表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/164

偽りの家族

 日が高くなる頃、父がサクへ願い出た。


「サク。婦好さまにお伝えしたいことがある。あとで、呼んでくれないか。話がしたい」


「わかりました。婦好さまには伝えておきます」


「それから、わたしを助けてくれた男……名は」


「弓臤さまのことですね」


「そうだ。弓臤だ。王のお気に入りで、よく見かけていた。『史』を知るものであったか。ただ寵愛されていたようにも見えたが……それなら、合点がゆく……」


 サクの父は、独り言のようにつぶやく。




「弓臤との話は聞いていた。『史』と『文字』の交換と」


「聞こえていましたか」


 このときになって、サクはやっと気がついた。

 弓臤は、()()()()()()()()()()()()()()()地下牢の階段で取引きを持ちかけたのだ。




「サク。『史』を学びなさい」


 父は力強く、まるで命じるかのように言葉を発する。


「『史』は、私も知らぬことなのだ。かの男が、瞳をつぶすのもわかる。商においては、誰もが知りたくても知ることができないものだ。『史』を学ぶことは、いずれ武器になる」


「いずれ、武器に……」


「しかし、かの男が瞳をつぶしてまで得たことを、おまえに無傷で与えるわけにはいかない。おまえにも、持つものを失ってもらう。巫祝としての家督継承権を、かの男に与える。それでも、よいか」


「わたしは、婦好さまに仕えると決めたときから、死んだものと思っております。いっこうに、構いません」


「では、弓臤とも話そう。のちほど、呼んでほしい」


「お父様」


 サクは姿勢を父へ向き直し、父の眼差しを正面から捉えた。


「わたしはもう、子どもではありません。誰かに命じられてではなく、自身で決断をしたいのです。改めて、父上に申し上げます」


「微王に、新たに百二十の『文字』を作れと命じられております」


「微王に? 百二十の『文字』?」


「はい。しかも、女に関する『文字』、と限定されています。期限は、次の次の十三夜の日まで。成さなければ私の命はありません。ですが、未だできおりません。

 『史』を学べば、考えの助けになるのではないかと思うのがひとつ」



「もうひとつは、私は、婦好さまのお役に立ちたいのです」



 胸の内にある婦好への想いは、うまく伝えられないだろう。心中を渦巻く感情が、主従関係によるものなのか。憧れなのか。サクにはまだわからない。

 ただ、今は父に本心を打ち明けるのはやめようと決めた。




「『史』を学ぶために、『文字』と『史』とを交換することをお許しください」



「そうだったか」


 サクの父は、目を閉じた。


「子の決断を、親は殺してはならない。もちろん。許そう」



 ***



 家人へ伝言を頼み、ほどなくして訪れたのは弓臤だった。


「来たぞ」


「弓臤さま、早かったですね」


「今日は暇だからな。なに、そのへんをぶらぶらしていただけだ。それで、話とはなんだ」


「先の取引の件です」


「ほう」


「秘匿の交換をお願いします」


「くく……決断が早いな」


「サクの父、南です。先日はお助けいただきありがとうございました。今回の取引については、もちろん無条件ではありません。むしろ、巫祝十氏族の面々に対しても、文句のでないような形で、取引いたしましょう」


「つまり? どういうことだ?」



「サクの兄、もしくはサクの夫になっていただきたいのです」



「は?」

 弓臤はその右眼を丸くした。



「お父様? なにをおっしゃるのですか」

 サクもまた動揺した。


「わたしの義理の息子になっていただきたいのです。そうすれば、巫祝十氏族という組織としても、文句はないでしょう。どちらでも、好きな方をお選び下さい」


「聞いておりませぬ」


「サクには、家督継承権を譲れと言ったはずだ。巫祝十氏族の外に『文字』を教えるとうるさい。それは今回の件でよくわかったであろう。わたしには、子はサクだけだ。どうせわたしの代で断絶する。その後は、弓臤が決めればいい」


 父は声を低くしてサクへ申し伝える。


「弓臤は、『史』を知るために眼をつぶした。サク。お前は『史』を知るために何を失う? それとも、名が惜しいか」


「ですが……いくらなんでも」

 名ばかりとはいえ、婦好が知ったらどんな反応をするだろうか。


 弓臤がくっくっと笑った。


「くくく……。最高におもしろい親子だな。ええ。願ってもない機会です。あなたの息子になりましょう。そして、サクの兄に。ご存知かどうか知りませんが、俺はすでに男ではないのでね。後継は望めない」


「弓臤よ。やはり、そうなのか。噂には聞いていたが……。

 よい。我が一族は血縁関係に縛られないものとして『文字』を伝えてゆけばよい」


「息子としてくれたからには明かしましょう。俺は王に取り入るために男を捨て、『史』を学ぶために片眼を捨てた。自分で言うのもおかしな話だが、俺のことはあまり信用しないほうがいい。しかし、いただけるものはいただいておきましょう」



「一度は救われた命。親は子のすることに口出しすることはできない。望むことはただひとつ。息子よ。サクを頼んだぞ」



「俺に可能な(できる)範囲で」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ