最後の軍議
婦好軍は本陣にて軍議を開いた。
本陣は先日交戦をした場よりも南方に位置する。
サクは日をかけて作成した地形図を幕舎に用意した。
婦好と婦好軍の隊長が取り囲む。
サクは背筋を伸ばして伝えた。
「北の沚馘邑、東の倉邑、南の望邑、西の好邑。各地の戦況を集めたくとも各地までは遠く、ときを要するでしょう。事前の情報によりますと……北方、西方は交戦。東方、南方は牽制によって周辺を制しているということです。みなさんを信じましょう」
サクの言に、婦好は頷いて応じた。
「いままでにともに戦ってきたみなを信じよう。天はこちらに味方している」
「はい、みなさまの協力に応えなければなりません」
初戦は小手調べ。
儀礼上の色合いが強い。
次の戦いで、最大の攻撃が繰り出されるだろうことが予想された。
会議の最中、商王よりの伝令が到着した。
先の功績により、婦好が直属の軍以外の指揮権を得たことを告げられる。
将軍雀、四千
将軍子画、三千
将軍井亥、三千
婦好が直接命じることのできる兵力が、およそ一万三千人以上となったことが決定したのだ。
辺境の友好の士を入れると、さらに増える。
「すごい……」
予想していたことだが、サクは息を呑んだ。
「おめでとうございます。さすがは婦好さまです」
婦好軍の隊長たちが、婦好に次々に賛辞を贈る。
喜ばしいことである。
一方で、対応しなければならない範囲が広い。
「人が増えれば指令しなければならない範囲も増える。サク。献策を」
「はい。われわれ婦好軍は戦線の拡大に伴い、司令を増やします」
サクは指を三本立てた。
「婦好さま、レイさま、リツさま。婦好さまを三人に増やします。敵の襲撃が予想される地を抑えます」
黙って聞いていたレイが、聞き返した。
「わたしとリツが、婦好さまになりきるってこと?」
「その通りです。主な思惑は三点です。同時に現れて敵を動揺させること。士気を高めること。新しい味方に命じやすくすること」
「ふうん。いままでになかった作戦ね」
サクは他の将軍を従えた場合の事前の盤上戦を想定していた。
何度試しても、司令塔が足りないのだ。
だから、増やす。
軍議の結果、婦好軍を大きく三つに分けることとした。
【本陣】
婦好、ギョウアン、シュウ(後方)
指揮下に将軍雀。
【遊撃】
レイ、ギョク
指揮下に将軍子画。
【要所防衛】
リツ、サク、キシン
指揮下に将軍井亥。
婦好が形の良い指先を差し出した。
「さあ、紅の衣を」
金糸で刺繍を施した重い衣を二着──。
この作戦のために前もって準備をしていた。
サクは二人に手渡す。
レイとリツがばさり、と羽織った。
衣は権威の象徴である。
天然の鉱石、朱砂のうち、良質な真朱。
その真朱で染めた深い赤色が眩いばかりに二人の肌を照らした。
婦好は、倉邑で作られた黄銅の防具をレイの頭に飾る。
「レイ。いつもそなたの強さに、わたしは支えられている。我が身のように、信頼をしている。疾風のごときその武芸は我らが軍の誇りである。遊ぶように舞え!」
「はい、婦好さまのご期待に添えるよう、楽しんでまいります!」
婦好はリツの漆黒の黒髪と、黒曜石に触れる。
黒い耳飾りを避けるように、リツの頭にも同じ黄銅を飾った。
「リツ。そなたは幼き頃からわたしに仕えてくれた。わたしの半身だ。心に我が魂を宿し、力の限りを尽くせ」
「婦好さまに、この身を捧げます」
次いで主はサクを見て表情を緩めた。
「サク、リツを頼んだ」
「必ずや、勝利を持ち帰ります」
「サク、天に問おう。占いを」
「承りました」
サクはいつもどおり亀甲を取り出して占いを始める。
その結果に、はっとして、手を止めた。
『小留』の卦である。
『既に雨降り既に処る』
『徳尚んで載つるなり』
『婦、貞なれども危し』
『月望に近し』
『君子が征けば凶』
警告文だと、サクは直感した。
これから出陣するには凶の卦である。
婦好さまが危うくなるのではないか。
──天が留めている。
天意に従い、留まることがいいのか。
しかしこの勝ちに乗じた決定を、もやは止めることはできない。
──月が満ちるとある。月は陰。陰は女性でもある。
サクは作戦を留めぬように進言した。
「我が軍の力は満ちて漲っております。一方で、往きすぎれば危いことを、この卦は警告しています。連携を怠ることなく、我々の正義に則り戦いましょう!」
占いの結果をそのまま天意とするならば、このまま突き進むことは、その意志と真逆だ。
しかし為政者の側近は、占いの結果を予定された行動に解釈することもあると、父も義兄も師も宣う。
ここまで勝ってきたのだ。
占いに頼らずとも、勝つ自信がある。
サクは婦好の瞳を視た。
──いままでも大きな失敗はなかった。今回もうまくいく。婦好軍の力を信じる。
サクは白い袖を雲に重ねるように、吉凶の結果を天に捧げた。
このとき、サクはまだわかっていなかった。
この解釈が、婦好軍の窮地を招くこととなるとは──。




