三爻、調練、対沚馘軍
第三戦。
婦好軍と沚馘軍の模擬戦は、これで最後である。
ここで、婦好軍に勝ちをもたらさねばならない。
サクは、思案した。
沚馘軍の強さや、動きのくせは掴んだ。
あとは弓臤の手の内を読むだけだ。
──相手の裏の、裏、を読む。
しかし、相手もまた、こちらの裏の、裏、を読んでくるであろう。
裏の裏の裏、の、また裏。愚かである。きりがない。しかし、思考に際限がないなら、単純明快に攻めれば勝てるとでもいうのか。それもまた愚考である。
状況に応じた、自らの必勝の策で、勝利しなければ意味はない。
サクは、目を瞑った。婦好軍と沚馘軍、それぞれの性質をかえりみた。サクは、閃きをともなって、となりにいた婦好を見据えた。
「婦好様、お願いがあります」
「なんだ」
「その、紅の衣をお借りしてもよろしいでしょうか」
「いいだろう。考えをもうせ」
***
サクは、第一戦と同じ陣形を組んだ。
まずは弓臤に、油断を与えるためである。
沚馘も弓臤も、こちらを、ただのよわい小娘だと思っている。それを最大限に利用する。
第三の鼓の音が全軍に響き渡った。
さきに軍を動かしたのは、弓臤の指示する沚馘軍であった。
「虎行!」
弓臤の指揮によって、沚馘軍は陣を縦にのばした。
そして、婦好軍の左軍を猛攻した。
虎が拳をあげて獲物を襲うように、沚馘軍は婦好軍の左軍を崩し、包囲する構えだ。
弓臤は完膚なきまでに、婦好軍を追い込むつもりだった。
婦好軍に勢いはなかった。
婦好軍は守りに徹して後退をはじめた。
「婦好よ、どうした!まったく、手ごたえがないぞ」と弓臤が叫んだ。
弓臤はこのとき、婦好軍の中央に紅色の旗があることを、その目にとらえていた。
弓臤の目標は、第二戦のように、ふたたび婦好を追い詰めることである。
それには、婦好のまわりにいる左右軍の女兵士を退場させ続ければいい。
婦好軍は、第二戦とは違い、守りに徹していた。第二戦での敗北から、手堅く戦う道を選んでいるのだと、弓臤は読んだ。
婦好軍の守りは堅く、弓臤の思うようには崩せなかった。
しかし、士気は沚馘軍が高く、婦好軍が低い。
それに、まともにぶつかれば、沚馘軍のほうが強いことは、第二戦で明らかになっている。
攻め続ければ、婦好軍の守りを突破するのは時間の問題であろうと弓臤は考えた。
弓臤の思惑通りに、沚馘軍の北側からの攻撃は婦好軍を徐々に後退させ、力で押していた。
包囲が完成すれば、沚馘軍の勝ちは目前である。
弓臤が勝利への光明を体感した瞬間、沚馘軍の後方に、異変が起こった。
「なに」
──虎の尾が、蝕まれている。
沚馘軍の後方が、婦好軍によって奇襲をうけていたのである。
このとき、沚馘と弓臤が乗る馬車は、陣の中央にいた。
縦に配列した沚馘軍の構成は、前方が強く、後方が弱い。
脆い沚馘軍の後方に、いつのまにか、婦好の旗を肩にかけた婦好が現れたのだ。
弓臤の策のなかでは、婦好は、軍の中央にいたはずである。
弓臤は悟った。
「沚馘どの。して、やられたようです。婦好だと思っていたものは、婦好では、なかった」
「ほぁはっは! 弓臤よ、そなたが見誤るとは珍しい、ほぁっはっは!」
第三戦がはじまる前、サクは、婦好の上衣を、軍の中央にいた第五隊隊長に預けた。
そして、全軍には守りに徹するように、婦好が指示した。
婦好の紅色の上衣を、第五隊隊長が旗のように掲げていたのだ。
つまり、軍の中央に配置した第五隊隊長に、婦好を演じさせた。
さらに沚馘軍に油断させておいて、その間に婦好率いる別働隊が、沚馘軍の弱点を突く作戦であった。
沚馘軍に動揺が走った。
沚馘軍は、婦好軍にいつのまにか包囲されてしまった。
婦好軍が戦の主導権を握った瞬間である。
縦にのびた沚馘軍の後方を婦好が襲う。
沚馘軍の前方もまた、第一隊隊長のレイが先頭に立って反撃した。
浮き足立った沚馘軍が崩壊するのに、ときはかからなかった。
あっという間に、婦好は、沚馘と弓臤の馬車を追いつめた。
サクは、弓臤のよわさを突いたのだった。
婦好が沚馘にむけて朗らかに言った。
「沚馘どの。訓練もこれで終わり。戦いの華。両軍の勇士をもちいて一騎打ちでもいたしましょうか」
「いやいや、その必要はありません。敗けました、敗けました。ほぁっはっは!」と、沚馘もまた陽気に返した。
「婦好の上衣を、旗に見立てるとは、卑怯な」と、弓臤は悔しがった。
サクは、弓臤をまっすぐにみた。
「弓臤さまに教わったことを応用いたしました。あなたの強さを、脆さに変えるために考えました」
「くくく……、ははははは!」
弓臤が自嘲するように、笑った。
「おまえ、名を、なんと言ったか」
「サクです」
「小憎たらしい娘よ、せいぜい、戦場でもまぐれを発揮するがいい」
弓臤は、沚馘軍の黒い旗をサクに向かって投げつけた。
サクの目の前に飛んできた木製の柄を、婦好が掴んだ。
婦好が、後ろにいたサクにふり返り、破顔した。
サクも、微笑み返した。
婦好は、沚馘旗をかかげ、天に向かって三度円を描いた。
旗の先で煌めく太陽は、天頂から傾きはじめていた。
婦好軍の勝利だった。




