【リツ】守るために(19)
※リツ視点
サクの進言した作戦を実行する。
あらかじめ兵を伏し、敵が来たところで戦うというもの。
キシンを助けるための部隊が行路を離れた。
その様子をみて、髑髏の仮面の集団が行路を奪おうと攻め入る。
思ったよりも敵の動きは早い、とリツは感じた。
雨ゆえに伏兵の音がかき消されたのは幸いだった。
山の麓に伏せた兵を繰り出すときである。
リツが紅の衣を纏った。
雨を吸い込んで、かつてない重さだ。
荒天ゆえに、婦好のようには陽の光を帯びない。
「さあ! 我が軍に勝利を!」
この軍は弱い。
一方、敵の髑髏の集団は統率が取れている。
雨。疫病。裏切り。重なる不運。
攻めているのに、兵の勢いは押し返されている。
──弱い。弱いことは悪だ。
味方がリツとサクの戦車を守ろうと集まる。
「リツさまを、サクさまを、守れ!」
「みなさん!」
味方が死ぬたびに、サクが悲しみに溢れた声で叫ぶ。
兵が無駄に死してゆく。
わたしの判断の結果だ。
サクは撤退の言葉をずっと待っている。
そのように顔に浮かんでいる。
──もう、そんな顔をするな。わたしは帰れと言ったぞ。わたしは文字というものは読めないが。わかるよ。
声に出さずとも、意志を伝えるのが文字というならば、いまのサクの顔は文字そのものだ。
──言わずとも、わかる。そうだ。すべて、わたしの責任だ。
婦好さまを守ると決めた、わたしの──。
「わたしに構うな! みな、戦え! 婦好さまを守るために!」
リツは戦車の右に立ち、何人討ち取ったかわからない。
まるで婦好になったような心地だった。
もはや、リツの強さのみが婦好軍の光である。
長年鍛えられて、強くなっているのかもしれない、とリツは思う。
髑髏の仮面の集団は誰かを狙っているような動きだ。
──狙いはサクだ。
サクを捕縛しようとしている。
一体、なぜ。
「サク! お前だけでも別の戦車に飛び乗って逃げろ! 敵の狙いはお前だ!」
髑髏の集団の一人が、リツとサクの戦車に飛び乗る。
左で指揮をとるサクに襲いかかろうとした。
「させるかあああ!」
リツは銅戈を振るう。
敵の剣はリツの攻撃を避けて、ひゅ、と舞う。
──しまった。
ざくり、と鈍い音が耳を塞ぐ。
首から胸にかけて、鎧のない部分の、柔らかな肉を斬られた。
リツはすかさず、敵兵の防具の間の脇を突き刺す。
敵兵は絶命して、どさり、と倒れた。
ひゅう、ひゅう、と息が漏れる。
──傷を負った。しかし、まだ、戦える。
「リツさま!」
「心配ない、サク。怪我はないか?」
「ええ、大丈夫です」
リツは首の傷をサクにみえぬように、紅の衣の毛皮で隠した。
衣はじわりと己の血を吸うが、もともと水を多く含んでいる。
同じ色ゆえに他者には気づかぬだろう。
リツはその場の敵をある程度、殲滅させた。
「サク。撤退だ。このくらいで充分だろう」
「はい! リツさまは、まるで婦好さまのようでした。物語に出てくる天の使者のような働き。わたしも見惚れてしまいました。もし婦好軍本陣に敵が西から攻めてきたとしても、損害は少ないでしょう。いまから撤退し、キシンを助けます!」
サクは明るい声で報告する。
「キシンのもとへは、どのくらいか」
「丸一日駆ければ、追いつけると思います」
「わかった! ゆこう!」
リツは気丈に振舞った。
まるで英傑の主のように。
サクには気づかれぬよう、首元を押さえる。
激しい痛みと、手にどろりとした生暖かい液体がつく。
受けた傷は意外に深く、気を抜けば意識がなくなるだろう。
──わたしにしては、上出来ではないか。婦好さまとサクの危機を低減させたのだ。
リツは己を褒めた。
最期にサクに告げたかった。
──婦好さまを頼んだ。
願いは友に届いたであろうか。
もう、声を出せそうにもないのだ。
目の前が昏くなる。
──わたしは、決して、倒れぬ。
斃れれば、この弱き後輩は泣きわめくだろう。
絶対に、うるさいから──。
──眠い。ひどく、眠い。
草原の風がリツの黒曜石の耳飾りを揺らす。
風。
──懐かしい風だ。
よく、好邑でともに婦好さまと駆けたものだ。
駆けたあとに、草原に寝転んで笑い合い、昼寝をしたあの日の。
記憶のなかの婁邑の風と、好邑の風がまじりあう。
──あの方に仕えることができて、ともに居られて、満たされていた。それに、わたしが一番、婦好さまのことを知っている。
唇を紅の衣に添える。
一面の真紅の世界に、意識ごと包まれた。
懐かしい、華の香がする。
最愛の人と同じ衣を纏いながら、リツは眠りについた。




