死にゆくものへ
「は。失礼いたしました。サクどのの美しさに、取り乱してしまいました」
サクをしばらく見つめていた嬰良が婦好に視線を戻した。
「構わぬ。最近のサクは、出会った頃よりも美しくなった」
婦好がいたずらな顔をして、サクをのぞきこんだ。
サクをからかうときの表情である。
サクは、赤面してうつむいた。
「嬰良よ。軍議ののち、兵馬の損傷を確認したい。どこか、みなが集まれる場に案内を願おう」
「承りました」
嬰良は快諾した。
***
早速、軍議が行われた。
戦死した第三隊隊長の座に、すぐさま新たな隊長が任命された。
「嬰良。まずは、これまでの城内の説明を」
「はい。外城は二日前に呂鯤によって制圧されてしまいました。王妃を危険にさらしてしまったこと、申し訳ありません。内城と宮城には、兵士と兵士の家族がおります。兵糧は河から届きますゆえ、いまは問題ありません」
「嬰良よ、これまでよく守ってくれた。明日以降は城を守りながら、敵陣に攻め入る。
まずは、外城を取り戻すことである。敵に攻撃された城壁の補修は、セキに一任する」
「はいはい、あたしに任せな! 城の修復なら、第九隊の出番さ」
「第八隊も、負けませんよ。われわれ第八隊は、毒を、使いましょう」とキビが言った。
「キビ、毒とはどんな作戦だ?」
と婦好が問いかけた。
「暗闇に乗じて、密かに敵の兵糧に毒を仕込むのです。明日には、効果が現れるでしょう。外城の部隊なら、建物の影に隠れやすいので、容易いかと」
「キビの得意分野だな。毒の材料となる物はあるのか」
「うふ、どこにでもある材料でできますゆえ。すべてお任せください」
「損害を与えられるなら、それに越したことはない。任せる」
「さあ、サクよ。どのように外城を奪還するか」
「キビさまの作戦を待ち、敵が弱ったところを、攻撃するのが最良かと……」
サクが説明していると、ひとり、熱量をもつ瞳でサクを見つめる顔があった。
嬰良である。
サクは気がつかないふりをして、視線をはずした。
婦好は、それを見て愉快そうにした。
「嬰良、わが軍師をあまり見つめてやるな。そなたの気持ちは、わかった」
「は、そんなつもりでは……。申し訳ありません」
嬰良が取り乱した。
第一隊隊長のレイが「あら、そういうこと」と面白がった。
キビなど他の隊長も、にやにやと笑った。
「サクのいうとおりにしよう」と婦好は言った。
隊によって攻撃の手順や細かな役割を決めた。外城奪還のために、敵の油断を操り、断続的に戦いをしかける。
「決まりだ。みなそれぞれ身体を労わり、次の戦いに備えよ。サクとリツは、わたしとともにゆくぞ。戦傷者の見舞う」
***
婦好とサク、リツは、手傷を負った兵士のために設営した帳へ着いた。
帳の中では、シュウが戦傷者の手当てをしていた。その顔には涙の跡が残る。
部屋の至る所に兵士が横たわり、呻き声がする。
シュウたち第九隊の医務を担当する者ができるのは、かりそめの処置である。
多くの者がただただ痛みに耐えている。
「婦好さま、サクちゃん」
「シュウ、苦労をかける」
「いいえ、婦好さま。婦好さまが、ご無事でなによりです」
シュウが、今にも泣きそうな顔を伏せた。婦好は、シュウの肩をやさしく抱いた。
「シュウよ。わたしに任せたい者はいるか」
「三名ほど」
「そうか。では、いつものものを」
「はい」
シュウが部屋の奥へ消えた。
暗い場所から戻ってきたシュウは、短剣を婦好へ渡す。
サクは何のことかわからず、ぼんやりとその様子を見つめた。
シュウに案内をされて、帳の奥へ進んだ。
最奥の部屋に居たのは、もっとも深く傷を負っている者たちである。
身体の一部が欠損している者。
痛みに苦しみながら、いまだ息のある者。
サクはひと目見て、察知した。
シュウが言った三名とは、助かる見込みのない者のこと。
そして、ほかならぬ、婦好が痛苦をとる役割を買って出ていることを。
傷を深く負った女兵士は、もはや喋る事もできない。
痛みに耐える嗚咽と、荒い息遣いが響く。
婦好は上衣を脱いで、女兵士の傍にゆっくりと腰をおろした。女性のまわりには血を吸った布であふれている。婦好はそんなことは意に介さず、女性の頬を優しく撫でた。
そして慈愛に満ちた声で、ささやいた。
「よく耐えてくれた。よく仕えてくれた。
わたしは忘れぬ。
さきに神の御許で待て」
婦好は死を彷徨う者の額に、自身の花弁のような唇を押し当てた。
そのままの体勢で、婦好は一気に女の首を掻き切った。
血飛沫が、婦好の身につけている衣類に付着する。
まるで、生贄の羊のように。
女兵士は音もなく絶命した。
サクは目の前で繰り広げられる葬送を、ただ、見つめるしかなかった。
生きて苦痛を味わうのか、死して苦しみから解き放たれるほうがよいのか。
サクに善悪の判断はできない。
ただ、なぜかとある思いを抱いた。
もし同じように傷を負い、生死の狭間を彷徨ったなら。
己もあの口づけを得ることができるだろうか、と。
────────
その後、婦好は、車馬の損失や沚馘軍内部を確認して回った。サクとリツも後を追った。
婦好は沚馘西鄙の内城を歩きながら、まるで独り言のようにつぶやいた。
「わたしの鎧は血で穢れている。
戦場で敵を殺し、こうして部下の命も奪う」
サクからは、婦好の顔は見えない。
紅の衣を纏う背中だけが、そこに存在する。
「サクよ。おまえはこの戦いが終わったら……。……いや、今は言うまい」
婦好は、言いかけて、話をやめた。
いつも堂々たる婦好にしては、珍しい。
婦好は足を止めて振り返り、サクと向き合った。
いつもの、大胆不敵な顔だ。
「サク、命令だ」
「なんでしょう」
「いまから、第八隊へ行け」
「は?」
「サクはいまから、第八隊の副隊長だ。リツよ、キビに伝達せよ」
「サクを第八隊へなど、それは一体どういうお考えですか」
リツが婦好に問いかけた。
「キビは闇夜に乗じて、毒をしかけると言っていた。キビの知識は必ずサクの力になる。サク。その作戦に参加し、方法をよく見ておけ。さあ行け。リツとともに」
サクは、婦好に背中を押されてしまった。
サクは促されるまま、リツとともに第八隊へ向かった。
突然の命令。第八隊の副隊長。
サクは、キビと第八隊から嫌われている。
一筋縄ではいかなそうだ。
第八隊の居る方向へ進む間、サクの足取りは重かった。
「まったく、婦好さまは何をお考えか。サク。不安か?」
とリツが歩きながら言った。
「正直、不安です。わたしはキビさまに良く思われていないので」
「なにかあれば相談せよ。もっとも、サクの胆力なら案ずることはなさそうだが」
第八隊では、キビが作戦の準備をしていた。
リツが婦好の命令をキビへ伝達した。
きつねのような目が、サクを見てさらに細くなった。
「わかったわ。サク。うふん。それで、あなた。これからどうするの?」
「どう、とは?」
「沚馘の三男坊のことよ! どうなの? あなたは気に入ったの?」
キビは満面の笑みだ。
「えっ?」
「だ、か、ら、あなたは嫁にいくの? 婦好さまはお許しになったの? どうなの?」
キビの笑顔と突然の問いかけに、サクは拍子抜けした。
『セシャトのWeb小説文庫』
(https://ncode.syosetu.com/n0469em/)
にて『婦好戦記』が月間作品として紹介されています。ありがとうございます。なんと太公望が『婦好戦記』を読む、という内容です。ぜひご確認をお願いします!




