翻天覆地(15)
最終章「天命に賭する」
死に至る毒を飲んだ。
──ここはどこか。
ぼんやりと、死んだのだ、と思った。
まず目に飛び込んできたのは、羊の毛を敷き詰めた壁。
天井はまるで戦車の車輪のような骨組みであり、太陽の光の輪にも見えた。
生者は死後の世界を知らない。
ここがそうなのかもしれない。
──わたしは、敗けた。
己を餌にして、軍全体が勝利できるように導いた。
もっと用兵術に長けていれば、下手な作戦をとる必要もなかっただろう。
──婦好さまは、みんなは、無事だろうか。勝利しただろうか。
自分でない誰かが同じ立場にあれば、誰の命も失わなかったのではないか。
サクは、上体を起こして寝台に座った。
サクが居るのは、移動式の簡易住居のようだ。
木材の柱に羊の毛の壁をぐるりと張ってできている。
膝の上には羊毛の布団。
死後の世界にしては、現実に近い。
手首には婦好から貰った翡翠の腕輪が光る。
「あ……」
サクが死ぬときは婦好のもとへ託すように伝えられた腕輪。
死後の世界にまで、持ってきてしまった。
「婦好さまに……お渡しできなかった」
ふと、入口から、住居の外をみた。
鬼方の旗がある。
捕らえられたのだ。
行く末は奴隷か、生贄か。
入口に、ひょっこりと少年が現れた。
年は七つくらいだろうか。
手には食事を持っている。
サクが驚いていると、少年は寝台の下に敷かれた絨毯に食事を乗せていく。
羊肉と香草の羹と、羊の乳である。
言葉はわからない。
少年は『食べて』という仕草をする。
サクは手をつけなかった。
毒を恐れたからである。
サクの様子をみて、少年は匙を懐から取り出し、羹を食べてみせた。
毒見だ。
サクは、食事を口に運ぶ。
本当は飢えそうなほど、体は水と食べ物を欲していた。
「おいしいです。ありがとう」
少年は、にかっと笑って、住居の外へ飛び出した。
敵に捕らえられた。
きっとこれから酷い目に遭うのであろうか。
しかし、差し出された羊の羹に、切迫感はない。
その不思議な塩味に、むしろ心地良さすら感じる。
住居に吹き込んだ草原の爽やかな風が頬を撫でる。
──ここはやはり夢か、死後の世界だろうか。
「起きたか」
住居の入り口に、弓臤が居た。
「気分はどうだ?」
「まさか……弓臤さまが、助けてくださったのですか?」
「助ける?」
弓臤は、ははははは、と、嘲るような乾いた声で笑う。
「助けたのではない。お前という駒の捕獲が目的だったのだ」
「捕らえた? あなたは、味方の……はず」
「そう。ここは俺に与えられた部屋だ。お前をさらったのは、この俺だ」
サクは乖離していた思考と現実を、強引に繋ぎ合わせる。
「まさか……」
信じたくなかった。
信じざるを得なかった。
昔から内通者はこの男だった。
「もしや、先の戦の内通者というのも」
弓臤は片方しかない目で、にっと笑みを浮かべた。
否定の言葉は、ない。
「あなたは、鬼方の人間だったのですか」
「ご名答」
弓臤は懐から白い何かを取り出して見せた。
鬼方の『鬼』という文字は、人が死者の仮面を被った姿である。
弓臤が手に持つのは、戦場で見た髑髏の仮面であった。




