セキの大望◇
城郭をつくる。
そう言われたサクは婦好の紅い衣を追った。
軍議のための部屋に入ると、第九隊隊長であるセキがいた。
彼女は炎が揺らめくなか、絹製の地図と対面している。
「話を詰めるよ、サク」
セキの口角がニッと上がる。
「セキさま」
彼女の満月のような顔には皺が刻まれていた。
サクはセキに母のような安心感を覚える。
「こうして婦好さまとセキさまで計画していらしたのですか」
「そうさ。といっても、まだ始めたばかりだけどね」
婦好が欠けることのない所作で、燭台に油を注ぐ。サクの主人はまるで悪い謀でもするようである。
「夜のほうが、静かだ。それに、秘密ごとは夜にするものと決まっているだろう?」
「婦好さまもセキさまも楽しそうな顔をされています」
「そりゃあ、でっかい仕事だからね! 城造りと聞いて、張り切らずにいられるもんかい! それに、あたしは貧しい家の出だから、堅強な建物を建てるのは長年の目標だったんだ」
「そうでしたか。長年の大願に関わらせていただき、とても光栄です」
セキの無邪気な様子に、サクもふんわりと微笑む。
セキは顔を引き締めて、サクと向き合って言った。
「さて、サク。なぜ、我々が城を作ることとなったのか、話しておこうか。王は弱き者も守ることのできる城をと仰せだよ」
「弱き者の守る城?」
サクの質問には、婦好が答えた。
「弓兵、馬車、守城。戦場において、この三つは女人であっても男に引けを取らない。我々も経験を積むことのできる、またとない機会。ゆえに、この話に乗ることとなった」
婦好とセキ。
婦好軍の太陽と満月のようであり、婦好軍はふたりがいないと成り立たない。
サクはその大きな存在に憧れた。
──ふたりのお役に立ちたい。
サクは絹製の地図に目を落とす。
大地は東南に傾き、河は海に出でる。
河の南は、ほとんどが見知らぬ土地だ。
「敵は、南方ですね」
サクが黄河の南に流れる淮水、長江を指すと、婦好もまた示した。
「その通り。南に望乗という領主が居る。敵は兎方と呼ばれ、商の領地を狙っている。何度も衝突を繰り返しているのだ」
「兎方」
サクは復唱した。
いままでに戦ったのは、西の鬼方、北の土方、東の蒙方。
──南の兎方はどのような集団だろうか。
「兎方とは、どのような民族でしょうか」
「サクよ、逆に問おう。南方の民族にどのような印象を抱いているか」
「はい。主に漁を生業とし、未開の雨林に住み、衣服は暑さで軽いものかと存じております」
「やはり、認識が誤っている。彼らは、我々が思うほど未開ではない。これを」
婦好はサクに指輪を手渡す。
「これは、兎方から得た指輪だ」
指輪は翠緑に輝き、精巧な細工が施されていた。商のものに引けを取らないか、それ以上の造りである。
「これほど、精巧な技術を持っているのですね」
「商よりも優れる点が多くある。ゆえに、争いののちにその技術を取り入れたいところだ。しかし、言葉が通じないので気をつけよ」
「商の言葉が通じない」
「我々の目的は当面、建城による拠点の設置だ」
「婦好軍はいわば、敵との緩衝地帯における商のお助け部隊だからね!」
「ところでサクは、どのような城が理想と考えるか」
婦好の急な問いに、サクは戸惑った。
無論、サクには城造りの経験などない。
かつて守った沚馘の邑を想った。
「城壁が厚く高く、濠が深く広く、守備の構えが整っている城でしょうか」
「ふふふ、そうだな。沚馘西鄙などはそうであった」
回答に不足があるときの婦好の反応である。
ゆえに、サクはさらなる考えを巡らせなければならなかった。
ふと、師たる傅説に聞けば、なにか気づくことができるかもしれない、とサクは思った。
──もし、布に文字を書けば、安陽に届けられるだろうか。
「城郭そのものの能力も重要だけどね。もっと大切なこともあるんだよ。わかるかい?」
セキに誘導されるようにして、サクは答えを導き出す。
「──地形。そして、人でしょうか」
「あはっは! そのとおり。さすがだねぇ」
セキはサクを褒めた。
「暑すぎず寒すぎない場所で、地形を生かし、人が団結する、ってところだよ」
「そうだ。そのすべてがそろうような城を目指しているところだ」
サクの脳裏に、安陽の姿が蘇った。
かの都市を師・傅説は『千年の都』称す。
──関わる人はみな、なんて見つめる先の遠いことか。
「あの」
「なんだい? サク」
「お願いがあります。わたしに少し時間をいただけますか」
「どういうことだ。サクよ」
婦好の耳飾りが揺れる。主人がわかっていて、言わせるときの仕草だ。
「現地へ行きます。より望ましい城郭を作るとなれば、見聞を広げる必要があります。それに、師の傅説さまにもご意見をいただきたいのです」
「視察へ行く。いいだろう。わたしも行こう」
「それは賛同いたしかねます。婦好さまは本陣営に」
「そりゃ、そうだねぇ」とセキも頭を掻いた。
「あはは、厳しいな」と婦好は残念そうにセキの肩を叩いた。
「それで、サクよ。人選は」
「わたしはハツネとともに行きます」
「許そう。悔いのないようにしなさい」
婦好がサクの頭をぽんと撫でる。
この瞬間、サクは新たなる使命を帯びた。
「ありがとうございます。視察のまえに、お聞きします。おふたりは大望として描いているのはどのような城郭でしょうか」
セキは丸い顔で、にっと笑った。
「貧しい子ども時代を過ごした身としては、住む者にひもじい思いはさせたくないねぇ! 理想は、子どもたちが笑って過ごせる場所にすることさ!」
婦好は椅子にゆったりと腰掛けた。
「セキに任せる。わたしに城郭への大望などはない」
「ない、とおっしゃいますと?」
「守備能力などは、戦いが終われば、必要ないものである。守るものがいるということは、攻めるものもいるということ。境目のあるうちは、関係性の未熟なる証拠だ。その守りが過去の遺物となるのも良いではないか」
「いずれ廃してもよいということでしょうか」と、サクは問うた。
「そうだ。使うも、捨てるも住む者の自由。城は時々の状況によって、存在するべきものだ」
婦好の大きな瞳に焔が映る。
「いま、我々にしかできないことを成すために城を造る。ただそれだけだ」




