神々の代理戦争(丁)
呂鯤は、商の軍を力で抑えこもうとする者にすぎない。
敵の作戦の真の目的を、サクはハツネやセイランを通じて見抜いていた。
『商の兵糧庫は必ず狙われるだろう』と。
事実、兵糧庫とする味方の村落が敵兵の攻めに遭う。
守るのは婦好軍第三隊のキシンである。
小高い丘から、兵の動きを見ていた。
「これはこれは。サクさまとの盤上戦の状況に近いですね」
キシンは敵を高い場所から観察する。
泳がせてその意を確かめるためである。
想定とおりの動きがあったことを認めて、部下に命じた。
「さて……、みなさん、あらかじめ定められたとおりに動きましょう!」
やがて、敵兵はキシンの守る村落に押し入った。
村落は人もなく閑散としており、兵糧もない。
異変を感じて敵兵が混乱する。
「まさか……兵糧庫が空だと?!」
商は夜を越えるための兵糧を持たなかった。
必ず陽が高いうちに敵を討つという婦好軍の覚悟の証である。
「これはこれは。ようこそ、敵のみなみなさま。我らの軍師の見事なる狂気をおみせしましょう。兵糧を捨てて戦うというのですから」
キシンは第三隊の精兵を従えて、愉快そうに左手を掲げた。
「さあ、落石といたしましょうか!」
人の身長ほどの大きな岩が敵に落とされた。
「婦好さまに勝利を!」
キシンの村落を襲った敵の軍勢は岩を抱いて転げ落ちた。
◇
一方、レイ率いる第一隊の任務は敵の兵糧庫を攻めることにある。
道なき道を剣で薙ぎ静かに速く進む。
敵の陣営に深く切り込む危険な作戦だ。
レイは敵に対して注意を払いつつ進軍する。
「道に敵がいないなんて、我が軍の諜報員はなかなかやるわね」
サクは戦いが始まるより以前、敵に気取られぬように策を講じていた。
セイランに頼んで虚報を流す。
『商は軍の強さを過信し、鬼方の位置を把握していない』
『戦車の戦いを得意とするため、平原に戦う』
『功名に腐心して影で深く切り込むことはない』などと。
戦は、情報の総合戦でもある。
その取捨選択に命を賭けねばならぬことも多い。
今回の作戦は特に難しい。
臨機応変に判断でき、かつ婦好に次いで攻撃力の高いレイが最も適任だ。
第一隊は、静かに訪れた兵糧庫に火を灯す。
今回の火計の目的は、兵糧を燃やすことではない。
『兵糧から煙』という報を敵に与えるだけで良い。
包囲作戦のために、踵を返す。
帰還もまた、大切な任務である。
炎は風にのり、レイの剣を照らす。
レイ率いる第一隊は、襲撃に気付いた敵を疾風の如く、ただ薙ぎ払う。
「さあ! 第一隊のレイがお相手します!」
◇
サクは目を閉じて、耳を澄ませた。
広々とした草原に強き力と力がぶつかり合う。
対、呂鯤。
味方の兵糧庫。
敵の兵糧庫。
婦好軍の戦いはいま、三面で繰り広げられている。
異変はないか、罠はないか、味方の連携不足はないか。
このようなときにこそ考えもつかないような事態が起こるものである。
戦場の轟音が不安となり渦巻く。
味方の戦果を待つ。
待つ間は、ときの経つのが長く感じる。
サクは思い焦がれる婦好の背中を見た。
以前のサクならば懐の牛骨から、占いにより戦況を問うていただろう。
しかし、いまは違う。
占いに頼らずとも、確信できる。
――成功している、必ず。
婦好がサクの心情をくみ取るように、清涼なる声を響かせた。
「サク、信じよ! わたしはみなを信じている!」
サクは己の額の汗を拭った。
いつのまにか、水滴が滝のように流れ落ちていた。
「はい! 必ず勝ちます!」
呂鯤は、商の兵を屠り続け、愉悦の表情を浮かべている。
「がはは、何人殺した? 十より先はもう数えるのも面倒だ! がはははは!」
「呂鯤よ、そなたはもとより十より多い数を知らぬのだ! 十の数から先、商の教えを授けようか」
「婦好、言わせておけば! 俺に挑むヤツがいなくなれば、次は! お前と一騎打ちじゃあ!」
婦好は高らかに笑いながら、サクに問う。
「呂鯤は相変わらず下品で目障りだ。そろそろ仕留めてもよいだろうか」
最上の機会を失してはならない。
「まだです。作戦完了までもう少しの辛抱です、婦好さま」
サクは祈った。
第一隊の火計を。
第三隊の落石を。
少し曇りはじめた空に、作戦の成就を知らせる狼煙が上がった。
北のレイと、南のキシンからである。
――作戦が成功した!
呂鯤もまた、味方の兵に状況を耳打ちされた。
「なに?」
呂鯤はうろたえることなく、攻撃の手を止めない。
「心配ない、この先に兵糧庫があり、味方が襲撃している。包囲しているのはこっちよ! 俺らが勝ったも同然だ!」
彼の信じる情報は既に古い。
前方も、後方も婦好軍が抑えるかたちとなる。
諜報としての戦は婦好軍に軍配が上がった。
婦好が呂鯤の背後を守る兵を分断させてゆく。
呂鯤の包囲網が完成した。
孤立した呂鯤に婦好軍弓兵隊の矢の雨が降る。
「クソッ……。忌々しいやつらめ……!」
続いて、捕縛体制に入る。
第二隊の体力は限界を迎えていた。
変わりに、婦好隊のギョウアンが、縄を固く握りしめる。
他の隊員と連携をとり、呂鯤の捕縛を試した。
呂鯤は商の骸を盾に、婦好軍の武具を悉く撥ね退けた。
婦好が戦車で駆けて、勢いを持って呂鯤に一撃を加える。
呂鯤はその重みを鎧で受け止めて、胎の力で踏みしめた。
サクの主は太陽を背に宣言する。
「呂鯤よ、天帝は我が方に勝利をもたらした! 神々はそなたの味方ではない! 潔く負けを認めよ!」
呂鯤はぎりぎりと歯を鳴らして、側頭部に青筋を立てた。
追い詰められた獣は狂乱する。
「婦好! てめえを殺せば商の兵など恐れるに足らん! さあ、前に出やがれえ!」




