千の武器(下)
サクは、外郭の回廊に民衆を集めた。
列の前方で童が祭の始まりを待ちわびる。
「みなさま、お越しくださり、ありがとうございます。これより、偉人の伝承をお耳に入れましょう」
サクは巫女の装束で、望邑の伝説を詠じた。
弓の名人の格好をした婦好が夕陽を背に現れる。
長い上衣が風に揺れた。
邑人の眼前に現れたのは、美しき英雄──。
婦好は九度、天に向かって矢を放った。
栗毛色の髪と、色素の薄い瞳は、その場にいた者のすべてを魅了する。
婦好が天に祈った。
「さあ、みなさまもいっしょに」
サクの指示により、民衆は次々と藁の人形を手にする。
通常、外壁には敵の死骸が吊るされるものである。
この日の外壁は、藁人形が並んだ。
三日目の朝、外壁に縄で吊るしていた藁人形を引き上げた。
わぁ、と子どもたちが驚嘆する。
サクの考えどおり、作った藁には無数の武器が突き立てられていた。
望白が尋ねた。
「これは、どういうことでしょう」
「『修蛇』の藁人形をつくり、敵に倒させたのです」
「まさか……」
望白は無数の武器が刺さる藁の人形を眺めた。
「大胆ですね」
伝説上の獣である『修蛇』。『羿』に退治された怪物である。
それは、敵の的となり、矢や槍が貫く。まるで針山である。
その禍々しさは、敵の獣のような怒気が宿るようでもあった。
望白は、サクに問いかけた。
「敵がこの藁人形に火を放ったり、持ち帰ったりすることは考えなかったのですか」
「伝承が鍵となります。『修蛇』は、水に棲む怪物です。火を放とうとは連想させず、また、怪しげな物を領内に入れたいとは思わせないようにしたのです」
「伝説に賭けたというのですか。……いや、それにしても、成功するには難のある方策です」
「九、十、十一、……」
子どもたちが嬉々として刺さった武器を数える。
しかし──。
「ええと。何本、必要なのですか」と童が問うた。
「千本です」とサクは応えた。
武器を数えていた子どもたちの顔に、落胆の色がみえた。
「いま、あるのは九百余本です」
──わずかに足りない。
サクの予想は、外れたのである。
縄を切られて回収ができない人形が数多くあったのだ。
望白が薄笑いを浮かべながら問う。
「それで、サクさん。千本の矢は集まりましたか」
「いいえ。申し訳ありませんが、力が及ばなかったようです」
サクが肩を落とすと、職人が申し出た。
「お待ちください。望白さま。あと百くらいなら、我々で作ってしまいましょう」
「我々の家からも、献上しましょう」
助けを得た民衆から声が上がる。
サクは力不足を丁寧に民に詫びた。
「みなさま、ありがとうございます。しかしながら、望白さまとは、この邑のほかから物資を調達する約束となっています。望白さまの望みは叶えられなかったようです」
その様子をみていた婦好が悠然と答えた。
「慌てるな、サク。援軍を待とうではないか。期日は、まだだ」
婦好の発言にサクは顔を上げる。
「援軍……?」
「望白よ。その間、敵から得た武器を試してみないか?」
「触りたくもないです。毒が付いていたらどうするんです」
「怖いのか」
「どこまでも、愚かですね」
サクは刺さった武器のうちの長剣を布で拭い、婦好に渡した。望白にも同じようにして渡す。
婦好が剣を構える。
「楽しもう」
「いいでしょう」
商の将軍と、望邑の子による剣舞が始まる。
「あなたの軍は、まるで児戯です」と、望白は云う。
剣は空を斬り、ひゅ、と高い音をだす。
「戯れを侮ってはいけない。童の唄が祭事の中枢を制することもある」と、婦好は応えた。
やがて、粉塵をあげる影近づいてきた。
ハツネが馬車で駆けつけたのだ。
「サクさま。武器三百をお持ちいたしました」
「ハツネ……!」
馬車に繋がれた荷台には三百ほどの武器が乗っている。
「申し訳ありません。千本には及びませんでした。婦好軍の支援も、部下に命じましたが、間に合いませんでした」
「いいえ、あと百本が足りないところだったのです。とても助かりました。ありがとうございます」
サクがそのその武器を見ると、さまざまな装飾が施されていた。商のものとも、望邑のものとも、虎方のものとも違う。
「……これは、どちらから調達したものでしょうか」
「近隣の邑から、いただきました。道の途中で、婦好さまを崇めた邑のものです」
言葉も通じぬ土地にも、協力者が居るということである。
婦好さまの道ゆくときの行動は決して無駄ではなかった──。
合計、武器千二百余本。
サクは自信を持って伝えた。
「望白さま。千の武器をご用意いたしました」
望邑の民から、歓声が上がった。
婦好の英雄らしい姿と、サクの清らかなる姿勢が民の同情と好感を招いたのだ。
「ふっ……ふふふ。あははははは! この歓声! 僕の民を味方につけるだなんて、とてもすごいです」
「いいえ。望邑のみなさまの助けを借りたおかげです」
「サクさん。仕方ないです、あなたたちを利用してあげましょう」
望白の殺意が高まる。
──欲しかったのは、望白の信頼。今回のことは失策だっただろうか。
しかしながら、サクのような従者は──一見、軽んじてみられがちである。嫌悪であっても、興味を得られないよりは良い。
望白を感化するのは難しいだろう。
──いつか、転じる日を待とう。
婦好は望白の心情を気にしていないようであった。
婦好の手が、サクの肩を背後から包む。
「サク、よくやった。特に、民衆を我々の味方としてしまったことを褒めよう」
「ありがとうございます」
「民の顔を、その目に焼き付けておけ」
「はい」
サクは、出会ったばかりの異国の子どもの顔を見る。
輝くような笑顔が、とても眩しかった。




