馬蹄の記憶
婦好とサクたちが案内された地は石造りの神殿であった。
移動式ではなく、築いてから数十年ほどであろうか。
砂のような質の地に、無機質な石造りの丸屋根。
転々と並ぶさまは、夕陽に照らされると白と橙の色彩が豊かに映り、厳かである。
本拠地ではなく、客人のために作られた建造物。
婁泯は婦好の世話係に任命されたようだ。
婦好は彼に尋ねる。
「婁泯。母と会うにはどうしたらよいか」
「それには、婁聿さまの許可を取らねばなりません。主には彼のみが面会を許されておりますから」
「貴殿は婁聿殿とどういう関係なのか。血のつながりを感じるが」
「従兄です。彼は、主に仕える神官なのです」
婦好、サク、リツらは来客のために用意されていた部屋に通された。
広間には銅の盾がずらりと並んでいるのを、サクは見つけた。
「広間に飾られているものを見たいのですがよろしいでしょうか」
「ええ。どうぞ」
部屋に入ると、黄銅の飾りが奥まで続いていた。
婦好が感嘆する。
「これは面白い。安陽を彷彿とさせる」
目を引くのは、空色の鉱物が埋め込まれた盾形の銅の飾りだ。
サクもまじまじと観察した。
安陽の宮殿ものよりも古びた銅製の飾りが複数ある。
しかし、その技巧は安陽が優れていて、婁邑は劣る。
「銅。それも、安陽よりも古い……」
その事実に、はっとして気づいた。
懐から、子明より受け取った好邑の銅を見比べる。
手の内の銅と、婁邑の銅の性質は、よく似ていた。
記憶の中の銅を組み合わせる。
古い順に、婁邑、好邑、安陽となり、西から東に移る。
技術的に優れているのは、安陽、好邑、婁邑となり、東から西に並ぶ。
「銅の交流……」
銅がどこで初めて興ったのかはサクにはわからない。
少なくとも、銅は婁邑と好邑の間で交流があったように推察する。
「婦好さま。ここにある銅は、安陽よりも、好邑の銅よりも古いです。西に行くほど古く、東に行くほど洗練されています。地域間で、銅の交流があったのではないでしょうか」
婦好はゆっくりと頷く。
「不思議な話ではない。銅は盾にも矛にもなる。すなわち、強さに結び付く。争いの理由のひとつとなりうる」
サクは、婦好の唇を目で追った。
銅は資源である。鋳造には技術も必要である。
獲得の際に、確執があったと推理しても否定できるものではない。
──つまり、過去に銅を巡る諍いがあったのではないだろうか。
部族の証と銅。
点在していたものが少し線でつながる。
しかし、秘密に迫るには、もう少し情報が必要だ。
婦好の母の本拠地のはずである。
──なにか見落としていること、隠されていることがある。
首を傾げるサクを横目に、婦好は好奇の瞳を輝かせていた。
「少し、外にでようか」
三人は、婁泯に許可を取り、建物の周りを歩いた。
石造りの建造物は豪華とは言えないが、気品が漂う。
「良い場所だ。商とは遠く離れた地で醸成された文化だ」
「はい、商は天の神々と交わろうとしているのに対し、ここは地の神々……土や山を敬っているようです」
婦好は天を仰いでから、息を吸う。
「直感だが」
続いて、言を発した。
「母はもう亡くなっているのではないか」
サクも同じ意見だった。
女性の周りには女性の従者がいるものである。
この地には、女性の息遣いが感じられない。
「このような広大な草原。もしわたしが母なら、広く大地を駆けて過ごすだろう」
「想像できます」
サクはくすりと笑った。建物に近づき、左手を添えた。
苔。しかし傷一つない。
「過去に好邑による侵略があったとおっしゃっていましたが、この建物自体は傷ついていないようです」
少し進むと、婦好の馬が繋がれている小屋に着く。
厩には、婁泯がいた。
御者のラクと、馬に関する飼育の意を交換している。
婁泯は馬の扱いがうまく、まるで馬の言葉がわかるようである。
気性の荒い婦好の馬もすぐに懐いた。
婦好が婁泯に問う。
「凄いな。わたしの馬は気難しくてな。通じ合うことのできるものはそうはいない」
「婦好さまの馬は、賢い子です。このこうな馬は、なかなかお目にかかれません」
「そなたは、馬の心がわかるようだ」
「人間よりもわかりやすいかもしれません。馬を友に、羊と暮らす。それが我々の生活です。わたしには、人間の心のほうがずっと難しい」
「この地の者は馬の背に乗り、駆けると聞いた。試してみようか」
婦好が己の馬に、ひらりとまたがった。
馬は驚き、声を上げた。
「ははは、嫌か。すまなかったな」
馬から降り、婦好は馬を優しく撫でる。
後ろにいた、リツが発言する。
「過去に、わたしは乗ったことがあるような気がします。婁泯さま、飼いならされた馬に乗ってみてもよいでしょうか」
リツは婁泯の馬に、ひょい、と乗った。
「リツさま。すごいです」と、サクも驚く。
商の人間は、馬の背に乗ることはしない――。
リツが呟いた。
「婦好さま。やはりわたしはここに来たことがあります」
「リツ……?」
「思い違いだと思っていましたが、わたしは知っているのです。この館の配置も、景色も……」
リツは困惑したように顔を覆う。
「むかし、わたしはここに居ました。なぜ」
サクは顎に手を添える。
リツがどこから来た人なのか、サクも知らない。
「リツさまは、いつから婦好さまにお仕えしているのでしょうか」
「物心ついたころから、お守役だ」
サクは、ずい、と進み出た。
リツの記憶のなかに鍵があると仮説をたてた。
「もっと、幼少期のことをお聞かせくださいませ」
「いや。わたしの記憶は婦好さまにお仕えをしてからのものだ。しかしこの景色はひどく懐かしく感じるのだ。どういうことだろう」
リツの黒曜石が誘うように揺れた。
「リツさま。その耳飾りをお見せください」
特に紋章はない。
リツは婦好の側近として、縁がありすぎる。
サクは試しに、婁泯に問うてみた。
「婁泯さま。リツさまの耳飾りに見覚えはありませんか」
「えっ……、いや、特に。しかし、このあたりでとれる黒曜石に似ているように思います」
婁泯がうろたえると、婦好が問う。
「婁聿殿が身につけているものと似ているのではないか」
「言われてみれば……そのような気も」
サクは己の耳たぶを引っ張った。
──確認しなければ。
過去に、取引があったのだ。
銅の交流。
領主の恋。
女王の不在。
戦闘なき侵略。
幼き記憶。
人の名。
黒曜石の耳飾り。
「婦好さま。リツさま。婁聿様と面会して、答えあわせをいたしましょう」
集めた証を繰り返し解しては繋ぐ。
「リツさまこそ、疑問を解く鍵かもしれません」




