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死への舞台

 第八隊の、婦好軍の実態を知ることとなったサクは、シュウと別れた。


 サクは、第八隊の真実に戸惑った。

 しかし婦好軍は、サクの困惑など一蹴するがごとく、あわただしく出立した。


 サクはふたたび荷を運びながら、歩みを進めた。

 行軍の間、サクが婦好の寝所に泊まったという噂が、第八隊の耳に届いたのだろう。

 前日と同じく、第八隊からのサクへの風当たりは厳しかった。


 しかし、サクは、昨日とはまったく違う気持ちで、その様子を受け止めていた。


 第八隊の人間は、いずれ、抵抗もなく殺される運命が待ち受ける。

 もし、命を捧げて忠誠を誓うべき人に、理由もなく贔屓される娘がいたとしたら。

 自分は家畜のように殺されるのに、その娘は財宝のように大切にされ、生かされるとしたら。


 サクは、胸が潰されそうになった。

 サクは死というものを、まだ、漠然と認識していて、実感として持っていなかったのかもしれない。

 サクにとっての死は、必ず訪れるものだが、寿命が尽きるその日までは行動によって回避できるというものである。


 しかし、第八隊の乙女たちは違う。

 あの、あどけない少女たちは、これから待ちうける宿命を薄々は感じとっているのだろうか。


 第八隊の少女にとって、あゆむ道は、戦いに勝つことによって得られる、生への道ではない。



 確実たる、死出の道だ。





 日差しのせいか、疲れのせいか、考えすぎたせいか、

 サクは、思考が回転するような感覚を覚えた。




 そのとき、前を歩いていた一台の荷車の車輪が、外れて、横転した。

 第九隊の手馴れたものが駆けつけて壊れた荷車を修理をした。

 その間、軍の後続は道の途中で止まってしまった。


「あら、いやあね、止まるなんて」

 サクは第八隊に、文句を言うきつね顔を見つけた。

 以前にサクに対して嫌がらせを働いた、第八隊隊長のキビである。

 キビは、馬車に乗っていた。



 ──犠牲を強いられる第八隊の、隊長。彼女は一体、どんな思いでここにいるのか、彼女もまたいずれ犠牲になるのか。



 サクはキビのいる方向へ真っ直ぐに歩みを進めた。

 キビは、サクへ冷たい視線を投げた。

 サクはキビに対面して怖じけずに言った。


「キビ様、荷車が直るまでの間、すこしお話してもよろしいでしょうか」

「あらあ、ウワサの、軍師さまじゃない。なにか用?」



「キビ様、第八隊は、最も犠牲を強いられるとお聞きしました。軍の、生贄だとも。キビ様は、一体どんなお気持ちで戦いに挑まれているのでしょうか」


「うふふ、馬車に、のりなさい」


 サクは、言われるがままに、キビの馬車に乗った。


「勘違いしてもらっては、こまるわよ。わたしは、死なないわ。それに、わたしの隊は生贄ではない。神の御許へゆくお手伝いをしているだけ」


 キビは続けて語った。


「どんな気持ちで戦うのかという質問だったわね。その前に、あなたは知ってる? 婦好さまが、いかに、わたしたちに神のもとへ向かうまでの最高の舞台を用意してくださるかを」


「最高の舞台……?」


「あなたがただ歩いている間も、わたしの隊の兵を、婦好さまはよく気遣ってくださっていたのよ。みな、婦好さまの優しさに触れ、婦好さまのためになら、死んでもよいと思う。むしろ、婦好さまのために死ねることを、神に感謝するようになる」


「死ねることを、神に、感謝、ですか」


「うふ。そうね。わたしたちは、婦好さまを少なからず愛している。ゆえに、無条件で婦好さまに愛されるあなたのことが、大嫌いだわ。そう。大嫌い。わたしたちは神のもとへ先に行くから、あなたより特別扱いされるべきなのに、とね」


 キビの言葉に、サクは決意した。


 そしてサクは天にすら響かせるように、声をだした。



「キビ様。わたしが、第八隊を、救います」


「はあ? なによ、いきなり」


「第八隊が、生きる道を模索します。いまは信じてくれなくてもいいです。だから、どうか、わたしを、わたしの行動を、見ていてください」


「ふん……それは、いままでの第八隊を、婦好さまを否定する発言だけど、よいかしら」


「かまいません」


 サクの突然の宣言に、話を聞いていた第八隊の隊員が静まりかえった。

 くすくす、と笑う者もいた。

 一方で、「救う」という言葉に、すがるような視線をサクへ投げかける乙女も確実に、いた。第八隊に配属され、死への影が迫ることを感じている、かよわい乙女だ。


 サクは言い終わると、キビの馬車から降りた。サクの膝は震えていた。

 普段意地の悪い第八隊隊長のキビも、それ以上は、特に、なにも言わなかった。


 前方の道をふさいでいた荷車が修復し、ふたたび行軍がはじまった。


 第九隊へと戻ったサクもまた、荷を押して歩みを続けた。


 サクは、キビとの会話を反芻した。無策であるにも関わらずに、第八隊隊長に対して「第八隊を救う」などと宣言をしてしまったことをすこし後悔した。



***



「サク」

 サクが歩みを進めていると、馬車に乗った第一隊隊長のレイに、軽快な声で呼び止められた。

 レイは、つまらない日々にまるで新しい玩具を見つけたような、愉快そうな顔をしていた。


「キビに啖呵を切ったそうね」

「はい、第八隊を救うと宣言しました」

「面白い子。婦好様が気にいるはずだわ」

 レイはくすくす、と笑った。


「レイ様に、お願いがあります。わたしも強くなりたいのです。のちほど、戈の稽古をつけてはいただけないでしょうか」


 サクに言われて、レイはサクの身体を下から上まで、なにかを確認するかのように()て、言った。

「サク。人には、向き不向きがある」


 レイは続けた。

「そんな暇があったら、知恵を、磨きなさい、サク。あなたの武器は、その胆力と、知恵よ」


 サクにそれだけを言って、第一隊隊長のレイは上機嫌で去っていった。



***



 日没をまえに、婦好軍は次の野営地に着いた。

 第八隊については、婦好と相談したい。

 しかしその日は、婦好から声をかけられることはなかった。


 サクは、鬱蒼とした茂みのなかの清い川から、水を汲んだ。

 サクは、悩んでいた。第八隊の少女をどうすれば救えるのか。

 光の少ない水面に、おのれの顔が映る。あの少女たちとおなじ、まだ大人になりきれていない、顔だ。


 ──婦好さまは、この顔を誰かに似ているとおっしゃっていた。


 サクは、ふと、昨晩の婦好との会話を、思い出していた。


 ──今夜は、誰が婦好のそばにいるのか。


 サクは、我にかえった。


 ──なぜ、そんなことが気になるのか。第八隊のことを、考えていたのではなかったのか。


 サクはおのれのままならない心を振りはらうように、顔を洗った。そして、その日は第九隊の営舎で眠った。



 ***



 翌日も、サクは荷を押して歩いた。婦好軍での行軍は、一歩また一歩と道をあゆむことの繰り返しだ。

 婦好が七日で到着させるとサクに告白したとおり、行軍速度は、はやい。体力の限界を削いでくる。


 日没頃に、野営地に着いた。また、第八隊に新しい少女が増えている。婦好軍は、行く先々で、犠牲となる少女たちを増やしているのだ。


 その夜、サクは第九隊隊長のセキに呼びとめられた。婦好の寝所に行くようにとの伝達である。

 サクにとっては、第八隊の処遇を直訴する好機だ。


 サクが婦好のために設営された簡素な帳に入ると、すでに婦好がいた。婦好は寝台に座りながら、なにかを思案していた。

 婦好は水浴びを済ませたあとなのか、いつも後ろに編み上げている髪をおろしていた。婦好の、肩にかかる美しい髪が、髪の持ち主の憂いを物語っていた。


 しばらく他愛もない会話をしたあと、サクは、婦好に切り出した。


「婦好様に、相談があります」

「なんだ、サク」


「戦いの際の、第八隊による生贄を、廃することはできないでしょうか」


 サクの提言に、婦好の柔らかだった表情が一瞬で変わった。


「サク。それは、できない」



 婦好はサクに背を向けて、陶器の甕から木製の器に水を注いだ。


「第八隊の使い方は、作戦の要なのだ。それに、第八隊そのものが祭祀。神に捧げる儀礼なのだ」


「では、せめて武器を持たせて作戦に参加させるのはいかがでしょうか」


「訓練していない者に武器を持たせてみよ。敵に武具を奪われるだけだ。敵に現地で武器を与えてやるようなもの。自滅行為だ」


 婦好は、器に口をつけ、水を飲み干した。そしてサクを見て言った。


「どうしても、というのなら、サクの知恵で、どうにかせよ。わたしは第八隊の役割は継続させる」


「ですが」


「戦いに、犠牲はつきものだ。まともにぶつかれば千の犠牲を強いられるであろう相手に、百の犠牲で勝てるなら、わたしは百の兵に死を与える。それが、人のうえに立ち、軍を動かすものの責務だ」


 続けて婦好は、サクに近づいた。

 婦好は両手でサクの頭を包んだ。そしてサクの耳元で低い声をサクの脳裏にまで、響かせた。


「ひとりの考えで、百の犠牲をも救えるというのなら、話は別だが」


 サクと婦好の視線が交わった。


「しかし、自惚れるな。現実には、百を救おうとして、三千の命が失われることもあるのだ」


 婦好の瞳は、サクが見たことのないほど、ひどく冷たいものだった。

 そして婦好は、サクの頭に置いていた手に力を入れて、切り捨てるように言った。


「戦場での甘い考えは、多くの命を失うことを覚えよ」


 婦好は、剣のように鋭く、サクの考えを両断した。



 一昨日の晩の婦好とはまるで別人かと思うほどに、婦好はサクに冷酷な表情をみせた。


 ──第八隊を、白装束の巫女をなくすという考えは間違いなのだろうか。


 婦好に否定されたことで、サクの胸はひどく締めつけられた。

 婦好は、優しいだけではない。獅子のような苛烈さをもつ。このとき、サクはまだ、婦好のすべてを理解してはいなかった。




 しばらくの沈黙があった。


 婦好はサクから離れて、髪を纏めあげた。そして、呟くように言った。


「……ふふ。しかし、やはり、サクは面白い。今まで、わたしにそのような進言をしてきた乙女はいるだろうか。サクよ。甘い考えは禁物だが、いままでどおり、決して萎縮するな。堂々と、わたしにすら、挑むがいい。サクの常軌を逸した発言は、わたしが収めればよいだけだ」


 婦好が、奏でるような優しい声で言った。

 そして婦好は、サクの頬に長い指を滑らせた。


「髪は、そのほうが、似合っているな」


 婦好の指がサクの髪に絡まった。


「わたしはサクの胆力と発想を、愛している」


 婦好の言動は、サクの心を剣で切り裂いておきながら、優しく、まるで傷口を綿毛で包みこむかのようだった。


 サクは、婦好に傷つけられた心から流れる血と、その血を受け止める婦好の言葉の柔らかさにひどく困惑した。


 そして、サクは倒錯した心胸のまま言葉を紡いだ。




「わたしも、婦好さまを愛しております」




 サクの言葉に、婦好は目を丸くした。




「なに? あはははは! やはり、サクは面白い! はははは!」



 婦好は笑った。


 婦好の人柄を愛しているのは、サクだけではない。

 婦好軍の全兵士が、婦好に惚れこみ、命を捧げているのだ。




 翌朝からも、婦好軍の行軍は、続いた。





──かの激戦まで、あと三日──

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