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九首の竜

 婦好が舞うように戦っていた頃。

 サクは城壁の上から戦況を見た。


 ハツネとともに外郭の回廊を巡り、壁に手を当てる。


 ──商の城と違うのは、どこか。


 闇夜での確認は難しい。

 しかし、日夜防戦している城にしては、いまひとつ足りない、という印象をサクは抱いた。




 サクが婦好と別れた地点にて待っていると、主人が帰った。


「婦好さま、おかえりなさいませ」


 婦好は返り血を浴びて、いつもの紅の色に染まっていた。

 片手を上げて、にこりと笑う。

 サクは主人の無事な姿をみると、ほっとした。


「なかなかに騒がしい敵であった。あのような者たちに毎晩来られては、他者に戦いを任せたくなるのも(うなず)ける」


「わたしも上から見ておりました。まるで獣のような戦い方でした」


「どうだ? サクのほうは。なにか考えはまとまったか」


「はい。防衛について考えておりました」


「申してみよ」


「城郭としての機能が、商のものよりも不完全であるように思います。商であれば、(ほり)をつくるか、(さく)を設けるでしょう」


 婦好の後ろにいた望白がサクの話を遮った。

「何を言うかと思えば、平凡な考えですね。そのようなこと、もうすでに試しています。こちらは何年も前から戦っているのですから」

 

「そうでしたか。では、別の方策を申し上げます。たとえば」


 サクは続けた。

「銅戈で無数の棘を作り、地と外壁に埋めます。脚を斬るような無数の刃物に、戦意を失わせるなどいかがでしょうか」


 サクの献策に、婦好は顎に手を当てた。

「地と壁を針山とするのか。なかなか恐ろしい考えだ」


 望白もまた意見した。

「なるほど……。しかし、敵が城壁を登る足掛かりとなるだけでしょう。銅も奪われるだけです」


 望白は、サクと向き合った。

 このとき、初めてサクという少女に興味を抱いたようであった。

 

「ところで、あなたの名は? 聞いていなかった」


「サクと申します」


 望白はまるで品定めをするように、サクを見た。


「武人ではないようですが、出自は?」


「巫祝の娘です」


「巫者の娘ですか。僕たちの(むら)では、巫者(ふしゃ)は雨乞いをして、失敗すれば殺されます。雨乞いなどはできるのですか」


「いいえ。わたしは天意を伺うことはできても、天道を動かすことはできません。天を動かすには、人の行い、人の力が必要です」


「ならば、あなたの行いを試しましょう。天を動かしてみてください。つまり、彼らの戦意を喪失させるのです」


「天の動くのを試す、と申されるのですか」


 望白は笑顔を見せた。


「はい。先に意見したはあなたです。巫者は言葉に命を懸けるものです。僕の邑の巫者は雨乞いにおいて三日間の祈りの時間が与えられます。あなたにも三日の猶予をあげましょう」



 サクは理解した。

 これは、巫者として、策士としての戦いであると。

 呼吸をおいて、はっきりと言った。


「天を動かすには、人の力が必要とわたしは申し上げました。ふたつ、お願いがあります。(いにしえ)の事に詳しい者と、工匠に頼むことがあります」


「ええ、良いでしょう。紹介します。そのくらいは協力しましょう」


 望白はにこやかでありながら、心臓を(えぐ)るような笑みで言った。


「サクさん。逃げないでくださいね」


「はい、逃げません」

 サクは断言した。



 ***




 サクは望邑の巫祝と会い、史と伝承に関することを聞く。


 加えて、工匠とも会い、サクの考える方策を伝えた。


 

 婦好もまた夜に戦い、昼にサクの様子を尋ねた。

 


「サク。助けは必要か」


「婦好さま。きっと、大丈夫です。ただ、信じていただければ」


 婦好はサクの頭を撫でた。


「そうだな。サクはわたしを信じてくれたのだ。わたしも信じよう」


 婦好の手のひらは温かい。

 発せられる気が、サクの頭から全身に流れるようである。


 背中を押してくれる婦好という存在の頼もしさに、サクは感謝した。

 



 ***




 夕刻。

 サクは城郭の回廊に、望白を招いた。


 望白が嬉々として問う。

「今夜が、約束の三日目ですね。さあ、あなたの方策を教えてください」


 サクは巫女の姿で臨んだ。

 性を隠す必要は既にない。


「古の伝えることには、この地帯に伝説が残っています」


 サクは弓臤が以前に披露していたように、この地に伝わる伝説を詠唱した。



雄爬(ゆうき)九首(きゅうしゅ)往来(おうらい)は急速を(むね)とし、人を()みて()って其の(しん)(えき)す」



 サクの言葉とともに、闇夜に一枚の絵が浮かび上がった。



 九首の竜。

 人を呑んで心臓を強くする伝説の雄蛇(おすへび)である。


 その図象を工匠に頼んで、石板に描かせたのだ。



「伝説上の竜、雄爬(ゆうき)を描いていただきました」





「さあ、お願いします」

 サクの合図で、工人が鎖で絵を吊りおろす。


 魅せるための楼台もまた次々に設置した。

 壁面に炎の光を照らす。



 月明かりだけの闇夜に、橙の龍が浮かび上がった。



「これは……見事だ」

 婦好が嘆じた。


「へぇ。美しいですね。これは商の美学ですか」

  望白もまた、ため息をついた。



「いや。我が軍の乙女ならでこその考えといえよう。敵陣の中央へ赴き、正面から見てみたいものだ」と婦好が言う。


「あはは。確かに、上からではよく見えません」


「さあ、敵はどのように反応するか」


 婦好は衣を翻した。


「サクよ。大儀である。結果を待とう。望白よ。この邑に酒はあるか」


 婦好の発言に、緊張の糸が緩んだ。

 望白は、目を閉じる。


「ええ。僕のとっておきの酒を、用意しましょう」


 



 その晩に、敵方の襲来はなかった。


 夜明けとともに、石板を引き揚げる。

 

 明るくなった大広間で、望白は感心した。


「このように静かな夜は久しぶりです。調子が狂います」


 サクは言った。

「この策の効果は短いでしょう。いずれ、ただの壁になります。なぜなら、あなたの課題を達成するための方法であって、永劫の策ではないためです」


 百年の計ではない。

 壁に描かれた九頭の竜を、敵が初めは恐れても、見慣れればその効果は無に帰す。

 まるで水泡のような策である。

 

 しかし、サクは望邑の故事に触れたこと、工匠に協力を得たことに意味があると考えていた。



 望白は両手を広げて天を仰いだ。

 

「すばらしいです! 商には戦う女性だけでなく、このような乙女がいるのですか。すばらしすぎて」


 恍惚の表情を浮かべる。



「殺したいくらいです」



「!」



「あ。失礼。失言です。しかし、だからと言ってなにか不都合はありますか。嫉妬するほどの才、という意味です」


 望白はサクに明るく笑ってみせた。

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