過去、奪還
「虎方に城を作りたい?」
婦好とサクは、望白、セキとともに軍議のための部屋に集う。
虎譚の襲来に備える夜。炎が影となって揺れる。
「ははっ。なにを寝ぼけたことをおっしゃっているのですか」
『敵地に城をつくる』というサクの言を、望白は棄却した。
サクは続ける。
「いいえ、正確には、以前は望邑だった土地です」
サクの発言に、セキも問うた。
「以前は、望邑だった……? サク、どういうことだい?」
「まさか、……あの土地のことですか?」望白は持っていた貝を握りしめる。
「はい、お聞きました。あなたの母方の故郷のこと」サクは望白の瞳をまっすぐに見つめる。
婦好は椅子に悠然と座して、その様子を見守っていた。
望白は浅くため息をつき、頭を掻いた。
「要は、僕の過去を探ったわけですね」
「故郷? ってことはなんだい? あんた、虎方の出身だったのかい?」
「いいえ。違います。いまは虎方の勢力下ですが、かつて望邑だった場所です。人が住んでおりましたが、いまは荒れ果てています」
「いまは、敵も住んでいないのかい」
「そうです。僕の母はその地の出身でした」
望白は観念したように立ち上がる。
「望邑の過去を話しましょうか」
彼は頭巾から垂れ下がる紐を風に乗せながら続けた。
「もともと望邑は、強い力で結ばれた邑同士の集まりでした。おそらく今が一番弱い。まあ、商に助けを求めているような状況ですから、屈辱的とさえ言えます」
まあそれはどうでもよいです、と望白は独り言を吐いた。
「弱体化の理由は、父です。父は権力に溺れ、情欲に流されやすい性質の愚か者です」
望白は、指を三本立てた。
「僕には、三人の弟が居ます」
「弟たちは、よく肥えた家畜です。彼らはみんな母親が違いますが、彼女たちのいいなりなのです。権力をもつ者に、子が四人もできれば、どうなるかは想像に難しくないでしょう」
「内部争い、ということかい」セキは頬に手を当てて問うた。
「そうです。僕は長子ですから、特に疎んじられた。毒殺の危険に何度も遭っています」
望白は続けた。
虎方の北方攻めがこの頃より始まったこと。
望邑連合体で最も南方であった、母の故郷が最前線であったこと。
攻防を繰り返したこと。
「母の故郷が最前線となる大事な戦いで、何が起こったかわかりますか? 叔母たちは母憎さに出兵を止めたのです。母の故郷と虎方との戦いに、望邑の本隊は来なかった」
「つまり、主軍を出すのを反対した、ということでしょうか」と、サクは聞き返す。
「ええ。その時の戦いで、母は死にました。僕が十のときです」
望白は、持っていた貝を砕いて笑顔で云う。
「僕が本当に殺したいのは、いつだって叔母と弟たちです」
「そうでしたか」
「くだらない話をしました。つまり、いま話しているのは、愚かな内部争いと引き換えに、望邑が放棄した場所です。しかも、敵はそこを拠点とはしなかった。なぜなら、背後に険しい山がそびえ立ち、守るのは易くても、利便に悪いからです。邑は人が居なければ成り立ちません」
「お言葉ですが、」サクは望白に反論した。
「先人が手放した地は、一方で、先人が選んだ地です」
「お母様の故郷については、敵は使いこなせていないと聞いています。おそらく、望邑と相互に作用することで、真価が発揮される土地なのでしょう」
「敵が住みもせず、弟の母豚どもに放棄させた地であっても、ですか?」
「はい。望白さまは、取り戻したいとお思いにはなりませんか」
望白は口元に手を当て、サクの目を見続けた。沈黙が流れる。
沈黙を破ったのは、意見を聞いていた婦好であった。
「内からでは見えないことが、外から見えることもある」
婦好は立ち上がり、告げた。
「先に進まぬのは性に合わない。とにかく、ゆこうではないか。まず初めに、わが軍が駐留してみよう。セキ、できるか」
「もちろんですとも」
望白は、進軍の意を遮った。
「進軍されるのですか。それならば、父に許可を得なければならないかもしれません」
「望白よ。父親に許可を得なくとも、そなたは動けるはずだ」
望白は、はっと気が付いたように言葉を返した。
「……そうですね。防衛は僕に任されています。守りのための攻めなら、咎めはないでしょう」
「それならば」
婦好は紅の衣を翻す。
「夜明けに」
婦好軍は、半日をかけてかつて望邑のものだった土地を目指した。
婦好軍の戦闘部隊を先頭に、非戦闘部隊、望邑の小隊及び土木・建築を司る者がその地へ向かう。
道中に敵の抵抗はなかった。まるで、忘れ去られているようである。
なにかの罠ではないかと疑いをもつほど、あっけなく占領した。
人の手の入らない、荒野。
城郭は風雨に曝されて壊れていた。
かつて宮殿らしき跡も残る。
「さあ、はじめよう」
「やることは山積みだよ!」
婦好とセキの指揮で、築城のための準備が始まる。
サクは気を引き締めた。
──手に入るのは容易かった。しかし、安心するのは間違いだ。ここからが、大変なのだ。防衛しながら、邑をつくるということなのだから。
「懐かしい」
進軍に同行した望白が母の故郷で深呼吸した。
「正直、あなたに言われるまで、この地のことを忘れていました」
「今後こそ、守りぬきましょう」
サクの決意に、望白は、はは、と乾いた笑みを浮かべた。
かつて味方も敵も手放した土地。
防衛しながらの、築城が始まる。




