婦好将軍の一日
※三章完結記念の、おまけ小説のようなものです。百合成分多めなので、苦手な方はご注意ください。
※サク視点
婦好さまの朝はとても早い。
朝日とともに目覚める。
起きると一杯の水を摂り、着替えて武芸を磨く。
どこにいても、──王宮といえども──鍛錬を怠らない。
矛、戈、鉞。そして弓。
毎日何百回、何千回と振るう。射る。
戦場で武器を自在に操るには、訓練あるのみだという。
「訓練した女兵士は、訓練しない男兵士と同等」と婦好さまは言う。
それは、決して女を軽んじているわけではない。生まれつきの体格差をよく理解しているためだ。
ゆえに、婦好軍の鍛錬は厳しい。
婦好さまの武器のなかでは特に鉞は重い。銅でできており、わたしも一度持たせてもらったことがある。
わたしでは持ち上げることすらできなかった。
刃毀れしても、力と重さで敵を両断できる鉞は、婦好さまのお気に入りの武器だ。
訓練が終わると、必ず身を清める。
婦好さまは綺麗好きだ。特に、歯を大事にされる。噛む力がなければ、強くなれないという。わたしにはよくわからない。花の香りは、身を清めたあとに香をよく薫きしめているから。
午後は王直属の将軍として、奉仕する。
軍議や物資の調達、次の戦に向けての根回しなどだ。
婦好さまはよく人を使う。
適任者に命ずるのが役目だという。
ゆえに、王宮での軍師としての仕事も重くなってきた。
婦好さまにお仕えする日は、日が暮れる頃には、へとへとに疲れ果ててしまう。
「サク」
「はい」
「今日は冷えるから、こちらに」
婦好さまの寝台に招かれる。
長旅を経て、寝台をともにする習慣がついてしまった。
許しを得たので婦好さまの身体に寄り添う。
襦越しに体温が伝わる。
布と布の隙間に、ひんやりとした風が通る。
婦好さまが何を思い、わたしをこうして寝台に招くのかはわからない。
婦好さまは、おそらく、わたしのことを愛玩用の動物かなにかだと思っている。
どう思われているかは別として、わたしはこの時間が好きだった。
一級品の絹の肌ざわり。婦好の香の匂い。女性にしては硬さのある腕のなかの、柔らかい胸。
同じ性をもって生まれたのに、貧相な自分の身体とはずいぶんと違う。
もし、婦好さまが男性であれば──。
男女であれば、同衾すれば交わり子を持つことくらい、わたしも知っている。
薄く、ぼんやりとした知識であるが。
父はそのようなことは教えてくれなかった。
「男女が結婚すると自然と子どもができるものだ」と父は言う。
わたしは誰から聞いたのだろうか。確か、婦好軍の酒の席で誰かが話していた。
女だけが集まれば、そのような話にもなるというもの。
しかし婦好ではない。リツやレイでもない。シュウは知っていても口にはださないだろう。
キビは……。
最後の酒の席では、まだ、そういった話ができる間柄ではなかった。
キビは、生きていれば、そういう話もしたかもしれない。
生きていれば──。
「なにを考えている」
「ゃ、いえ、なにも……なんでもありません!」
「サクが慌てるとは珍しいな。わたしに言えないようなことか」
「いえ、……」
夜だからだろうか。普段は聞けないようなことを尋ねても問題ないように思われた。
「婦好さまは、……知っておられるのですか」
「なにをだ?」
「……男女の、交わりについて」
「サクもそういったことが気になる年頃か」
「どなたかが話していたのを思い出しました。しかし、どなたが話していたのか覚えておりません」
「そうだな……、そういう話を好む者が婦好軍にも多く居るのは確かだ」
蝋台の炎に照らされる婦好さまの横顔は、なにか言葉を選んでいるようだった。
「……房中術などはわたしも姉とともに少々教わった」
「房中術?」
「夜伽の方法論だ。嫁ぐ前に、邑の老婆から聞いた」
「どのような、方法論なのでしょうか」
「陰と陽の気を邂逅させ、快楽を得て子どもを授かるものだ。男にとっても女にとっても女の初夜の気が最も瑞々しく充実しているために重要である、という。そして女は初夜の前後では人が変わってしまうそうだ」
「人が変わる?」
「考え方の根本に変化が起こるのだそうだ。ゆえに、初めての相手は慎重に選べ、と」
「婦好さまも、いずれはどなたかを選ぶのでしょうか」
「いや……。わたしの邑では、神に仕える者は、乙女でなければならないとされている。わたしは神に仕える者でいたい」
「神とは、微王のことでしょうか」
「微王は神ではない。商王が迷いのなかで作り上げた人格だ」
「神が乙女を好むのはなぜでしょう」
「穢れを知らないからだ。一方で、交わりを好む神も存在する。ある地域では──、同数の男女が仮面を被り、相手を替えて何度も交わることを祭事とするという。おそらくはセイランはそのような神をもつ氏族の生まれであろう」
「相手を替えて、何度も……?」
想像して、絶句した。
否、想像ができない。
「サクはそういった文字に心当たりはないか」
「……『若』ですね」
「巫女が、快楽の絶頂を迎えるときに、神託を授けられる形です。父に教わったときは、何のことかわかりませんでしたが……、そのようなことを好む神も居るのですか」
「まあ、文字を商王とともに作った微王が、そのような行いを好むからな」
「ええ……それは、なんとなく、わかります。しかし、……わかりません。快楽の絶頂のとき、どのような神託が授けられるというのでしょうか」
「さあ、わからぬ……試したことはない」
「そう……ですよね」
「……サク。興味があるなら、試すか」
「えっ」
「いまから」
「そ、それは、女同士でも得られるものなのですか」
「できなくは、ない」
整った形の顔が、いつのまにか真上にあった。婦好さまの両手がわたしを覆うように、両肩の外に添えられる。柔らかく明るい色の髪が、一房、頰に落ちる。
足先から、全身が火照るのがわかる。
──ついに、覚悟をしなければならない日がやってきたのか。
しかし、婦好さまとなら──。
ぎゅ……と目を瞑った。
婦好さまの大きな手が、ぽん、ぽん、と頭を包む。
「冗談だ。もう、寝なさい」




