銅と戦火
──まさか。
銅鉱採掘の帰りのことである。
男は煌々と紅く燃える天蓋を見た。
その鼻が吸ったのは、己の邑に立ち昇る煙である。
──邑が、燃えている。
男の住処は、突然の戦火に覆われた。
邑は一周の壁で守られているが、表門はすでに陥ちたようだ。
男は急ぎ、秘密の経路から帰還する。
その邑は銅の器や武器を製作することを生業としていた。
昨日までは──。
銅を掘り出し、木で型取り、炎を操り、銅に命を吹き込むだけの長閑な邑であったはず、なのに。
男が視たのは、邑に火を放つ侵略者たち。
正規軍ではない。
漂浪の無頼集団の襲来。
男は急いで妻子のある我が家へ急ぐ。
家に帰ると、妻はすでに息絶えていた。
惨い姿だった。
拳が震え、汗が全身を吹き出る。
男には妻のほかにもうひとり家族がいる。
九歳となる娘。
それまでその命を慈しみ守っていた、愛する我が子。
妻とともにあるはずの亡骸はなかった。
──捕らえられた、か。
乙女が捕らえられれば、死よりも辛い目に遭うことは明白である。
生きていることを願えば良いのか。
死していることを願えば良いのか。
全身を駆けめぐる血液のすべてが溶けだした鉱石のように熱を帯びて重く渦巻いた。
妻の亡骸を土に隠した。
外に出ると、至るところに村人の鮮血がある。
男は受け入れたくなかった。
しかしまぎれもない現実だった。
自衛団はなにをしている──。
地には若者の骸が乱れていた。
応戦した結果、侵略を許したのである。
男が信頼し所属する組織は、敗れたのだ。
男は知っている。
敵の目的は邑の銅。
そのために、侵された。
工房の奥から、武具を取り出す。
戦火の発端となったであろう、銅製の矛。
それは権力者に献上する祭礼用のものであった。儀式のために造られたものといえども、殺傷能力は十分にある。
建物の影に隠れて、時を待つ。
侵略の徒をひとり。
己が造った銅矛に力を込める。
「だ、あああッ!」
斬る、というよりは、頭から殴り殺した。
家族を、故郷を失い、激昂した心を鎮めるように、武器を振り回す。
天に鈍い音が響き続けた。
男にとっては、矛もまた子である。
金属の張り詰めた音が気高く共鳴した。
男は返り血を浴びたまま、いつのまにか四方を敵に囲まれてしまう。
肩で息を吐いた。
──妻のもとへ、邑人のもとへ、
死を覚悟したそのとき、彼は背中を視た。
馬車を操る馭者のほかに、ふたりの女性。
紅の衣と、蒼の衣が翻る。
その衣服から高貴な身分の女であることがわかる。
──女?
背の高く髪色の明るい女が、馬車の上から黄金に輝く鉞を振るう。
鉞は、斧を大きく作ったもので、罪人を断罪するためのものだ。多くは祭礼のために造られており、実際の戦闘で使うには豪勇の将でも扱うことが難しい。
──なんの真似だ? 女が鉞で戦うなど、正気か? 児戯か?
その女が敵に対して振るう力は、常軌を逸していた。才能と鍛錬がなければたどり着けぬ境地。
あるいは、伝説上の女媧。
あるいは、西王母。
──死を間際にして、幻でも見ているのか。
男は問うた。
「味方か? 敵か?」
「大邑商直属軍である! この邑への侵略者を憎む者だ」
凛とした声が響く。
男は、己の邑が大邑商とはゆるやかな同盟関係にあることを思い出した。
将軍格たる女傑は、次々と敵を撃退した。
大邑商、直属の軍。後ろを振り返れば、精悍な顔つきの女性たちが戦う。
──商には、女だけの軍があるのか。
一方、女将軍の率いる女兵士達は決して強くはないようだった。
軍は脆さと、靭さを兼ねている。
生まれもった弱さを、統率力と指揮によって補っていた。
蒼い衣の娘が馬車の旗を替える。
「第三隊!」
──伏兵の合図か。
女性達の軍が地から湧き出るように現れ、撤退しようとする敵を挟み撃ちにする。
鮮やかな用兵術で、邑を襲った無頼の輩たちを撃退した。
これが、商の戦いか──。
男は女傑に問う。
「娘が、こちらに保護されなかったか」
「娘?」
「齢九の子だ。亡骸がない」
女傑の整ったかたちの顔が厳しく変化する。
「少女は生きたまま捕らえられるものだ。若い娘を欲する者は多い。意味はわかるな?」
隣にいた、蒼い衣の娘が言う。
「婦好さま。侵略にあってから時が経っています。もし捕らえられているとしたら、人質は前線にはおりません。相手は漂流の民。人質は後方、すでに本拠地に居るかもしれません」
「そうだな。残念だが、敵の実態はまだわかっていない。敵のことを理解していなければ、戦いに勝つことは難しいものだ」
「敵は流浪の民のようですが、弓臤さまからの情報もなく、正体がわかりません。この方のお嬢さんを救出することは、非常に困難なものとなりましょう。つまり……」
ふたりは、顔を見合わせた。
意思のある目配せだった。
「助けましょう、婦好さま」
婦好と呼ばれた女傑が笑みを浮かべた。
その笑みはまるで天をも恐れぬような不敵さを秘めていた。
「勢いのあるときにこそ、できることもある。守りに走り、機を逃せば取り返しがつかない。行くぞ」




