上甲微・出師の儀◇
快晴。吉日。出陣式である。
晴天と草原の間に、諸将が集められた。
白い旗と黄銅の甲冑が光を帯びる。
白は商の色である。神聖なるものの色は白い。
新しく造られた祭壇の前に犠牲の羊が並んだ。
婦好軍もまた馳せ参じる。
その日、婦好は紅の衣を新調していた。
金糸の刺繍は好邑にて戦勝の祈願を施され、黄銅の胸当ては倉邑にて誂えたものである。
いつの時代の者が見ても美しく気高く強さを持つ女性であった。
従者としての矜持は婦好軍に染み渡るようである。
婦好は大将軍として命じられた。
「怖いか」と、婦好はサクに問う。
「緊張します。婦好さまは」
「楽しもう。我が軍師よ」
奏でるような声色に、サクがにこりと返すと、「心配なさそうだな」と婦好は微笑む。
「わたしは大将軍に任命されたが、女だからという理由で従わない者もいるだろう」
「ええ。残念なことに、ひそかに羨み妬むものは多くおります。しかし実力も功績も婦好さまに及ぶ者はおりません」
「戦の前にそのような芽をつぶしておくことが上善だが、従わぬ者は戦場で飼い慣らす。諸将のなかで、サクが自在に動かせるのは、この婦好軍だけと心得よ」
「はい!」
「ただ、これまでの軍旅でお前を知る人々は呼応してくれるかもしれない。儀式が過ぎれば、遠慮はいらん。最大限に知恵を尽くせ」
全身を白い衣で身を包んだ巫祝たちが六十名。
布を風に靡かせながら、合唱して祝詞を述べる。
黄金の巨大な鐘が幾度となく打ち鳴らされた。
鼓を鳴らして洋々と歌うように微王が現れた。
「音は神々の奏でる歌であるぞ」
まるで百年の牢から出た囚人のように、清々しい面持ちで微王が祭壇に立つ。
微王は、誰よりも白く長い絹を幾重も重ね、黄金の簪を多く髪に飾って、その権威を示した。
「いよいよ我らの神の勝利の戦いが始まるぞ」
天に渦巻くような気が張り詰めた。
「さあ、はじめようぞ。他方の神々を打ち負かすのだぞ」
微王の長く薄く白い裾が冷たい風をふくむ。
その姿は、正しく神の祝福を受けている。
「この戦いは、余の念願ぞ」
微王が両手を天に抱いた。
太陽を抱く形だ。
「天帝は余に味方せり。ここに居る各々方が天の理を証明するのだぞ」
商の兵士が軍足で大地を叩き、あらゆる声を発し、黄銅を打ち鳴らして鼓舞した。
轟轟と、雷のような音が空に響く。
商の本隊が進軍した。
鬼方との開戦のためである。
正式な儀礼を持って交わされる戦である。
味方の先鋒と、鬼方はすでに布陣して微王の到着を待っていた。
サクは気迫に呑まれることなく、婦好のそばで静かに立つ。
秘策を考え尽くした。
今はその成果を問う日だ。
進んだ先、草原に布陣する敵の姿が見えた。
鬼方の色は黒である。
黒衣に身を包んだ集団が、隊列を整えてピリピリと張り詰めるような気を吐く。
は、とサクはまるで夢から醒めたように目を見開いた。
鬼方の最前線には、目を隈取した巫女が並んでいた。
過去の死が足元にじわじわと沁み出す。
犠牲の少女たちだ。
敵はかつて婦好軍が行っていたことを模倣しているのだ。
あの少女たちは味方ではない。
敵が盾として置いた乙女たちだ。
ゆえに、倒さねば敵に剣が届かない。
神のため、敵の刃を血で染めるため、作戦のために死にゆく存在。
敵は己が苦しめられた作戦を模倣するものである。
方法が簡単なほど、それは起こりうる。
サクもまた想定はしていた。
唇をぐっと噛みしめる。
婦好軍は最前線に配置された。
サクは目を閉じた。
──覚悟なき者を、戦場では殺めない。
サクは天を仰いだ。
何のために戦っているのか。
婦好さまのため、生きるため。
──しかし、それだけではない。
瞼の闇に一筋の閃光とともに、膨大な作戦の最善の道が浮かびあがる。
死にたくないと願う少女を一人でも、生かすために。
──たとえ敵の囮であっても。




