王妃の水浴び
宴の翌朝、サクは婦好と陣内に流れる川へ訪れた。
王妃の湯浴みのお供である。
「身を清めるぞ」
上流の水は澄んでいる。
婦好は服を脱いで川に入った。
王妃の突然の肌色に、サクの心臓が跳ねる。
「わ、わたしはあとで入ります」
「そうか? 遠慮する必要はない。これから祭祀をおこなう。サクも身を清めよ。なんだ、サクはまだわたしを警戒しておるのか」
裸身の王妃がサクに正面を向く。サクは、あわてて目をそらした。
「警戒しているわけでは」
「サクがぎこちない。リツのせいだぞ」
いつのまにか木々の隙間から正装のリツがあらわれて、うやうやしく頭をさげた。
リツの笑みはどこか誇らしげだ。
「では背をむけるから、サクも、はいれ」
「はい」
しかたなく、サクは青い衣服を脱いで、襦すがたになった。
水の量は少なく、ふくらはぎの半分がつかる程度だ。
春の水はまだ冷たい。
サクは布をしめらせて全身をふいた。
ふと、サクは川の上流に布が張ってあるのを見つけた。上流に張られた布は川の汚れを一身にうけとめて、清らかな水だけをとおしていた。
「これは?」
サクが問うと、リツが答えた。
「第九隊、シュウの考えだ。水を綺麗にするものだという」
サクは感心した。布いちまいで、澄んだ水が手にはいるとは。
サクが水の浄化装置をみていると、
「サク、大事な話がある」
と婦好に呼び止められた。
サクは驚いて婦好に向き合ったが、見てはいけないと思っていたものが視界に飛びこんできたので、目を伏せた。
「は、はい、なんでしょう?」
婦好はサクの反応を愉しむかのように、いたずらの顔でサクを覗きこんだ。
「サク、そなたを今日から第九隊と婦好隊の兼任とする」
サクの顔と婦好の顔が近い。
「第九隊?」
「サクの知恵は戦場では有用だが、婦好隊に所属するには弱すぎる。第九隊で力を発揮せよ」
リツが婦好のことばに補足した。
「第九隊は婦好軍でもっとも特殊だ。唯一の非戦闘部隊。工、食、畜、医などを担当する。いわゆる、裏方だ。わたしが案内する」
サクは婦好に仕えるときめた以上は、したがうよりほかなかった。
「リツさま、よろしくおねがいします」
婦好はサクの頭に手を置いた。
「サクよ、そなたならうまくやれるだろう。まずは、ひとの嫌がることを率先してやれ。そして変化することをおそれるな」
「はい」
「第九隊隊長のセキに、サクの身柄を預ける。今日からは第九隊の寝所をつかうがよい。なに、第九隊はなかなか面白い隊だ。サクもすぐになじむであろう」
***
婦好とサクは身を清めてから馬車にのり、昨日の主戦場へ向かった。神々への祝福と死者への鎮魂のためである。
鬼公軍と衝突した場所は、つめたい朝の風と獣の腐乱したようなにおいがまじっていた。
土に血の跡がのこってはいるが、戦死者の遺体はだれかがすでに埋めたようだった。
「戦場の後始末も、第九隊の役目だ」
婦好が言った。
地面のあちこちに血のあとで染まっている。
婦好軍のうちの戦死者のほとんどが、抵抗もなく人形のように死んでいった白装束の巫女たちだ。彼女たちは、ただ狩られるためだけに戦場に配置されたものたちだった。
その存在は、サクにはどうしても受け入れることができなかった。
「昨日の戦いは遊びのようなものだ。これからもっと激しい戦いが待っている」
婦好が遠くをのぞみながら言った。
「婦好さま。戦いで死んだ者たちの魂はどこへいくのでしょうか」
「われわれの戦いは神々の代理戦争だ。だから、神のもとへゆくだけだ。死は別れではない」
婦好がゆったりと言いはなった。
乗っていた馬車を降りて、婦好は朝陽と対面した。
婦好は呼吸を整える。
鎮魂の舞が始まった。
婦好の肩にかかっていた紅の衣がまるで生きているかのように大きく靡く。
婦好は黄金にかがやく人面柄の斧をとりだして、螺旋を描いた。黄銅が朝陽にきらめいて、幽幻にひろがる金色の土を調和させる。
吹きぬけるような平坦な大地を舞台に、観客はサクとリツのふたりだけだった。
なんて贅沢な時間なのだろう、とサクは思った。婦好の舞にたちあえることに感動すら覚えた。
婦好が朝陽を背にまとい静かに武具を収めたとき、
──この世の神と、死者のすべてが観客なのだ、と
サクは悟った。
***
祭祀を終えたサクは、婦好とともに食事をとった。
サクが婦好にならって椅子に座ると、豚肉と山菜の白湯、木の実をつぶして焼いたものが卓にならんだ。
まわりの卓をみても、だれもがおなじものを食べていた。サクとおなじ食事が婦好のまえにも出される。一兵卒ならともかく、王妃が食べるには粗末な内容だ。
「婦好様も、おなじものを?」
「あたりまえだ」
婦好は品よく、しかし豪快に食事を口に運んだ。
「シュウはいるか?」
「はい、ここに」
「シュウよ、いつもながらそなたの食事は美味でからだによい」
「おほめいただき光栄ですわ」
「新人を紹介する。サクだ。第九隊と婦好隊の兼務とする。隊長のセキはいそがしいようだから、シュウよ。サクにいろいろ教えてやってくれ」
「うけたまわりました」
シュウと呼ばれた少女がかるく礼をした。
「さあ、サク。わたしはサクとはいったん離れる。サクよ、幸運をいのるぞ」
婦好の大きな胸が、小柄なサクをつつみこんだ。
婦好の大胆な抱擁に、食事をとっていたまわりの者たちがざわついた。シュウとよばれた女性も「あら、まあ」と声をだした。
サクは、赤面した。