【婦好】玉鳳に捧ぐ
※婦好視点
婦好軍を三つに分ける。
これは来るべき決戦に備えての、念願の策であった。
婦好が陣を構えるのは、サクが『絶対に抑えないといけない』と言い現した地だ。
先方に婦好とギョウアン、後方にシュウが陣する。
婦好は戦場に立つと、まるで大地が白絹のごとく輝いて映る。
山岳。丘。草原。惑う人間。
人の命の糸で織るようにして天に献上する。
戦いとは、異民族と魂を賭ける場であり、
天上の神々の意思を宿して対話する地でもある。
天の神々は、遊ぶように喜々として命を屠るものだ。
遠く、地平の終わる果てを見つめる。
朝焼けの、ピリピリと肌を刺すような直感。
平原に到着した敵が陣を作っている。
土方と鬼方を主とした部隊だ。
婦好の心中は冷ややかに語る。
──土方との対話はもう飽きた。終わらせよう。
婦好は、部下の一人一人の顔を見た。
部下とは満ち足りた状態で戦場をともにしたいといつも願っている。
部下の顔はみな、明るい。
瞑ければ負ける。
──今日、何名と別れることになるのか。
余計な感傷は遠い過去に置いてきた。
奮い立たせるように、青き高い天に紅の衣を踊らせる。
「これは天の戦である。我らが神々に捧げよう。みなのもの、己の命を輝かせよ! わたしはすべて見ていよう!」
共鳴するように、馬が嘶いた。
戦車の金具と予備の武器が高い音を立てる。
敵と交戦を開始した。
後方、前方。
敵味方がひしめき合う。
奮い立てる者。
逃げ出す者。
死に際の叫び。
ひとつ、またひとつと屠る。
奪われたことさえわからぬうちに、天に贈る。
たとえ弱くとも、決して侮ってはいけない。
どんな者にも赤子からここまで育んだ者がいるのだから。
華々しく葬るのが礼儀だ。
命を奪うに相応しい人物でいることは将としての責務だ。
祈る。
祈りながら屠る。
歪な儀式ともいえる。
婦好の指揮する隊は直進しては旋回して引き返し、波状に攻撃する。
軍師の作戦である。
側近の乙女は『敵の嫌がる攻撃をせよ』と言った。
──彼女は自身が何を言っているのか正しく認識しているのだろうか。
彼女のことを想うと『罪深い』と感じる。
無垢な少女を冷酷なまでに育てたことを天は赦すだろうか、などと。
婦好軍を祝福するように、大地は赤い液体を飲み干してゆく。
巫女の衣は白。商の色も白。
紅の衣は、白絹に流れた血の色である。
婦好軍はまるで一つの生き物のようであり、挑む敵はことごとく崩れた。
婦好の瞳は、呂鯤の旗を見た。
すでに彼を幾度も逃している。
今日こそはその命を刈り、天に捧げなければならない。
呂鯤もまた土方より遣わされた駒。
戦の犠牲に過ぎない。
かの男を失ったとしても、土方が痛手を受けることはあまりないだろう。
──あるいはあの傲慢な男は土方にとっても邪魔者で、ここで屠ったほうが、土方のためにもなるのではないだろうか。
「哀れな男よ」
──哀れ、か。
天からすれば、かの男と己に差はほとんどない。
商の神。鬼方の神。土方の神。
人間は神の戦いの代理人に過ぎない。
加えて、その正義に優劣はない。
より多くの者が納得しているか、どうか、だ。
荒ぶる土方の邪神、呂鯤。
過去に絶好の機会が二度あった。
どちらも呂鯤を助けようとする兵に妨げられた。
呂鯤一人にさせなければ、その息の根は止められない。
戦いを長引かせて、これ以上の犠牲を増やしてしまうのは、本意ではない。
呂鯤を討つために、ある程度の犠牲を許容する。
「ラク、駆けよ! 敵に気付かれる前に!」
呂鯤の邪な魂の在り処は、禍々しくわかりやすい。
白き大地の黒き汚点。
前回は後手だった。今回は先手を獲る。
「雀将軍! わたしはこれから狩りに出かける! 本陣を頼む!」
「婦好さま! わかりましたぞお!」
「ギョウアン! ついてこい! 他の者を抑えるのだ!」
「あい!」
幾度も戦い、取り逃がしているのは彼が初めてだ。
次に、打ち損じることは──ない。
「呂鯤よ! その命、天に捧げてみせようぞ!」
婦好軍精鋭の戦車百乗。
獲物を前にした鷹のように。
呂鯤に向かって一気に駆け抜けた。




