虎方の使者
城壁造りにはセキが指揮を執った。
婦好軍の非戦闘隊と望邑の工人が作業に携わる。
「補修と改築をしていくよ」
城郭の基礎はすでにある。
外壁は山を背に、半周の土が盛られていた。
煉瓦を敷き詰めれば、新たなる城壁が完成する。
新しい試みをする一方で、サクは不安に襲われた。
新たなる城を造る。それは、商を守ることにつながる。
しかし。
──いままで選択したことは、本当に正しかったのだろうか。
まるで不安を察知したかのように、婦好が背後からサクの肩に手を触れる。
「サク。楽しもう。戦に男も女も関係ない。だが、かつて、女の手によって造られた城があるだろうか。わたしの心は躍っている」
サクは胸中を打ち明けた。
「占いをしたことで、もう迷うことはないと思っておりました。しかし、わたしにはまだ迷いがあります。成功を確信できるまで、迷う心とは向き合わなければならないのかもしれません」
「難しい局面だ。しかし、わたしたちであれば乗り切れる」
婦好はサクの頭にぽんと手を置く。
ふわりとした花の香りが立ち去った。
入れ代わるように、サクの前に弓臤が現れる。
「義兄さま」
「敵地に城を一から作るのは、困難を極める。あるものを塗り直す。正解だ。それでいい」
「難しいところですが、立ち向かいます。建設はセキさまに。防衛は婦好さまとわたしで」
「このような現場、なかなかお目にかかれぬ。俺もしばらく厄介になろう」
夕刻に虎方の使者が訪れた。
商の言葉を操る者。美しい立ち姿。
虎譚である。
襲撃ではない。
虎譚がひとり門前に立つ。
まっすぐな長髪が風に靡く。
男か、女か。
黄昏をもってしても不明だ。
婦好が、未完成の城壁の上から問う。
「虎方の麗人が、なんの用か」
虎譚が恭しく商の礼を模した。
「この地での戦の開始を宣言いたします。宣戦布告は、天への礼儀です。双方に大量の犠牲を強いるであろう戦いの前に、祝詞を述べにまいりました」
「我々も天の代理により戦う者である。神と言葉を通わす者を殺めることはしない」
「安心しました」
虎譚はどかり、とその場に座った。
地に響くような声を肚から出す。
「天よ。ここは我々の土地。このような盗人に大義がありましょうか」
言うとともに、鼓を打ち鳴らした。
虎方独特の風習に、皆が緊張の目で見守る。
婦好が返答した。
「虎方の神よ。この地はもともと望の民のものである。それに、虎方では使われていなかったというではないか。使いこなせる者のもとに治められるのが天意というものだ」
「使っていなかったとしても、所有は我々の手にあります。簡単には渡しません。取り返します」
虎譚は髪を土につけ、地に接吻する。
「これは、呪です。この地がわれわれのものとなりますように」
その場に居合わせた者はみな、得体のしれない、ぞわりとした感覚を味わった。
──呪というのであれば、怪しげな異邦の術は浄化しなければならない。
サクは、桃の弓を婦好に渡した。
「婦好さま。敵が虎方の呪いをかけたというのであれば、いまから解いてしまいましょう」
婦好は頷いて、サクから弓を受け取った。
「これは鬼神の邪を祓う弓である。天の答えを、受け取るがよい!」
サクの主は九本の矢を天に放つ。
九本の矢は弧を描いて、門前の地に刺さった。
虎譚の口角が上がり、その瞳に婦好とサクの姿が映る。
「敵として余計なお世話かもしれませんが……、このような手を打ってしまってよいのでしょうか。弱き者が兵力を割いてしまっては望邑の本陣は手薄でしょうに」
「……」
サクは敢えて、視線を逸らす。考えていないわけではない。敵を欺くこともまた、戦なのだ。
虎譚は立ち上がって拝礼した。
「弱き者が戦地を広げれば、崩壊するのは目に見えています。……が、どちらの神が天に愛されているか、問うことといたしましょう。これからが楽しみですね」
「一点、教えてください。なぜ、あなたは夜に攻めてくるのですか」
サクの問いかけに、
「なぜ? わたしたちが太陽の落ちた邑の生まれだからです」
と虎譚は答えた。
布告が終わると、城の防衛を賭けた戦いが始まる。
味方は婦好軍三千。望白の小隊三百。
敵である虎方の兵力は、かがり火の数から察するに、およそ千人である。
ただし、ハツネが放った偵察隊によると、近くの邑に控えているとのことだ。
敵の総力はおよそ三千と考えたほうが良いだろう。
ほぼ互角の戦いである。
サクは各隊長へ作戦を伝えた。
サクの作戦の終着点は、城の防備と、敵の撃退。
そして、味方の被害を最小限にすることである。
最も難しい役目に、第一隊隊長であるレイを据えた。
「望邑との戦いをみるに、敵の攻撃は一か所に集中するでしょう。その隙をつきます。おびきよせて、挟み撃ちにし、兵力を削るのです。レイさまには、挟撃の際の別動隊として動いていただくことになります」
「わかったわ」
「あらかじめ一点申し上げなければならないことがあります。レイさまの隊が最も危うくなりやすい作戦なのです」
「たしかに敵陣の深いところまで行ってしまいそうね」
「レイさま。この策をお受けいただけるでしょうか」
レイから、ふふ、と無邪気な笑みがこぼれた。
「いつものことじゃない。いまさら問題ないわ。仕事を遂行してあげる」




