諸侯誕生
戦は終わり、捕虜は犠牲として安陽へ送られた。
数日後の夕刻。
銅の邑において戦勝の宴が始まった。
微王軍と婦好軍、そして銅の邑の有力者が祭祀のための大広間に集う。
商王をもてなすこともあり、黄金の銅器や刺繍の布が煌びやかに彩られた。
微王の楽隊が客前に現れ、筝・笛・鐘を用いて礼楽を奏でる。
微王は上座でうっとりと聞いていた。
「女将たちよ、知っているか。
音には神が宿るぞ。
弦の弾くは、神の声ぞ。
笛の鳴くは、神の道ぞ。
鐘の響くは、神の心ぞ。
そして、酒に酔うは、神の涙ぞ。さあ、呑むがよいぞ」
微王の対面には婦好が座り、盃を交わす。
「山には水が集う。工房には水が必要だ。水が良ければ、酒の味も良い。ここは商にとっても、重要な土地と言えよう」
夫婦、というよりは将軍としての立ち位置である。
サクは婦好の下座、第八隊隊長の席に座っていた。
──ふたりがいるだけで、まるで神々の宴。
楽隊のせいか、酒のせいか、その場は浮き立つ気に包まれているようにサクは感じた。
微王が問う。
「ここは銅の産地と聞くぞ。鐘も作ることができるか」
婦好の尋ねるような視線がユイの父へ向けられた。
ユイの父は、慌ててその無骨なる顔を上げ、微王に応える。
「作ったことはありません。しかし、持てる技術をすべて込めれば、作ることはできましょう」
「よい、よい。楽しみにしているぞ」
微王はゆらりと立ちあがり、演奏に合わせて剣舞をはじめた。
王は舞いながらこの戦を評する。
「余は知っておる。この戦いには女人の労苦があったことを。おかげで、贄を得た。感謝するぞ」
悠然と座る婦好の首元に、微王の剣先が突きつけられた。
「婦好。そなたはよく治めた。褒美をやろう。なにが良いか」
婦好の耳飾りが揺れる。
「微王。では、遠慮なく言おう。この、銅の邑に諸侯を置く」
微王の瞳に殺気が満ちる。
微王は婦好を目指して剣を振り下ろした。婦好は当然のように避けた。
普段よりも華麗な刺繍の入った、上質な衣が翻る。
サクの隣にいたレイやリツも、警戒して武器に手を置いた。
「どうした、微王よ。わたしと遊びたいのか」
婦好もまた剣をとり、共演者として舞う。
「婦好よ。人を増やし、財を増やし、地を増やす。それは仇なすもののすることぞ。支配を増やし、どのようなつもりかは余は問わぬ。なぜなら、余は余に楯突く家臣もまた欲しいぞ。其と闘うのもぞくぞくするぞ」
「叛逆などはせぬ。甘言ばかりで諫言なき王は滅びる。それに、わたしの領地を増やすわけではない。蒙方に対応する諸侯を置いたらどうかという提案だ。……つまり、すべては大邑商の繁栄のためだ」
「違うぞ。其は姉のためぞ」
音楽の合間に、銅剣の衝突音が響く。
王と王妃の突然の諍いに、みな、固唾を飲んでその様子を見守った。
剣の腕前は互角。
しかし、実戦経験の差で、婦好に余裕があるようにも見えた。
三度、剣を交えたところで、微王は祭壇の羊肉に剣を突き立てた。
「はっはっは。よいぞ、よいぞ。王佐としても逆臣としても適格。それでこそ、味方として価値があり、余が惚れ込む女将ぞ。さあさあ、神の裁可が必要ぞ。ここに巫女が居たな。さあ、占え」
微王は胡座して酒を飲み干した。
婦好も剣を納めてサクを呼ぶ。
「サク。こちらにきなさい」
観衆の視線の集まる中、サクは立ちあがり、拝礼した。
「王の正式な占いを……よろしいのでしょうか」
「なにをいまさら。命じているのだ、占いなさい」
婦好は美しい指先でサクの手を取り、祭壇の近くへ導いた。
「おそれながら」
サクは祭壇に向かい、正式な方法で甲骨を炙った。
占いの結果には時間がかかる。
占いの間、微王からの視線がサクの背に刺さるようであった。
もし、婦好の庇護下になければ、手は震え、占いどころではないであろう。
──結果が出た。吉であった。
「結果が出ました。神は大いに亨る、と仰せです」
「巫祝南の娘。領名も決めるのだぞ」と、微王が云う。
──領の名を付ける。
突然の注文に、サクは亀甲へ目を落とした。
亀裂の形が、宝物を護る門にみえる。
銅を生み出す商の要地──。
「『倉』、はいかがでしょうか」
「倉。よい名ぞ」
微王がサクを褒めた。
褒美を下賜される者であり、提案者たる婦好が凛として命ずる。
「ユイの父──、銅の邑の長よ。まだ、名を聞いていなかった」
「はっ。豹、と申します」
「豹よ。今日より、そなたは倉侯を名乗るが良い」
「は……?」
「周辺一帯を倉と名付ける。倉の領主となり、安寧を目指せ」
「おそれながら、わたしは一介の職人であり」
「生業は関係ない。そなたは家族を想い、邑を想い、人々を導く器を持つ。なに、権を持つわけではない。厄介ごとが増えるだけだ。そなたはただの調整役だ。それに」
婦好は愛用の鉞を、観衆に見えるように立て、その造型を指でなぞった。
「そなたの作る銅は美しい。よく人を育て、銅を育てて欲しい」
婦好のその姿は、観るものの心を魅了する。会場のすべてが、商直属の将軍に惹きつけられるようであった。
サクは、なかでも心酔しきった顔のユイを見つけ、招き寄せた。
「サクさま、婦好さま。……お父さま……」
「ユイ」
父と、母を亡くした娘が見つめあう。
婦好が問う。
「ユイ。父を支えてくれるな?」
「はい。婦好さま。サクさま。わたし、父を支えます」
銅の邑の男は、地に額をつけた。
まるで、あふれる涙を隠すようである。
その声は震えていた。
「婦好さまは、子を守り、邑を守り、我らの技を認めてくださった。ありがたき幸せ。謹んで、拝命いたします」
微王が剣に刺さった祭壇の生肉を喰らう。
「領主の誕生に立ち会うことができた。これは慶事ぞ。めでたいぞ」
蒙方との戦火の末、ここに新たな領主である倉侯豹が誕生した。




