旅の誘い(3)
「ああ!! いたああ!! サクちぃぃん!!」
サクが婦好軍を離れてからほどなくして、甲高い声とともに長身の美女に捕らえられた。
「ねえ! なんで頼ってくれなかったのよお! ばかばかあ! 心配したんだから!」
その女性は市中の者にしては華美な装飾をして賑やかだ。
サクは朗らかに答えた。
「ごめんなさい、セイラン。その後、無事でしたか」
セイランは着物を捲り、肩の肌を見せつける。
「やばかった!! 肩の傷! ほら、みて! あたしの美肌に痕が残っちゃった! ハツネっちがいなかったら、死んでたよーーあたしも」
「サクさま。探していましたよ」
セイランの背後からひょっこりと出てきたのは、どこにでもいそうな、個性を消した女性だ。
「ハツネ」
ハツネはお辞儀をしてにっこりと笑う。
セイランはサクの身体を後ろから抱きしめながら、小躍りした。
「ねえ、サクちん! これから三人旅、しようよ! あたしたち、会盟のあともふたりで行動してるの。合流しよっ! やっばーい! めっちゃ楽しそうじゃない?? ねえ、婦好ちんのこと探してるんでしょ?」
「それには、わたしも賛成です。サクさま一人では心配です」とハツネも追認する。
「ありがとうございます。でも、たまに婦好さまの情報を貰えるだけでいいです」
ふたりの旅の誘いを、サクは断った。
セイランは不満そうに口を尖らせる。
「なんでよーー。楽しいじゃーん。あたしたちさぁ、戦いが終わって、たんまり潤ってるから。毎日遊びながら旅できるよん」
「おふたりと一緒だと、さぞ楽しいでしょう。でも、楽しく過ごしていると、決意が鈍りそうなので、ひとりで歩みたいのです」
と、サクは胸中を明かした。
「えええ、過程が楽しくてもよくない? サクちん、暗いよぉ! もっとさあ、明るく楽しく行こう? ね、ね?」
「セイラン、うるさいです。わたしから話します」と、ハツネがビシリと叱咤する。
セイランは「うぇ……」と、息を飲んだあとに、肩をしょんぼりと落とす。
ハツネはサクの手を取り、向きあった。
「この大邑商を、その周辺を、女ひとりで歩まれることが、どのようなことかわかっていらっしゃいますか」
ハツネは続ける。
「道には盗賊がいて、どこを頼っても余所者は排除されます。
食べ物だって、余裕はありません。
なかなか分けてはくださらないでしょう。
夜道は獣もいます。
わたしどものように、訓練された身でないと、どこかで殺されてしまうのが目に見えています」
サクは答えた。
「いまは違いますが、普段は狂人の巫者を装い、歩いております。
巫術に関することは、一通りできます。
死者がいて赴けば、葬送の儀式も行うことができます。
巫者を装えば、呪いを恐れて、人々は離れます。
巫術が必要な時は近づいてきます。ひとりのほうが歩きやすいのです」
ハツネはサクの強情を思い、説得はできないことを悟った。
「強いですね、サクさま」
「婦好軍でたくさんのことを乗り越えてきましたから」
◇
夜、三人で焚火を囲む。
セイランが獲った兎を短刀で捌く。
釣った魚とともに火に翳した。
「ねえねえ。ハツネっちぃ。今夜こそお酒、飲んでもいいよね?」
「もちろん」
「やったぁ」と言いながら、セイランは持っていた杯に酒を注ぐ。
兎の肉に絶妙な焦げ目をつけてから火から離し、セイランは友人に配った。
「はふはふ、うんまーーー! あたしって天才!」
「今日はたくさん獲れて幸運でしたね。サクさまがいるからでしょうか」
「神サマのお恵みだね! そうだ。ねえ、サクちん。安陽のこと、どこまで知ってる?」
「ぜひ、教えてください」
「婦井さまは井亥将軍と一緒に商を裏切って、お仕置きを受けてるよ。いま、雀将軍が戦ってる。鬼方。土方。蒙方。虎方。周方。今度は、井方が誕生したよ。笑っちゃうよね」
「井方……そうですか」
「ね、なんで婦井さまが裏切ったか、知ってる?」
サクは首を振った。
「嫉妬、だよ。お姉さんのほうの婦好さまが、寵愛されすぎてたのもそうだけど。
井亥将軍が、一時婦好ちんの指揮下なったでしょ。許せなかったんだって」
──嫉妬心。
奇しくもサクもまた夏華へ抱いたものだ。
人の心はとても扱いが難しい。
「そうそう。婦好ちんがいなくなってから、商王が微王になることはないってさ」
セイランは首を傾げながら炎を見つめる。
「婦好ちんとサクちんが鬼方との戦いをなくして、周辺も戦いはないけど、今度は内部分裂だよ。戦いは、終わらないね……。人がいる限り、しょうがないのかな……」
セイランは商の今後を憂いた。
ヒクリ、と喉を鳴らす。
酔いもまわり、その頬は橙色に染められていた。
「婦好ちん、ほんとに死んじゃったのかなーー」
セイランの独り言に影響されて、サクは物思いに耽る。
お酒を飲んだせいか、普段は決して言うことのない弱音をこぼした。
「わたしはあきらめたほうが、いいのでしょうか。婦好さまが仮に生きてたとしても、なぜ会いに来てはくださらないのかと思うと、探してどうするのかと。わたしという存在は迷惑なのではと」
サクは己の膝の間に顔を埋める。
セイランは隣で酒をぐいと飲んだ。
「あーーー、うん、うん。もし生きてたとしても、サクちんが絶望的な片想いで、いままでのことはただ単に婦好ちんに利用されてただけで、サクちんが一方的な追跡者かもしれない可能性ね?」
「言葉を選んでください。セイラン」と、ハツネが窘める。
「ま、でもさ。生きてたら、話、聞きたいよね。振られてもさぁ。毎日迷惑かけてるならともかく、一回普通に会うだけなら全然良いでしょ」
セイランは酩酊してまくし立てた。
「協力するよん。だって、あたしも知りたいもん。
婦好ちんてさー、たぶんさ。惚れられない状況、知らないんだよね。
生まれた時から魅力的で好かれてて
天性のお姫様っていうかさあ。
惚れさせて操る王様みたいなとこもあるし、愛情管理がテキトーなんだよね。
サクちんも婦好ちんを落としたいんだったら、追っかけないで、追わせたほうがよかったんだよねー、きっと。
婦好ちん、ずっとお姉さんのこと好きだったでしょ?
お姉さんはさ、狩人に追わせるのが上手な性格なんだよ。
まあ、そもそも超絶美人だしね! 魔性の女だよ。あれは。魔性!」
「セイラン、飲みすぎです」と、ハツネが肩を揺する。
「あ、やばあ。あたし、余計な事言っちゃった?? ごめんねえ? てへっ」
サクは笑いをこらえきれず、噴き出した。
セイランが「あらら~」と言ってニヤニヤする。
その様子がおかしくて、ハツネもふふっと息を漏らす。
「おやおや~ハツネっちも、めずらしいんじゃないの~。この、この」
セイランがふたりの脇を交互にくすぐる。
「あっ、ちょっと、セイラン。やめてください」
「いいじゃん、いいじゃん、にゃはははは」
まるで小さな子どもに戻ったように、笑った。
三人で、涙が出るまで。
「サクちん。たまに……たまにでいいからさ、一緒に美味しい食べ物食べて、良いお酒飲んで、思い出話たくさんしよ! あたしが持ってくるから! それでさ、ゆっくり寝よ! あたしたち、見張りやるからさ。やっぱり、人としてこれが大事だよ」
「サクちんの重ったい話、たくさん聞いてあげるしさあ」
「わたしは、良い友を持ちました。ありがとう」
サクはふたりに微笑んだ。
「美味しいお酒、また楽しみにしています」




