防城の策
【お知らせ】
いつもお読みいただきありがとうございます。
みなさまのおかげで来年2月頃にヒストリアノベルズさまより書籍化することになりました。もしよろしければお手にとっていただけると嬉しいです。
◇◇◇
──望白さまとセキさまが危うい。
婦好とサクは顔を見合わせた。
婦好軍は本陣へ向け、踵を返す。
新城への帰還を急ぐも、南のじめじめとした暑さが体力を削いだ。
馬車の車輪がぬかるんだ土に嵌り、うまく進まない。
疾走する馬車のうえで、ハツネの部下がサクに近づいた。
「サクさま。先に、伏兵がおります」
「数は、どのくらいでしょうか」
「およそ、五百。虎方の九将のひとりが率いております。お気をつけください」
「報告、ありがとうございます」
サクは礼を言うなり、婦好に報告する。
「婦好さま。お聞きいただいていたかと思いますが、前方に伏兵が居るようです」
「敵はあくまでも我々を罠にかけようということか」
サクの主人はいつだってどこか、余裕のある声色を奏でる。
「サクよ」
ふわり、と、華の香りがした。
「先に本陣に戻れ。分けるは第一隊と、サクのみ」
「いま、婦好軍はすでにこちらと本陣、二隊に分かれている状態です。さらに隊を分けるのは」
婦好は馬車の中でサクの腕を引き寄せ、その背を抱きしめた。
「サク。そなたの知恵で、セキと望白を助けてほしい」
薄茶色の瞳がまっすぐにサクを見つめる。サクはその瞳の色の深さに弱かった。
──主人の願いを、誰が断れるだろうか。
「承知、しました。婦好さま。必ず、新城でお会いしましょう」
「もちろんだ。サク。ともに新城で会おう」
「ええ、必ず」
「レイ! こちらへ!」
「はい」
婦好の命に、レイの馬車が並走する。
「第一隊は、サクとともに先に本陣へ」
「承知しました」とレイは答えた。
「ときが惜しい。馬車を交換しよう」
「ええ!」
婦好はひらりと、レイの馬車に飛び乗る。
レイもまた婦好の馬車に飛び乗った。
罠だと思っていてもなお、二隊にわけなければならない。
「婦好さま! どうか、ご無事で……!」
黄金の鉞が空に掲げられた。
婦好の紅の衣が遠ざかる。
サクの声は、風にかき消された。
◇◇◇
望白とセキは、外城の回廊から下を見た。
闇黒に、無数のかがり火が煌めいている。
煙の匂いが立ち込めていた。
新城は敵に包囲されている。
「悪夢がよみがえります。この光景。昔を思い出します」
望白がつぶやくと、セキがばしり、とその背を叩く。
「望白。大丈夫だよ! この城は強いさ」
「お気楽な大人はみな、そのように言うものです」
敵から罵声が聞こえる。そのなかで、
「望邑ノ戦士タチヨ!」と、
敵方から低い声が、闇に響く。
まるで鎧に反響するような、こもった声音だ。
「我ハ将軍、虎封ナリ。城ヲ返シテモラウ」
声の主は長い黒衣を深く被っており、その顔を確認することはできない。
まるで大の男二人分を隠すような衣である。
「おやおや、婦好さまもいないのに、宣戦布告かい。まいったねぇ」
頭を掻くセキの隣で、望白は腕を組む。
「あの敵大将は、商の言葉を話せるのですね」
望白は頭巾の紐を風に靡かせてセキと向きあった。
「セキさん。僕は出陣します」
敵の城攻めに対して守備兵が少ないときは当然、籠城するものである。
セキは目を見開いた。
「なにを言うのかい。こっちの兵は少数。こういうときは、籠城が一番さ。一緒に城を守ろうじゃないか」
「ここは、僕の故郷です。そして、故郷が攻め滅ぼされたときも、籠城戦でした。籠城は攻める方には不利な戦いですが、守るほうにしても万能ではない」
「それならなおさら、出兵は控えて内部の弱点に備えるべきさ。とにかく、いまは出るときじゃない。婦好さまの到着を待とう」
「過去も、そう言って機を逃したのです。あのときは僕も小さかった。だから、待っていることしかできなかった。しかし、今は戦えます」
「落ち着くんだよ、望白。ここは過去じゃないさ。冷静になるんだよ」
「僕は極めて冷静ですよ。 僕に策があります」
「……策? どんな考えだい?」
「敵からこの城に続く補給線への道は、婦好さんの居る野営地を除けば、小さな邑ひとつしかありません。それを完全に断つのです」
「断つって、どうやって」
「小さな邑ですから、兵糧を襲うには容易いでしょう。できれば、奪います」
「しかし、そこへ至る道はどうするんだい? いま、周りは敵ばかりだ。危険すぎやしないかい」
「危険は承知です。しかし、これは僕と虎方の戦いなのです。危険に賭けないと勝利は得られません。それに、本来、あなたがたには関係がないはずです。もし邪魔をするならセキさんといえども、殺します」
セキは望白の瞳の奥に潜む真意を汲もうとした。
「まさかあんた、自分だけが犠牲になろうとしていないかい……?」
「まさか……本気で勝つ気でいますよ」
セキは大きなため息をついた。そして望白の身体を引き寄せる。
そして、まるで母を演じるかのように、冷たい心を抱いた。まるで子守唄のように望白にささやく。
「いいかい、望白。あたしを信じな。こんなこともあろうかと、城の守りは万全さ。安心しな。五日も持ち堪えれば、婦好さまが来る。そうすれば、焦らずとも挟み撃ちさ。苦しい持久戦となるだろうけど、いまはただ、相手が疲弊するのを待つんだ」
抱擁する二人の後ろでは、敵兵の挑発するような鼓の音が絶えず響く。
「我ハ虎方イチノ将軍ナリ! 望邑ノ戦士ヨ! 手合ワセヲ願ウ!」
不慣れな商の言葉が風に乗る。
セキは敵の声に耳を澄ませた。
「この声を聞きな。相手は挑発してきている。ということは、出兵すれば、相手にとって都合がいいってことだ。ここはぐっと我慢するのが一番さ」
「僕の考えは変わりません。さきほど、セキさんは犠牲、と言いました。では、賭けをしましょう」
望白はセキの身体を離した。
「商では羊を使って神に真を問うと聞きます。僕が羊になりましょう。もし僕が賭けに勝てば、あなたがたは僕の策を受け入れる。いいですね」
セキの返答を待たずに、望白は城壁に作られた煉瓦の淵に足をかける。
両脇に部下に置き、松明を掲げさせた。
無数の火を灯す敵を見下ろす。
「我は望邑の王、望乗の子、望白!」
望白は大声を放ち、敵を挑発し返した。
「我が城を盗んだ、臭くて野蛮な獣たちよ! この城の主人はここです! この城が欲しければ、この身を射てみなさい!」
将軍、虎封もまた望白の挑発に応じた。
「殺ス。ミナノモノ、射ルノダ。王ノ子ト言ッタナ。ソノ首、塩漬ケニシテ望邑ノ王ニ送ラン」
敵から矢が一斉に放たれる。
望白は笑みを浮かべて、両手を広げる。
「ははははは、どこを狙っているのですか?」
望白は飄々として躱す。
一矢としてその身に届くものはなかった。
「矢は当たることはありません! 虎方の蛮勇よ! 汚らわしいあなたがたに、この城の土を踏ませることはないでしょう! 兎の巣へと帰りなさい!」
望白は、城壁の淵からセキの居る回廊へひらりと戻った。その身体にひとつとして傷はない。自信に満ちた声で言った。
「僕の勝ちです」
「望白……」
「セキさんの負けです。出陣します」
セキに対して冷たく言い放つ。
セキの制止もむなしく、その背中は闇に消えた。
「望白! やめな! 待つんだ、望白!」




