南へ、北へ
セキは宣言した。
「さあ、城を作ろうか。防衛のための、城だよ!」
と。
サクは、外郭の回廊を歩んでいた。
風が吹き抜ける。サクは望邑の街並みと、敵方を観た。
『城郭を作る』
旅の問いである。
導き出さなければならない答えに、時間はない。
しかし、なにかを成そうとすれば、計画のはじめが大事である。
夜には、虎譚らが襲撃に訪れるだろう。
目下もまた、防備を敷かねばならない。
サクは天を仰ぐ。
灰色の雲龍が重たく列を連ねる。
──月のない夜となりそうだ。
夕刻。
婦好軍は、敵の襲来に備えて、炎を誘導するように配置した。
罠にかける作戦だ。
うまくいけば、袋小路に敵を誘いこむことができる。
誘導した先に、戦力を置いて待ち受けるのである。
その日は、予想のとおり、虎譚の襲来があった。
ふたつの影が、俊敏に動く。
──彼らの狙いはなにか、いまだにわかってはいない。
炎に導かれるようにして、大小の影は動いた。
──思惑のとおりである。
敵は罠の終着点に来た。
広場に、望白の小隊と、婦好軍が待ち受ける。
敵が獣のような雄叫びをあげた。
望白の小隊が松明を掲げながら、敵二人を包囲する。
「面白いように、罠に掛かるものですね。まるで、炎に飛び込む虫のようです」
「罠ですか。我々を捕まえるつもりですか」
虎譚と名乗った者が、美しい声を奏でる。
婦好が問う。
「ふたりだけで、何を求めて来るのか、知りたい。まさか、遊びにきたわけでもなかろう」
虎譚は妖艶な笑みで、くすり、と笑った。
「いわば、儀式ですよ。残念ながら、今日の贄はいただけませんでしたが」
「儀式であれば、我々もともに興じよう」
婦好の後ろから、第一隊長のレイが現れた。
レイの速さをもつ一撃が、大男の斧と刃を交える。
大男は、髪を逆立てた。レイが打ち込むたびに、彼は言葉ではない音で吼える。
「久しぶりの、野蛮な戦いね」
レイは舞うように戦う。
彼女の突くような攻撃は、鈍く重い相手を磨耗するのに相性が良い。
大男の肩に、レイの槍が浅く刺さった。
「今日のところは引きあげましょう」
虎譚は、レイの槍を引き抜きながら、飄々と言った。
「待ちなさい」
レイが二人の敵を追う。
「逃がしません」
望白の小隊もまた用意していた縄で捕らえる機会を窺った。
敵を縄で捕らえたと思うや、ふたりは縄を斬り、引きちぎる。
ふたりが逃げる直前、サクは虎譚と目が合った。声を張り上げて、サクは問うた。
「あなたがたの目的は一体何ですか?」
「我々は、北へ行きたいのです。あなたがたも、南へ行きたいのでしょう? 簡単な話です」と、虎譚は答えた。
獣のような男は、柳腰の虎譚を背に乗せる。
敵は高く飛び、去った。
夜明けに、サクはふたたび遠方を眺めた。
商は南を望み、
敵は北を望む──。
虎譚の言うとおりである。
サクは瞳を閉じる。
ふと、足音が近づいているのに気づいた。
顔を上げると、未だ遠くに居ると思っていた、弓臤の姿がある。
「困っているようだな」
サクは、いつのまにか現れた義兄に驚いた。
このひともまた、闇に住むひとなのだと思い出す。
「来ていらっしゃったのですね」
「言っただろう、俺は監視役だと。相談に乗ろう。なにを悩んでいる?」
「最も、重要なことです」
「いま、お前に課されているのはひとつしかない。どこに城を作るのか」
「そうです」
「答えはあるのだな」
「地形、勢力、気候。すべてを考えました。しかし、その答えは」
「進言できそうにもない、危険な地、か」
「はい」
「誰が聞いているともわからん。同時に、地に書こう」
弓臤は砂埃をつかみ、石畳に蒔いた。
地に文字を書く。
サクも同じように木の枝を走らせる。
ふたつの文字列は、一致した。
サクは、婦好に進言した。
「城は、虎方に作ります」
「虎方に? 敵の領地に、城をつくるということか」
「攻めて、防衛線を下げるのです。このままでは、望邑に静かな夜はきません」
「それは、商を守るための答えということか」
「おっしゃるとおりです」
「わかった。しかし……、その顔には迷いがある」
婦好は、サクの頰に手を添えた。
「なぜだ?」と、婦好は首を傾げる。
「一歩間違えれば、非常に危うく──、この判断は、危険な賭けでもあるからです」
「天に問おう。占ってみよ」
サクは亀甲を取り出した。
厳かに、貞う。
「吉凶混合の卦です」
「そうか。なにかを成すには、危険を顧みなければできないものもある」
婦好の紅の衣を肩にかける。
「ゆこう。休息のときは終わった」
まるで、鮮血のような色の上衣は、サクの視界を覆う。
「これを羽織るのは、久しぶりだ」
「とても、お似合いです」
「さあ、進撃の準備だ。目指すは、虎方」




