表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
71/164

重なる血◇

挿絵(By みてみん)

 サクは婦好軍の策士である。


 中原の大局から取るに足らない些細なことまで、常に考えをめぐらせていなければならない。


 ──相手はなにを求めているか。


 相手は商を討つという大義をもつ。

 しかし、その他、得るものがなければ、大軍は動かないものだ。


 相手が狙いを考えれば、銅山付近の邑の簒奪であろう。


 サクは地勢を確認した。



 サク達のいる場所は安陽の北に位置し、山々が連なる。


 挿絵(By みてみん)


 南の山は資材の伐採のために山肌が見え、北の山は木々が生い茂る。


 山の麓には湖が点在する。

 婦好軍に水軍はない。

 敵も牧畜の民。水上戦は不得手であろう。


 婦好軍二千五百。

 蒙方軍三千。


 これにもし、ハツネと第二隊が間に合えば、セイラン軍が加わる。

 まもなく微王の軍が到着することもわかっている。


 一方、敵には鬼方、土方軍が参戦するかもしれない。両軍の動きはわからない。


 つまり、条件と兵数は互角。


 記憶の中の傅説がサクの耳元でささやく。

『互角の兵力なら、勇ましく戦え』

傅説さま(我が師)。わかっております。しかし、それは男対男の互角の場合です。常にこちらを半数と思い、策を発動させます」



 サクの主人(あるじ)は「両軍の損失なく」と言った。

 その命を成すのが、策士としての役目である。


 いま、敵の先鋒隊千余兵に与えられた(みち)は三方ある。


 進軍路。

 退却路。

 その他、進む先に存在する谷底の隘路(あいろ)である。


 敵を狭い路地へ(いざな)う。

 敵を囲い、捕縛する作戦をサクは隊長へあらかじめ伝えていた。


 高所から射ていた第三隊の弓兵隊は姿を消した。


 同時に第六隊が進軍し、弱兵を演じて敵と戦う。

 敵を油断させるためだ。


 前方の第六隊を守りながら後退させ、後方を第一隊が追う。隘路(あいろ)へ続く道まで、敵を誘導するのだ。

 

 策の仕上げには、高所にいる第三隊が岩を落とし、退路を断つ。

 行き場を失った敵兵を枷により捕縛する作戦である。


 思惑どおりに事は運んだ。

 婦好軍の動きを知らぬ敵兵は、第一隊に悩まされ、第六隊に活路を見出そうとする。


 まるで婦好軍(サクの作戦)(てのひら)で踊るようであった。


「鮮やかだな、サク」

「あと、わずかです」


 ──あと、わずか。敵兵を南に誘導すれば作戦は成功する。



 陽が南天に到達すれば勝利を収めるだろうというところで、サクは空に現れた異変を察した。



「あれは……」


 遠くみえる、蒼天に登る一筋の白色。

 ハツネが使っていた狼煙(のろし)である。


 サクは婦好へ進言した。


「婦好さま。ハツネの合図です。第七隊へ救援を指示いたします」


「わたしが行こう」

 戦場の様子を眺めていた婦好が、愉しむかのように提案した。


 予想もせぬ主人(あるじ)の言に、サクは唇に手を当てる。


「婦好さま自らゆくのですか。それは反対です。指揮官は戦場の戦況を左右します。一時でも指示できる場所から離れてはなりません」


「わたしの馬車はギョウアンに任せる。ギョウアン。馬を代わり、わたしの衣を羽織れ。わたしが戻るまで、作戦のとおり、目の前の敵を()ぐだけでよい。ただ悠然(ゆうぜん)と存在せよ」


 婦好隊の隊長であるギョウアンは、大きな(はら)から「あい」と短く返事した。


「サクはどうする。ギョウアンの隣に居るか」



 婦好の瞳がサクを問う。


 ──戦場の指揮か。部下の救出か。


 作戦は各隊の隊長に既に指示している。

 ひとたび戦いがはじまっては、戦場でのサクの役目は応変する戦況の調整である。


 各隊を信じてまかせることもまた、必要なのかもしれない。


「婦好さま。わたしも行きます」




 ***




 婦好とサクは狼煙(のろし)のあがった場所を訪れる。


 林間に馬車は不向きである。

 ふたりは馬車から降りた。


 一歩、また一歩と進むと、枝の割れる音が響く。


 木々の中に、敵兵の死骸が散る。

 まるで輪を描くように、血溜まりがあった。

 誰かが死者の中心で戦っていたようである。


 円の中央から、ふたつの血痕が南に伸びていた。


「サク、急ぐぞ」


 さらに進むと、狼煙のために薬材を燃やした跡がある。


 婦好が耳飾りを揺らして、ある一点を見つめた。凛とした姿勢で真っ直ぐに歩む。


 サクは後ろからついてゆく。

 ざくざくと雑木を踏みしめる音だけが森の静寂を破った。


 枯木の空洞から、赤黒い衣がみえる。



「あ……!」



 ふたりの少女が重なって倒れていた。

 髪から足先まで血を浴びている。



「セイランさま! ハツネ!」


 サクは駆け寄った。

 ふたりは気絶していた。

 まるで、ハツネがセイランを庇うように──。



 婦好がセイランとハツネの生死と肉体の欠損を確認する。



「サク、安心しなさい。ふたりは生きている。傷を受けているが、致命傷ではない」


 ふたりの衣服は敵の血か、本人の血か、赤黒く染まっている。



 窮地に陥ったセイランの救出──。


 ハツネにはなんて過酷なことを命じてしまったのだろうと、サクは悔いた。

 直属の部下を、生死の境に立たせてしまった。


 しかし、頼れる者もほかにいなかった。


 現に、彼女の能力がなければセイランは失われていただろう。



「……ありがとうございます、」



 つぶやくなり、唇を噛む。

 この場で何があったのか、サクは想像を(めぐ)らせて、涙ぐんだ。


 

 ──しかし、今はまだ、戦いの最中(さなか)

 戦場においては、取り乱してはならない。



 サクは弱き心の少女を殺し、策士家の仮面をふたたび(かぶ)った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ