甲夜薄明の戦い(16)
日の出とともに、起きる。
サクの隣に主の姿はなかった。
素肌にひんやりとした風がふく。
夢ではなかった。
夢にまでみた。
夢のようであった。
しかし──。
「リツさま。ごめんなさい……」
帳の奥の、友の亡骸に赦しを乞う。
たとえ許されずとも。
嫉妬心は、人を裏切り、人を傷つけることはあっても、魂まで呼び戻してはくれなかった。
サクは声を上げて、ひとしきり泣いた。
現実は待ってはくれない。戦いは続いている。
襦を拾い、身支度を済ませて、ふ、と息を吐く。
外にでると、婦好がサクに背を向けて陽の光を浴びていた。
「婦好さま」
婦好は振り返らずに言う。
「サク。昨夜のこと、つらいと思うようなら忘れよ」
「忘れません。誰にも言いません。三人の秘密です」
まだ、戦いは続いている。
婦好軍が勝つためには、『強い婦好』が必要だ。
余計な感傷は避けなければならない。
「婦好さまとわたしの共犯です」
勝つためには、婦好をリツの死から取り戻さなければならない。
サクはその背中に抱きついた。
「人の肌を、初めて知りました。生きていることの証です」
「死しては、肌を重ねることもできない」
婦好はサクに向き合い、その細腰を包んだ。
「サク。穢してしまった。ずっと、大切にしていたのに」
婦好の腕のなかで、サクは自問する。
己は穢れたのか。
──否。そうではない。
このひとの強さで守られる命がある。
支えないと、全軍が死に至る。
「穢れてなどおりません。清めたのです。わたしも、わたし自身を取り戻すために、そのようにしたかったのです。婦好さまと抱き合うことでこの身を保ち、壊れなかったのです。今日を戦うために必要な儀式だったのです」
サクは言い終えて、まるで何かに言い訳をしているような己に気付く。
「サク」
婦好はサクを抱き締める。
「サクは強いな」
苦しいのに、永遠に続いてほしいとサクは願ってしまう。
「それでこそ、わたしの巫女だ」
◇
鬼方の髑髏の仮面の集団は、キシンを襲わなかった。
彼らは婦好軍本陣と戦う鬼方軍と合流した。
キシンが無事かもまだわからない。
目の前の敵を打ち払い、助けに行かねばならない。
敵に、婦好の戦死の報が駆け巡っているという。
敵はリツを婦好と勘違いしているのだ。
当然のことだ。
リツはその死の際に紅の衣を纏い、『三人目の婦好』だったのだから。
それであれば、状況を逆手にとって、華々しい復活を演出するまでだ。
サクはシュウのいる本陣に近い、後方のなだらかな丘で戦況を観ていた。
鬼方の髑髏の仮面の軍団が、まっすぐに婦好軍へ向かう。
婦好隊と衝突した。
紅の衣を纏った婦好が躍り出る。いつも通りだ。
力の差では、婦好軍が圧倒的に勝るはずだった。
しかし──。
思った以上に敵が退かない。
なぜ──。
サクは違和感を抱いた。
前線のぶつかる力が均衡している。
想定と合わない。
婦好隊の動きに精彩を欠く。
言語化を恐れず表現するならば、弱体化している。
──弱い。
婦好の強さが、失われているのだ。
リツの死と。昨晩のことと──。
癒しきれなかった。
作戦を急遽、修正しなければならない。
婦好を支えなければならない。
しかし、主がなにかに憑かれているように、己もまた、朝から白い靄がかかったような思考でいる。
目の前の戦に勝利して、井亥将軍の鎮圧にまで兵を割く。
そのための秘策を繰り出さねばならない。
勝利の道筋まで、あともう一歩届かない。
必勝の考えを巡らせているところで、己の禁忌に辿り着いた。
──囮を用いれば、弱体化を補い、勝てる。
しかし、誰を、囮に──?
軍の編成は、婦好。ギョウアン。雀将軍。後方にシュウ。
加えて、サク。
背筋を伸ばして血塗れの戦場を眺めると、熱風が下から髪を吹き付けた。
サクは決意した。
鬼方の髑髏の仮面の集団は、すなわち闇の勢力。
婦好軍の諜報部隊を操るサクを狙ってここまでついてきた。
ゆえに、考えずとも導き出せる、簡単な問いであったのだ。
「勝利への策は、わたし自身を生贄として差し出すことです」




