弱兵
「斥候より報告です」
婦好とサクを乗せた馬車の隣に、ハツネの馬車が並走する。
「セイラン軍と蒙方軍が、この先の平原で衝突いたしました」
婦好がハツネを労う。
「やはり、か。ご苦労であったな、ハツネ」
サクは進言する。
「婦好さま。たしか、近くに高台があったはずです。行きましょう」
婦好軍は、前方にいた敵の斥候兵を数名斬り捨てた。戦況を把握するために、平原を俯瞰する。
「そんな……」
広大なる草木の上に、凄惨なる光景があった。
新緑と土の色に、紅と黒が広がる。
セイラン軍の血であった。
「媚女……」
サクは思わずつぶやいた。
媚女は、最前線で刃を受けとめる巫女たちのことである。
──セイラン軍にも媚女がいたのか。
神への犠牲となる女たち。
婦好軍では廃止している。
セイラン軍の媚女たちは、すでに絶命していた。
彼女たちは血で敵の武器を穢すという役目を終えたのだ。
セイラン軍は、戦闘部隊も敵に圧倒されている。
蒙方軍は想定よりも強い。
蒙方軍は、ハツネの情報のとおり、兵一千ほどであろうか。
商のものとは違う衣を身につけている。
特に、人面で彩るような甲冑に装備を統一する者達。
禍々しい雰囲気の三百人の集団が、セイラン軍を深く蝕む。
彼らは、柳腰のセイラン軍と比べて、体躯が二倍はある。
サクは覚悟した。
──いままでの敵とは違う。仮に倍の兵数をもってしても、勝つことは難しいかもしれない。
これまで、婦好軍が戦ってきたのは、訓練のない男性兵──寄せ集められた兵が多い。
過去、苦しめられた土方の呂鯤でさえ、一人の強さに頼る軍であった。
目の前の敵は、集団による接戦を得意とするであろう男たち。
婦好軍であっても苦戦が予想される。
一方のセイラン軍は、
──弱すぎる。
婦好軍も産まれもった体格差に悩まされ、脆さを抱えているが、セイラン軍はそれ以上に頼りない。
婦好が言った。
「厳しいな。サク、考えを聞こう」
「蒙方軍の三百人隊に正面から攻撃を加えれば被害を受けます。第二隊の守りの姿勢で耐えます。セイランさま自身も、間もなく危機に陥るでしょう。我々で助けます」
「いいだろう」
「弱兵を狙い、第一隊による攻撃をかけます。さらに、遅れてくる第六隊を敵の退却路、山間部に配置します」
「伏兵か。それもよい。ハツネ。今の言を各隊へ伝達せよ」
婦好の命令のあとに、サクは続けた。
「それから、ハツネ。敵の後方にて煙を上げることはできますか?」
ハツネはサクの問いにしばらく考えてから、「できます」と短く答えた。
***
蒙方の精兵三百名を相手に、セイランは苦戦していた。
「みんな頑張ってぇ!」
セイラン軍は劣勢を立て直そうとする。
「婦好ちんからもらった戦車の出番だよっ! 突撃っ!」
セイラン軍が車馬を持って攻撃を繰り出す。
敵はセイラン軍の馬車を狙い、低い姿勢で
馬の足を斬る。
いとも簡単にセイランの戦車は封じられた。
「ええーっ! なんで!」
動くことの出来ない戦車など、役に立つことはない。
蒙方軍に対するセイラン軍は、まるで赤児が青年と戦うようであった。
セイラン軍の陣に入り込んだ蒙方軍が、セイランの乗る馬車の懐に入る。
その先鋒には、饕餮の兜を被った戦士の姿があった。饕餮は神話上の怪物である。
饕餮の男が繰り出す矛が、セイランを定めて弧を描く。
「やばっ……!」
「セイラン!」
間一髪のところで、婦好の馬車がセイランを庇った。
「婦好ちん!」
婦好と精兵の刃に火が散った。
「我が名は婦好! 大邑商の軍である! セイランが世話になったようだ!」
「我らは蒙方軍の先鋒隊。名乗るほどの名はない!」
黄銅の武具がぶつかり合う。
「あははは! なかなかに速く、重い一撃だ!」
干戈を交える二人が、鈍い響きを奏でる。
三百の兵はやはり、強い。
敵はどこか不気味なほど、一体感を持つ動き。
少し油断すれば、包囲されてしまう。
饕餮の男とサクの視線がぶつかる。
その鋭い眼に、ぞわり、としてサクの背筋は凍った。
──三百の兵とは正面から争わずに、活路を見出さねばならない。
婦好軍と蒙方軍の兵数は互角。
兵数が互角の場合は、兵の素質と勢いがあるほうが勝つ。
サクの作戦は各隊に命じたときから、すでに始まっている。
最も強靭な三百人隊は第二隊と婦好がセイラン軍とともに守りながら押さえ込む。
その間に、敵兵のうちの士気が低く弱い部隊を、第一隊が集中して攻める。
敵の士気を削ぎ、退却を促す作戦である。
「レイさま!」
サクがレイに合図を送ると、レイは敵の弱兵を激しく攻め立てた。
敵の脆い部分を、速度と力技でねじ伏せる。
狙いどおり、敵の弱兵は後退して次々に離脱した。
饕餮の男率いる三百人隊も、婦好軍による攻撃で、軍が蝕まれていることに気づいたようだった。
同時に、敵の後方から噴煙が上がった。
ハツネが動いたのである。
予期せぬ煙に、敵兵に動揺が走った。
敵の弱兵は次々に離脱する。
レイは彼らを深く追わずに逃がした。
弓兵の到着する山間へ敵を誘導するのである。
サクの描く作戦のとおりである。
レイは、よくサクの考えを理解してくれていた。
敵は誰が号令をかけるわけでもなく、退却を始めた。
最後まで饕餮の男の率いる三百人隊が残る。彼らも婦好と第二隊の守りに、これ以上の進軍を諦めたようであった。戦果はセイラン軍を屠ったことで、達成されている。
「退けっ」
饕餮の男は指示する。
サクは直感した。
──三百人隊には、今後苦しめられることになる。ゆえに、彼らの力を削いでおきたい。
弓兵隊の第六隊隊長に向けて旗を掲げさせて、合図を送る。
婦好軍の第六隊は、弓の名人のみを集めた部隊である。
──まだ、射てはいけない。
饕餮の男の率いる三百人隊が動く。
彼らが弓兵隊の待ち受ける退却路に差し掛かったとき、サクは旗をすげ替えた。
──いまこそ、好機。
退却路にて三百人隊を待ち受けていたのは、山の繁みに隠れていた婦好軍の弓兵隊である。
放たれた矢は、雨のように敵を襲う。
思惑に反し、三百の強兵にはほとんど打撃を与えることはできなかった。
敵は降りしきる鏃を、いとも簡単に振り払い、去る。
──やはり、強い。
しかし、諸戦は婦好軍の勝利であった。




