決意◇
セイランは婦好とふたりきりで話をしてから、婦好陣営を去った。
サクは婦好に命じられて、銅の邑へ戻る。
リツとともに本陣を離れた。
人質を帰還させるためである。
この役を荷なうことは、サクには気が重かった。
婦好軍が助けた齢九の気の強い娘。
名をユイという。
彼女は少女ながらもその利発さで、邑の人質たちから一目置かれていた。
ユイに、故郷の惨状を目撃させることになる。
***
サク達はユイの住む邑へ帰還した。
邑の半分ほどは失われて灰になっている。
人質の者が、かつて家だった場所に還る。
すべてを失い、慟哭する者。
再会に涙する者。
各々の姿の影が、邑の炭に映る。
無垢なる少女もまた父の姿を見つけて、駆け出した。
「お父さん!」
「ああ、ユイ……! 無事でよかった」
ユイの父は、娘を強く抱きしめた。
「お父さん……お父さんこそ、生きててよかった。お母さんは?」
「母さんは……」
父の顔が曇ったのをみて、賢い娘は察知した。
「落ち着いて、聞いてほしい」
「うん」
「母さんは、死んだ」
「……ん。覚悟はしてた」
ユイは唇を噛んだ。
「……だけど……。お父さん」
少女は、肩を震わせて問う。
やっと絞り出すような声。
「お母さんは、どんな、最期だったの……?」
厳粛な父は、瞳を閉じる。
「聞かないほうがいい」
「そんなに、酷かったんだ……」
無言が、沈黙が、父から娘への答えである。
「う……、あいつら……、あいつら! 許せない……許せない!」
少女の感情が、堰を切ったように溢れる。
「なんで、こんな、ことに……!」
瞳から雫がぽたりぽたりと流れた。
「お母さん、お母さん、」
少女は、慟哭した。
目を背けたくなる現実。
サクは、ユイの姿を見ていられなかった。
しかし、見守らなければならないのだ。
──戦いとは、なにか。
セイランとは議論したばかりだ。
議論はすべて机上だ。
あるのは、ここにある、親子の別れであり、血であり、現実。
サクはまだ何もできていないことを、反省した。敬愛する人に言われるがままに、流されるがままに、ただ戦っていただけである。
──このままでは、だめだ。
──愚かだ。わたしは、いままでなにをしてきたのか。なにを学んできたのか。
サクは、『史』と『文字』を修めている。婦好がサクを側に置くのも、それが理由だ。
──しかし、それだけではいけない。
過去の言葉たちが、サクを取り巻いた。
受けた言霊。
発した口説。
師たる傅説の声で諭される。
──百年の計の初歩は、戦わずして勝つことじゃ。
師の言うとおりである。
戦わずして勝つ。
婦好軍の策を錬る者としては、それを目指すべきだ。
セイランとも、婦好とも違う、自分自身の立場。
それに、以前に誓ったではないか。
サク自身の声を回顧する。
──わたしは、いつか、あなたが血を流すことのない世をつくるために、抗いたいのです。
血の流すことのない世。
実現は難しい。
道のりは遠い。
自分はできるのだろうか。
否。
できることを、やるだけだ。
心に大きな志をもって。
婦好の声が言祝ぐ。
──わたしはサクの胆力と発想を、愛している。
サクは、婦好を慕っている。
なにかを成すためには、婦好の力が不可欠である。
ひとりではなにもできない。無力だ。
力が、欲しい。
ひとりで、物事を動かせる力。
足りないものはわかっている。
婦好とセイランにあって、サクにないもの。
情報である。
情報が、欲しい。
弓臤の声は命じる。
──婦好を利用するのだ。
利用ではない。説いてゆくのだ。
それが、婦好とともに道を歩むと決めた者の答えではないのか。
少女ユイの嘆きが、現実のサクの耳に届く。
──わたしの道は、あなたの涙にある。
抗うのだ。
婦好ともセイランとも違う、自身の考えるやり方で。
もう二度と、咎なき少女の涙を流させないために──。




