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布告なき鋒矢






 行軍をはじめてから五日目の朝、婦好軍は河をわたった。


 河を渡りきりしばらく進んだ属邑で、各隊の隊長が集められ軍議が行われた。


 簡易な帳のなかに、木の机と、地形を模した盤が置かれた。

 九人の隊長が机を囲んだ。

 そのほかには、婦好の側近であるリツと、沚馘より道案内を命じられた老兵がいた。

 サクは婦好の隣にいた。


「明日、鬼方(きほう)および土方(どほう)の連合軍を襲う。サク、戦況の説明を」


 サクはこの三日間で婦好より聞いた内容を、できるだけ簡潔に報告した。


「はい。斥候の情報によると、沚馘(しかく)西鄙(せいひ)を、鬼公(きこう)率いる鬼方軍およそ三千と、土方軍およそ三千が北側より囲んでおります。

 沚馘西鄙の城内ではおよそ千の兵士が守っております。この数は住民をのぞきます」


 敵の侵攻がはじまってから時間が経っている。斥候の情報も、二日前のものだ。サクは続けた。


「対するわが軍も兵三千。

 明後日には到着するであろう沚馘(しかく)さまと弓臤(きゅうけん)さまの軍が一千。

 沚馘の西鄙には南側に河があり、沚馘の(みやこ)より兵と物資が運ばれております。

 わが軍もおなじですが、鬼方および土方に水軍の用意はありません。

 居城内は、水路よりの物資で、しばらくは持ちこたえるかと。

 ここまでで、なにかございますか」


「敵の将軍はわかっておるか」

 第五隊隊長ギョクが腕を組みながら、質問した。


「はい。鬼方は鬼公と張達(ちょうたつ)、土方は呂鯤(りょこん)という将軍が率いているとの情報です」


呂鯤(りょこん)

 隊長の間で、動揺が走った。

 みな、呂鯤という将軍の名に覚えがあるようである。

 隊長たちの動揺を制するかのように、婦好が言った。


「この戦い、どうやら土方の呂鯤が領有拡大のために沚馘の西鄙を狙うものようだ。

 鬼方の目的は、商との防衛線を押し戻すことのみ。

 つまり、この侵攻は領土拡大を目論(もくろ)む呂鯤の主導で行われている。

 沚馘の西鄙を防衛し、呂鯤を撃退すればわれわれの勝利だ。しかし、この呂鯤は、みなも知るとおり」


 婦好は、敵にみたてた、土色の小さな板をゆったりと掴んで、皆にみせた。


「品のない戦いを好むものだ。鬼公のように、物分かりの良い戦い方ではない。みな、わかっているとは思うが、呂鯤には気をつけよ」


 婦好は手に持っていた板を、机にぱちりと叩きつけた。そして冗談とも本気とも言えない口調で続けた。


「まず、捕まるな。捕まるくらいなら、神のもとに舌を噛みきれ。生きて捕まれば、なにをされるかわかったものではない」


 婦好は続けて言った。


「さあ、どう攻めるか。誰でも良い、作戦を進言せよ」


 沈黙の間があったため、考えていたことをサクが進言した。


「では、おそれながら申し上げます。

 地の利を用いるのです。

 鬼方軍と土方軍の背後には、山があります。つまり、山に登り、背後から攻めます。相手にとって、安全と思っていた場所から突然、敵が現れるのがもっとも嫌なはずです」


「ふむ、定石の策と言えよう」

 と婦好は呟いた。


 サクは、婦好軍にみたてた紅色の小さな板を盤の目に丁寧に置いた。


「敵に気取られぬうちに、この山から駈け降りるのが最良かと存じます」


 サクの発言をうけ、婦好は沚馘の老兵に問いかけた。

「敵に気づかれずに背後から忍び寄り、攻撃する道はあるか。できれば、呂鯤の軍を()いでおきたい」


「すこし、ゆけば、あります」と老兵は答えた。


「よい。では、軍を二つに分ける。

 一は、呂鯤の背後を狙う。そして、鋒矢(ほうし)の陣で山から一気に駈けおり、西鄙の城門まで突破する。

 二は、南から迂回して沚馘の西鄙へ入り、なかから城門を開けよ」


 このとき、

「婦好さま。第八隊はいかにいたしましょう」と第八隊隊長キビが発言した。

 サクは、心臓が掴まれた思いがした。


「キビよ。第八隊をどう使う?」

「先に敵の前方で乙女たちに舞わせましょう。敵が殺戮に夢中となっているときに、背後から襲うのです」


「確かに、おびきよせることはできる」


 婦好が顎に手をあてた。そして、盤上で紅色の札を敵の前方に配置してみせた。サクは、内心焦りながら、しかし、誰にも気取られないように淡々と言った。


「いえ、それでは、背後の存在をわざわざ知らせるものです。背後から襲う意味がなくなります」

 サクが顔をあげると、キビに冷たく凝視されていた。


「うむ。そうだな。第八隊は必要ない。奇襲の際は、足手まといだ」

 婦好は第八隊に見立てた札をもとあった場所に戻した。


「沚馘の西鄙へゆくのは、第七隊、第八隊、第九隊。それ以外は、敵陣を駆けるぞ」


 第八隊の出陣は、とりあえず今回の作戦では免れた。サクは、ひとまずは安心した。


「呂鯤は手強い。リツよ、わたしの左に。レイ、サクをともに乗せよ」


「うけたまわりました」と第一隊隊長レイは答えた。


「サクよ、なにか思いついたら大声で叫べ。婦好軍の陣形は教えたな。いま、ここで腹から声を出してみるがいい。皆も、サクの声を記憶せよ。サク、ここを戦場だと思って、全軍に陣形を八つすべて命じてみよ」


「はい。魚鱗、三公、霹靂、天稟、鋒矢、貫策、漸台、雷電」


「この声だ。皆、覚えておけ。サクよりもレイの方が声量があるな。レイもまた、サクを助けよ」


「ええ」


 その後も細かな作戦を詰めた。

 ひとたび戦いがはじまれば、個々の考えを伝達する方法は、限られる。

 そして、ひとりの判断が戦の勝敗を左右する。


 軍議が熟したところで、婦好は号令した。



「婦好軍は、商直属の軍である。われわれは、つよい。みな、健闘を祈る!」



 ***



 夜が明けた。


 婦好軍は最速で駆けた。


 非戦闘部隊を伴わない婦好軍は、速い。

 静かに、音もなく、敵の背後から忍び寄った。


 婦好軍は、敵後方の高台に布陣した。

 敵に気取られては、いない。



 サクの眼前に肥沃な大地が広がった。

 地平線が白く輝いている。

 悠久の草原を、ときどき雑木の林と竹林が覆う。


 そのなかに、四方を土の壁に囲まれた都市がある。守るべき城だ。

 都市の奥に見える河は静かである。


 サクは、敵陣を見下ろした。

 敵が攻城のために敷いた幕舎が並ぶ。

 黄土色の旗と、黒い旗。

 情報のとおり、二つの軍が侵略のために野営している。

 敵はまだ、起きてはいないようだ。


 朝靄がかすかに広がり、沚馘西鄙の城門を覆う。

 すこしの風が肌を冷やす、清涼なる晴天。

 天帝が祝福する吉兆、とサクは読んだ。



 サクは(おのれ)主人(あるじ)に視線をうつした。

 横顔の輪郭が、朝陽によって美しく描きだされている。

 彼女が従えるは、車馬三百余、歩兵千二百余。



 婦好が、黄金の(えつ)を構えた。

 そして鉞を廻して空を八字に切り、天地へ向かって拝礼した。



 攻撃開始の、合図である。



 婦好の馬車が坂道を駆け下りた。



 サクが乗る馬車も、地を砕きながら続いた。



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― 新着の感想 ―
[一言] 張達と聞いて張角と仲達を連想してしまいました。 全然ストーリーに関係ないのに!
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