闇夜の咆哮
望白は飄々とした出で立ちである。
にこやかな笑顔には隠しきれない不気味さがあった。
「領主のご子息だったか」
婦好がそう言うと、望白はわずかな憂いを含んで笑った。
「ええ。しかし、だからといってなにか不都合はありますか。ただの門番のようなものです」
「ならば、話が早い。わたしは大邑商の婦好。守るべき土地の下見にきた」
「お噂は以前より聞こえております。しかし、今日はもう遅いです。この城で、お休みください。僕も準備があります」
「準備?」
「いまに、わかります」
居城は戦いに備えた作りとなっていた。
通された部屋で、婦好は防具の確認をする。
婦好がサクとハツネに告げた。
「念のため、仮眠をとっておきなさい。すぐに出られるように」
夜半、皆が眠りに落ちる頃であった。
鐘の音が響く。
「戦いが始まったようだ」
「このような、夜に……」
「サクは待っていなさい。敵も地形もわからずに、危うい」
「ここは同盟しているとはいえ敵地。どこにいても危険です。わたしも行きます」
「ならば、行こう」
「はい!」
婦好、サク、ハツネの三人は武器を握った。
明るく、人の声のする方向へ駆ける。
大広間へ行くと、武装をした者達が百人程が集まっていた。
望白は笑顔で婦好を迎えた。
「これは、婦好さま。安眠を妨害してしまったでしょうか」
「この音は敵襲か」
婦好が望白のもとへ駆け寄る。
「そうです。……が、そんなに慌てないでください。僕たちからしたら、日常のことなのです」
「戦と聞くと、血が騒いでしまう性分でな」
「貴女も戦いますか」
「もちろんだ」
「でしたら、武器はどれでもお使いください」
望白の合図とともに、武器庫が開かれる。
庫内には、さまざまな種類の武具が並んでいた。
商にはない形状のものも含まれる。
「これを借りよう」
そう言って婦好が手に取ったのは、長槍であった。
「ちょうど良かったです。貴女のお手並みを拝見したかったのです」
「きっと役には立てるだろう」
「もし、仮に商の手を借りるとしても、女性の……弱小の軍が来たのなら、がっかりですからね」
「期待外れだとしたら、残念だな」
◇◇◇
望白の率いる百人隊とともに、外壁を階段伝いに登った。
すでに別働隊が、弓を射ていた。
城の外郭から、敵を覗き込む。
サクは目を凝らした。
「なにも、見えません」
闇夜の交戦。
矢が飛び交っているのであろう。
漆黒に音が響くだけで、状況はほとんどわからない。
「あの者たちは、夜目がきくのです」
望白が、松明の火を敵陣に投げ込んだ。
死骸を焼くことにより大きくなった炎は、あたりを照らす。
「あれが、僕たちが、手こずっている相手です」
獣のような咆哮。
彼らは短い布をやっと防具で押さえている。
噂に聞く、熊のようである、とサクは思った。
禍々しい立姿。
荒々しい呼気。
まるで、猛獣の群れの襲来──。
「毎日毎日、本当に、困っているのですよ」
「敵は兎方と呼ばれる者、ですね?」とサクが問うた。
「兎方? うさぎ?」
望白の額に皺が寄る。
「そうです、兎、です」
「……ああ。商では、彼らをそう呼ぶのですか。僕たちは虎方と読んでいます」
「虎……、虎方」
サクは復唱した。
「今夜も、囮の部隊が対応している間に、敵を撤退させる作戦です。僕は囮となり、城壁の下へ向かいます」
「わたしも行こう」
サクは婦好の左腕を掴んだ。
引き寄せて、耳元で囁いた。
「お待ちください、婦好さま。これ以上は、危険です。いまは戦場ではありません。偵察のはずです」
「問題ない。この程度で何かあるようなら、天はわたしに味方してはいない」
「しかし……」
「サクはわたしを、信じてはくれぬのか」
婦好は上目遣いでサクを見つめた。
「婦好さまは、ずるいです」
──これ以上は、止められない。
サクは理解した。
「ふふっ。サクも、リツに似てきたな」
「あくまで偵察です。無理はなさらないでください」
「約束しよう」
「ご武運を」
左手を離すと、手首を飾る揃いの翡翠が光った。
婦好と望白らの百人隊は、城壁を内側の階段から降りる。
門を開けると、敵が押し寄せた。
婦好は敵の度量を測った。
前線へ出て、虎方の蛮勇と対峙する。
「なるほど。たしかに手強そうだ」
敵は力任せながらも俊敏な動きであった。
婦好は猛獣を操るかのようにひらりと躱しては槍を突き立ててゆく。
「虎方とはよく言ったものだ。まるで虎のような戦い方だ」
「貴女の戦い方は演舞ですね。商はみな、このように戦うのでしょうか。美しさを秘める一撃を、僕はみたことがありません」
「商の神は美しいものを好むのでな」
「虎方は一見すると獣のような敵ですが、計略を使います」
「計略を操る虎か。それは厄介だな」
会話しながらも、婦好は次々に敵を撤退させていく。
望白率いる百人隊もまた慣れた様子で敵に当たる。
「……味方よりの合図です! さあ、撤退です! 門を閉めます!」
望白が号令を送ったそのとき、一瞬の隙を突かれてしまう。
熊のように巨体で、虎のように俊敏な敵が、望白に咆哮をあげながら襲いかかる。
「!」
「望白!」
婦好は槍の柄で敵を叩いた。
望白の襟元をぐい、と引き寄せる。
「助けなど要りません。僕らは慣れてますから」
望白の百人隊が、取り囲んで彼を守る。
婦好もまた槍を二、三度突き、門の外へ押し出した。生きている敵は槍の鋒をつかい、敵を串刺しにする。長剣を引き抜き、絶命させる。
門内に残った敵を全て狩ったところで、門は閉められた。
別の箇所で、轟々と戦いの激化する音が届く。
囮の百人隊は、門の前で一息ついた。
「鬼神のような戦い、さすがですね。おわかりいただけたでしょうが、相手はこちらが消耗するのを待っているのです」
「持久戦か」
「負けませんけどね」
婦好が望白の身を掴んだとき、襟元がわずかにはだけていた。
膨らみのある、乳房が覗く。
婦好は好奇の目でそれを見つめる。
「そなたは、同性だったか」
望白は涼しい表情で、胸元を整えた。
「ええ。僕は領主の息子ではありません。しかし、だからといってなにか不都合はありますか」
「ないな。むしろ、好ましい」




