厄災の襲来
婦好とサクは、邑内を歩いていた。
弓の名人に関する演出を興じて以来、ふたりの存在は民衆に受け入れらた。
「弓の名人と巫女だ!」
子どもたちが駆け寄る。
ふたりに親しみを抱く住民たちから話を聞くようになった。ゆえに噂話などがおのずと耳に入る。
数名のとある親が婦好達に同じ話を打ち明けた。
「家の子がいなくなったのです。探してくださいませんか」
邑の子どもが一晩で二、三人、まるで神隠しのように居なくなるという。
「婦好さま、偶然でしょうか。それとも、敵に関係することでしょうか」
「立て続けに起こることであるなら、敵とも関係があるかもしれない。探ってみよう」
◇◇◇
「子がいなくなる?」
邑内の噂を望白の耳に入れた。さらに、夜間の警備を強化することを進言する。
「ええ。なにか、敵の動きと関係はあるのではないかと、探りたいのです」
「さあ、関係ないんじゃないですか。邑内も善人ばかりではありません。盗人や誘拐犯。顔を知らねば、悪人もおります。それに、子が誘拐されることなど、珍しくありません」
婦好は外を眺めていた。
望邑は昼間は長閑な農村でもある。
「望白よ。たとえ盗人であっても、警戒を強化するのは悪いことではないとは思う」
望白はため息をついた。
「婦好さんがそこまでいうなら、念のため人の配置を増やしましょうか。ここ数日は敵による夜間の攻撃はありませんが、この邑ではどのみち敵襲を恐れて眠れない夜ですから」
◇◇◇
夜半、邑内の警戒も強めることとなった。
見回りの兵士が外壁付近だけではなく、内部まで足を運ぶ。
婦好たちは東門の近くにいた。
東門は他より警備が甘く、手薄となりやすいと考えたからだ。
「敵だぞ!」
「聞こえますか、サクさま。南の方向で敵の侵入があったようです」
ハツネが冷静に答える。
サクは辺りを見た。
「そんな……、どの門からも、敵が攻め入る様子はないのに。どこか、城に守りの薄いところがあるのでしょうか。それとも、城壁を跳び越えている……?」
外郭の城壁を越えるには、通常は門を突破する必要がある。
「とにかく、ゆこう」
ハツネは松明を掲げて走る。
婦好の足に、サクは付いていくので精一杯であった。
南門の前に兵士の持つ篝火が集まっている。
みな、上を見上げていた。
南門の城壁に敵がいる。
漆黒に光を放つ月に敵の輪郭が浮かぶ。
その咆哮を影が象る。
丸まった背中に、手入れのされていない髪が刺すように散る。眼だけが爛々としている。
まるで、獣であった。
すでに子がひとり、捕らえられていた。
ぐったりとした手足が闇夜に力なく垂れる。
「助けましょう」と、サクが具体的な救出方法を口にしようとした瞬間であった。
黒い獣はその影を喰らい始めた。
「……!」
サクは息を飲んだ。
禍々しいまでの狂気があたりを包む。
影が大小ふたつとなった。
敵は、ふたりだろうか。
大きく太い影は子を襲い、小さく細い影は凛として立つ。
細い方の影が、笛を奏でるような声を発した。
長髪が意思を持つように揺れる。
「我が名は虎譚!」
虎譚は、少し訛りのある商の言葉を発した。
「城壁に、絵を描いたのは何故ですか? 藁人形を作ったのは誰ですか?」
「!」
「おかげで、夜半の攻撃はできなくなりました。しかし、こちらに攻め込む口実をくれてありがとうございます」
丁寧な礼の所作に、美しい声音であった。丁寧すぎて、かえって無礼であるようにも見えた。
大小の影が重なり、消えた。
「追うぞ!」
ふたりの敵の足跡を追う。
子どもの血が、黒いしみとなって残っていた。
敵を捕らえることなく、朝を迎えた。
日が昇る頃、軍議に入った。
「敵の言葉をもとに考えますと」
望白が武器庫のまわりをこつこつと靴を打ち鳴らして歩く。
「サクさんの戦術は、おそらく彼らを刺激しました。まあ、夜間の敵襲がなくなったのであれば、敵に作用したのは明白。なにかはわかりませんが、内部に影響を与えた」
「そのようです」
望邑の広間には大きな机がある。
商での軍議と同じように、敵味方の陣の模型が置かれていた。
みな、虎方の土地を見つめる。
「サクさん。したことの責任は執っていただきます」
「原因がわたしの策であるなら、責任はわたしにあります」
「どのように責任をとるのでしょう。死して責を果たしていただけるのですか? あなたの命に、そんな価値があるとも思えないですが」
「この状況を打ち破ることに、尽力いたしましょう」
婦好はサクと望白の肩を叩く。
「そうだな、サク。もうすぐ婦好軍も到着しよう。それに、望白よ。敵との関係性は、もともと内在していた問題に過ぎない」
「ええ、婦好軍の皆さまにはもとより尽力して戦っていただくつもりです」と、望白は涼しげに言った。
軍議が終わり、サクは一人で朝焼けの廊下を歩く。
──己の作戦が、敵の感情を逆なでしてしまった。
──軽率だったのだろうか。
自分よりも年少の存在に犠牲を出してしまった。
あってはならないことである。
目から涙があふれた。泣いても、許されることではない。
涙は落とさずに、サクは歯を食いしばった。
──なぜこのようなことが起こったのか。
敵の内情を知らずに、作戦を立てたことである。
無知は罪だ。
『遊』は、神の姿であっても児戯ではない。
立っている場所の意味をふたたび識る。
無関係の者が惨事に巻き込まれぬように。
朝陽に祈るとともに、策を巡らせた。




