訃報(6)
会盟ののち、サクは高熱に倒れた。
かつての戦のはやり病と、鬼方での食事の変化。
会盟へ向けた断食と、盟約の緊張。
そのすべてが、サクの身体を一気に襲った。
サクは鬼方の弓弦のもとで介抱されることになった。
「婦好さま……、婦好さま……」
サクは熱の間、ずっと婦好の名を呼んでいた。
弓弦が薬草をかき集め、看病し、やっとサクは回復した。
ようやく歩けるようになってから、弓弦にこれからの進退を告げる。
「弓弦さま。今日までありがとうございます。
わたしは、婦好さまのもとへ行きます。
おそらく婦好さまはわたしの身を案じたのだと思います。
しかし、どんなに危険でも、わたしは婦好さまとともに歩みたいのです」
「わかった。行け。俺の信頼する、女の間者を旅の護衛につけてやるから」
サクが旅の支度をしていると、その様子を背後から弓弦は見つめていた。
「悪かったな」
「どうかされましたか」
サクは手を止めて、弓弦を見る。
「いや。会盟はお前のおかげだと思ったのだ」
「ありがとう、サク」
義兄の柔らかな笑顔に、サクも微笑み返した。
◇
サクは会盟の地の近くに駐屯していた婦好軍を訪れた。
シュウが出迎えて、会盟からそれまでにあったことをサクに告げる。
サクが耳にしたのは、婦好の訃報だった。
「婦好さまが亡くなった……?」
シュウが青い顔をして項垂れた。
「サクちゃん、ごめんなさい。わたし、何もできなかった」
「……まさか」
サクは瞬きをする以外に、身体が動かなかった。
シュウの言葉を待つ。
「あの会盟のあと、わたしたちのもとへ婦好さまは戻らなかったの。婦好さまは、婦好さまのお姉さまのもとで過ごすことになった。あとから聞いたのは、亡くなった、ということだけ……」
「そんな、信じられません」
サクは震える手を押さえた。
玉の腕輪に触れて、感情を露にした。
「あの方が、あんなにも強かった方が、簡単に死ぬなんて……考えられません! その亡骸を確認するまでは、わたしは信じません!」
シュウはサクを抱きしめる。
「わかるよ、サクちゃん。わたしも信じたくない。でも、婦好さまのお姉さまから直接言われたら、誰も否定できなかったの」
シュウは続ける。
「サクちゃんだって、わかるでしょう?
大切な人の死には立ち会えない。
婦好さまだって、キビさまのときも、セキさまのときも、リツさまのときも、婦好さまは全部全部その場にはいなかった。だって婦好さまがいたら助けられたもの。
サクちゃんも、その死を伝える役だったでしょう?」
「そうですが……」
「わたしたちは死に対しては無力なの。
婦好さまだって無敵じゃないの。
一人の人間なの。魂はとても強い。
けれど、器は弱いの。
女性の、ひとりの女性なのよ」
シュウはサクへの抱擁をやめて、両手を握る。
「ねえ。サクちゃんは巫術ができるのでしょう?
リツさまの時みたいに、招魂の術をやってみたらどうかしら。大丈夫。
あなたは婦好さまの血を飲んでるから、特別。
奇跡はきっと起こる。
だって婦好さまもサクちゃんも、いつだって奇跡みたいなことを起こしてたじゃない」
「サクちゃん。とにかく、婦好さまのお姉さまのところへ行って。お願い」
「わかった。行きます。お姉さまのもとへ」
「ねえ。サクちゃん待って。行く前に、ひとつ、わたしの秘密を教えたいの。セキさまと婦好さまがいなくなって、誰も知る人がいなくなってしまったから。いまの、鬼方に組したサクちゃんになら話せる」
「シュウの、秘密?」
「ええ」
シュウはひとつ、息を吸い、ひとつ、息を吐いた。
「わたしはシュウ、周方の、シュウ……」
『周方』は、商に敵対する民族のひとつである。
「わたしの出身は西の羌族。
周方の出身なの。そして、まだ繋がってる」
「それは……シュウは周方の間諜でもあった……ということでしょうか」
シュウはにっこりと、優しい笑みを見せた。
「ふふっ。いまのサクちゃんはわたしと向かうところが一緒。いつだって味方だよ」
「シュウ。ありがとう。教えてくれて。
そうじゃないかと思っていました。以前セキさまが『シュウは商の切り札』と」
「うん。わたしはいつだって味方。
わたしがいる限り、周は商に敵対しない。
だって婦好さまと、サクちゃんのことが好きだもの。
婦好軍は厳しいけれど、仕事は楽しいの。
ただ、それだけの理由。
でも、好きか嫌いか、心地良い居場所があるかは、人にとっては一番大事でしょう?」
敵の諜者は味方に付けることが最良と、傅説先生から教わった。
弓弦は鬼方側の者だったが、シュウは婦好の味方だったということだ。
「なにかあったら、相談してね。身体のことで何かしたいことがあるなら、わたしにまかせて」
シュウの言に、サクは頷いた。
サクは身体のある一部を塞ぎたいと考えている。
いずれこの友人にお願いする日が来ると予感した。
シュウはサクに食べ物の入った包みを手渡す。
「はい! これ、日持ちする食べ物。少しずつ食べて。それとも、もう信用なくしちゃった?」
「信じています。シュウ。あなたになら、わたしは殺されてもいい」
「うふふ。わたし、サクちゃんのそういうところ、大好き」
「シュウ。打ち明けてくれて、ありがとう。わたしも、シュウに告げたいことがあります。聞いてくれますか?」
「もちろん。なあに?」
サクはひとつ、息を吸い、ひとつ、息を吐いた。
これから告げるのは、己を懸ける言霊の呪縛──。
「婦好さまは、生きている。
巫女としての血が、そのように騒いでいるのです。
シュウは信じてくれますか?」
「うん。わたし、サクちゃんのそういうところも大好き。
サクちゃんが言うなら、信じる。
だって、あなたは婦好軍の巫女ですもの」
「シュウ、ありがとう。またね!」
サクは駆け出した。
魂の在り方を探るかのように、婦好から渡された翡翠の腕輪を強く握り締めて──。




