムウ!」
部下の声につられて、虎封の足音が遠のく。部下は囮となったのだ。
別の部下が、望白を保護をした。
「望白さま……!」
「本当は、ここで追い払いたかった……。しかし、すみません。ここまでのようです」
部下が肩を抱いた瞬間、生温かい液体がその掌にべっとりとつく。
「望白さま……! 出血が……」
望白の呼吸が早まる。
「……望邑より引き連れていた部下たちよ。巻き込んでしまった。僕の責任です。女性だけの軍に、惑わされた僕の……」
「……望白さま、しっかりしてください、望白さま」
部下は望白を土でできた窪みまで運ぶ。
そっとその身体を木々に預けた。
「良い場所を、見つけてくれましたね」
夜が明けてきた。山の木々に徐々に色が戻る。
「敵に見つかるでしょうか。ふふ……、しかし動けません……。すこし、眠ります……」
望白の視界が銀色に包まれる。がくり、とその首を垂れた。
望白の落ちた瞼に朝陽が照る。
◇◇◇
朝、サクとレイは多数の敵を高台から望む。
敵に見つからぬよう、少数にて隠密の道を通っている。
敵は新城の周りに布陣していた。
「こうして見ると、すごい眺めね。まるで獣の群れが休んでいるよう。サク、どうするの」
レイの言うとおり、敵はいま夜間の戦いに備えて休息を取っていた。
──隙だらけである。本来であれば、敵が油断しているいまのうちに攻めたい。
しかし、今は味方も疲弊している。本陣に帰って兵を休ませなければならない。なにより兵力が足りない。
──戦いに勝つには、味方と合流して太陽のあるうちに戦いをしかけなければ。
「本陣に戻ります。泉の道から、帰るのです」
「泉の道?」
レイが涼しい顔で聞く。
「かつて、敵が侵入した道です。敵も知るところ。まずはそちらからも攻めます。攻めていなくとも、新城に通じる道となっています」
「サク。そのことは占わなくてもいいのかしら」
風がレイの髪を運ぶ。色素の薄い髪。
婦好の腹心たるレイのことを、少しだけ外見が婦好さまに似てきた、とサクは思う。
──しかし、違う。
「できません。いつもは、王の代理たる婦好さまを通じて神に問うているのです。そして、確信を持っているときは占わないものです」
「ふふ、そういうものなのね」
サクの身体の中心から、血が沸き立つようにめぐる。巫女としての血だ。
戦場で重ねた経験もまた直感力を研ぎ澄ましている。
「胸騒ぎがします。急ぎましょう」




