神々の代理戦争(戊)
婦好軍は呂鯤を包囲して追い詰めた。
呂鯤の一騎打ちの申し出に、婦好は嘲るように笑った。
「呂鯤よ。一騎打ちなどと。自暴自棄になって、ついに諦めたか」
「なあに、ここでお前を殺せば、俺らの勝ちだ。変な呪いをかけやがって! てめえらの軍は胸糞悪いんだよ!」
「呂鯤。先の戦でそなたに止めを刺さなかったのは、わたしの悔恨だ。二度とそなたの顔を見たくなどない。今日はその命、天に捧げる。覚悟は良いか!」
「うるせえ! ぶち殺してやる!」
潮が引くように、戦場に人の道ができる。
婦好と呂鯤の戦車が対峙するかたちとなった。
二人を囲むようにして、兵士が円を描く。
万一のこともある。サクは本当は、一騎討ちなど避けたかった。
サクは呂鯤にも聞こえるように叫んだ。
「婦好さま! かならず北を向いて戦ってください。土方は北にあり、商は南にあります。味方を背にして戦えば、必ず天が後押ししてくださるでしょう!」
「ごちゃごちゃうるせえぞ、おんなが! 邪魔すんな!」
南天の太陽が婦好の背を照らす。
婦好は黄銅の鉞を、太陽に住まう神に捧げるように構えた。
「天よ! 荒ぶる邪神を滅し、商に勝利を!」
二人が各々の戦車に乗って対峙する。
体格は婦好よりも呂鯤が勝る。
戦車は商のほうが高い。
車輪の大きさが違うためだ。
ゆえに、双方の高低に差はない。
婦好が鉞を薙ぐ。
呂鯤の斧はそれを、ギン、という音をあげて弾く。
「おらおらおらおらおらおらおら!!!!!」
呂鯤の咆哮とともに、斬撃の応酬が続く。
婦好の鉞と、呂鯤の斧が交わるたびに、金属音が体内にまで重く反響する。
一瞬の動きに目が離せず、見ているほうも鼓動で息ができない。
呂鯤は以前より鍛錬を重ねており、確実に強くなっている。
「がははははは!! 婦好よ! どうやら、俺はお前より強いらしいぞ!」
婦好が力で負けている。
膂力は呂鯤が上だ。
極限まで鍛錬を重ねた場合の、男女の力の差がそこにはあった。
──しかし。
呂鯤は殺しすぎた。
刃の音が冴えない。
犠牲を屠りすぎたのだ。
サクは、呂鯤の武器のほころびに、勝機があると読んだ。
胸に手を合わせて祈る。
──大丈夫、婦好さまを信じる!
婦好もまた、先の戦で呂鯤の癖を見破っていた。
「呂鯤。そなたは気付いていないようだが、先の戦での動きと全く同一だぞ」
その瞬間、婦好が呂鯤の左肩を鎧ごと抉った。
「これが証だ」
彼の黒みを帯びた血がダクダクと流れる。
「がっ……おのれえええええ!」
「呂鯤。左が貴様の弱点だ。斧を振り下ろしたときに無防備となる。さあ、左の心の臓も差し出せ!」
言うなり、婦好は渾身の一撃を呂鯤の左半身に加える。
しかし、断じたのは別の男の肉であった。
呂鯤の部下が肉壁となって彼の巨躯を守る。
「手を出すとは、卑劣な!」
絶命した者とは別の男が、呂鯤に進言する。
「呂鯤さま……! ここは一旦引いてください!」
「うるせえ! 決着を付けねばならん!! 俺はまだ戦える!!!」
呂鯤は、目を血走らせながら、ひゅう、という息を漏らす。
「わたしとの戦いを己から提案しておいて、天の感興に応えぬとは! 礼儀を知らぬ者たちめ!」
婦好は淡々と、呂鯤を守る人の盾を削いだ。
「呂鯤さま、お願いします、ぐっ……」
婦好がとどめの一撃を呂鯤に浴びせようとしたそのとき、ふいに髑髏を顔に被った軍団が出現した。
髑髏の仮面の軍団は婦好に傷つけられながらも、呂鯤を守るために素早く取り巻く。
湧いて出てきたのではない。
取り巻きの一部が髑髏を被ったのである。
闇の勢力、とサクは直感した。
彼らは逃げることに特化しているようだ。
サクの背に悪寒が走った。
決して侮ってはいけない。
「逃すか!」
一対一の大将同士の戦いは、部下の乱入によって終わり、婦好軍も総出で呂鯤の命を狙う。
「みなさん、逃してはなりません!」
──もうこの男と戦うのは嫌である。
呂鯤をここで殺さなければ、この作戦がいくら成功しようとも、負けであると思うほどには。
足元の屍を見る。
もしまた呂鯤と遭遇した時に、このような犠牲を払わなければならないのか。
婦好は呂鯤に何度も打ち掛かった。
肉の壁は素早い。
ギョウアンもまた髑髏の集団を殺めようと奮闘する。
レイとキシンは任務のために遠く、リツは体力を消耗している。
──呂鯤を殺めるだけの戦力が足りない……!
サクは弓を番え、矢を射た。
呂鯤に当たるはずもない。
鏃に毒を塗る暇もない。
サクの思惑とは裏腹に、足の速い髑髏の兵士たちは呂鯤の四肢を守り逃げ去っていく。
婦好が問う。
「再び逃げるとは、恥という言葉を知らぬのか!」
「うるせえ! 婦好! 次こそはお前を殺す!」
「天はまだ彼を生かすか。ずいぶんと天に愛された男よ」
呂鯤を逃した。
最大の機会だったのに。
しかし、勝利には違いない。
婦好が黄銅の鉞を蒼天に高らかに挙げた。
「我が軍の勝利である! さあ、戦勝の追撃を始めよう!」




